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In Deep

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2018年からの世界 人類の未来 人類の覚醒と真実

とてもとても狂った世界に生きている

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The Burning Platform

ルドルフ・シュタイナーの 1912年の講演より

「神々は、世界は美しく善いものだと見た」と聖書が表現しているとき、人間が輪廻の経過のなかで、最初は善いものだった世界をどのようにしてしまったかを認識しなければなりません。




 

先日、アメリカのブログで、ふと目についたものがありました。

それは冒頭の「マッド・ワールド」というタイトルの記事で、日本語にすれば、狂気の世界とか、狂った世界とか、そういう感じのもので、何となく興味が湧き、読んでみたりしていました。

この記事は、アメリカのシンガーだと思うのですが、ゲイリー・ジュールズ(Gary Jules)という人の歌の歌詞を引用して、いろいろと書かれているのですが、このゲイリー・ジュールズという人の歌のタイトルが、この「マッド・ワールド」というもののようです。

私はこのゲイリー・ジュールズという人を知らないですが、検索しましたら、日本語では Wikipedia も存在していませんので、そんなに有名な人や歌ではないのだろうなと思いました。

ところが、この「マッド・ワールド」の YouTube での再生回数は、何と「 1億 3000万回以上」なのでした。2006年からとはいえ、ものすごい再生数だと思います。


Mad World - Gary Jules

超有名なバンド、あるいはそういう曲なら、1億回を超える再生回数のものはたくさんあるのかもしれないですけれど、「日本では Wikipedia の項目さえない人」の歌の再生数が 1億回を超えるというのはすごいことだなと。YouTube の再生回数は、基本的に重複カウントされないはずですので、少なくとも、この数に近い人たちがこの音楽ビデオを見たということになりそうです。

曲自体は良いのかどうかは、私にはよくわかりません。私にはこういう曲を聴く素養がないです。

それでも、このことで興味を持って、ブログを読んだのですけれど、要するに、

「今の世の中はとても間違っている」

ということを非常に強く言っているというものであり、「そんなこと今さら…」という今さら感もないではないのですけれど、しかし、何だかこう、「言いたいことはとてもよくわかる」という気もしまして、何となく日本語にしたくなりました。

実際、私も「今の世界は狂っている」と思っています。

しかしまあ……実は、幼稚園くらいの時から漠然とそう思っていましたけれど、それから 50年もかけて、さらに社会は悪化しているのですからね。

そんなことからも、この悪化は、

「この社会の様相に人々が本当に疲れ果てて、ほとんどの人たちがまったく前へ進むことができなくなり、社会がほぼ完全に疲弊するまで続く」

というように私自身は思っています。

「好転」というものがあり得るなら、そこからではないでしょうか。

では、まずは、記事「マッド・ワールド」をご紹介します。


MAD WORLD
The Burning Platform 2018/11/19

狂った世界

ゲイリー・ジュールズ「狂った世界」より

何となく笑ってしまうけど、でも結局悲しいことに気づく
彼が今まで見た夢の中で最高に良かった夢が、自分が死ぬ夢だなんて
こんなこと言えやしないし、でもそれじゃダメな気もする
みんな意味のない無駄なことを頑張り続けている
狂った世の中 狂った世界

ゲイリー・ジュールズが歌う「狂った世界 (Mad World)」の内容は、この騒々しくも狂気の世界の中で日々、私に語りかけてくる。

この曲のミュージックビデオは YouTube で 1億 3200万回以上視聴されており、知らない人たちにこのことを話すことは無意味ではないだろう。

このミュージックビデオは楽しいものではなく、憂鬱な内容であり、学校の子どもたちがコンクリートの舗道にさまざまな人物を描く様子を、老朽化した荒涼とした都市の建物の上から撮影された光景で始まる。

カメラは町の建物群をとらえる。同じような形のオフィスタワー、灰色のアパート複合施設、そこには、喜びと活気のない世界が写される。

この「狂った世界」は、精神病の治療方法のひとつ「原初療法」をつくりだしたアメリカの心理学者アーサー・ヤノフ(Arthur Janov)の理論「原初の叫び(プライマル・スクリーム / Primal Scream)」の影響を受けている。

ゲイリー・ジュールズのこの歌の歌詞「彼が今まで見た夢の中で最高に良かった夢が、自分が死ぬ夢だなんて (dreams of dying were the best he ever had)」という部分は、この狂った世界を捨てて、この単調性から解放され、この世界の狂気から解き放たれることをあらわしている。

私たちの自我は、常に、「この狂気の世界は、実際には正常だ」と考えるように自分たちに対して欺いている。

それにより、私たちは毎日、静かな絶望の生活を送り続けている。

今の私たちの世界は、制御のない状態の中で回転し続けているという証拠が完全にあるにも関わらず、人々は、金融市場や住宅市場、そして政治、社会正義、ソーシャルメディアなどへの熱狂、あるいは狂気として向かい続けている。

そして、多くの大衆の「偏見」や偏った見方や考え方の度合いは驚異的なレベルに達しており、その中で、私たちは、「これは正常なのだ」と必死に自分自身を説得しようしている。

自分を説得できるのなら、それでいいだろう。

しかし、私にはできない。

大衆を麻痺させていたものは、かつては宗教だったかもしれないが、今はそれだけではない。

目に見えない政府の支配階級によって設計されたプロパガンダ、誤った情報、嘘、科学技術による精神錯乱などの数々。それらは、その国や社会が、物質的状況に関する楽しい幻想を大衆に提供するために存在する。

人々が覚醒して自分たちが置かれている状況に気づいたとき、つまり私たちは操られており、抑圧され続けていることに気づいたとすれば、その地は革命で一掃されることになるだろう。

今、人々は、圧倒的な認知の不協和音によって、まさに狂っている。

精神的な自慰を常に欲する膨大な数の人々は、衰退の兆候の中にいることを知り始めている。

過度な借金への依存や債務の増大は、政府や財界、メディアの体系的な腐敗により作られたものであり、これらの債務は、精神的に抑圧された「ゾンビたちのアメリカ社会」を作り出した。

政府も財界もメディアも、これらが正しいことではないことを知っているが、真実を認めてしまうことは、人々の妄想を粉砕してしまい、人々が行動を起こす可能性があるので、それは認めない。

多くの人々が、薬物や酒類によって癒され、あるいは、ソーシャルメディアの技術的なファンタジーの世界に没頭して現実を忘れようとする。

それは簡単なことだ。不快な真実に対処して、幻想が打ち砕かれるよりも、慰めの嘘を信じるほうが楽かもしれない。

慰めの嘘を否定した時には、人々には驚くほどの精神的不快感が生まれる。

なので、嘘を否定せずに、嘘と一緒に生きていく。

ゲイリー・ジュールズ「狂った世界」より

周りを見ても、見たことのある顔ばかり
すり切れた光景、すり切れた顔
朝早くから毎日の競争を全力で戦えと言われる
行き場がどこにもない
みんなの涙はどんどんあふれ続ける
顔から表情など完全に消えている
この悲しみを知らせたい
明日がどこにもない 未来もどこにもない

この部分の歌詞は人によって違った解釈をすることができるが、上記の歌詞は私にとって狂った世界のはっきりとしたパノラマを描いている。

私たちは円の中を走っており、毎朝早く起きて、毎日同じ規則に従う。

忠実に仕事場に行く。
同じ人を見る。
同じことをする。

毎日。

それを重要なことだと自分に言い聞かせ、高くもない給与のために毎日頑張る。

なぜそうするかというと、私たちは、無駄なものを大量に購入することが、素晴らしい人生を獲得するための生き方だと信じているためだ。

それはもう、信じられないほどの無駄なものばかりだ。

しかし、そういう物々を買うことが優れた人生だと教えられ、動物のようにしつけられて育っている。ずっとそのように生きていく。

物質主義、消費主義、貪欲、そして株式市場との調和は、何年間にもわたってアメリカの学校教育とメディア宣伝により、長期間、私たちの脳に組み込まれてきた。

しかし、私たちが自分自身で「素晴らしい人生だ」と想像しているような人生を送ることに成功するのは、ほんの一握りだ。

車輪の中で回り続けるハムスターと同じで、どれだけ走っても、まったく進むことはできない。

そのような中で、私たちの生活の中では、うつ状態が増え、怒りが満ち溢れる。そして、多くの人たちが「生きる上での優先事項」を勘違いしている。

大多数の人々の人生は、日々の雑用の悲惨さと無意味な繰り返しの無意味な行進の中で止まっている。

この文明は、欲望、消費主義、利己主義と欲求を基盤に構築されており、それは最終的に、失望した絶望的な人間を生み続けている。

この世界では、大衆の生活の中に圧倒的な悲しみが浸透してしまった。


 

ここまでです。

何というか、これを書いている人は、「多くのアメリカ人たちが苦しみと、悲しみの中にいる」と主張しようとしているようですけれど、

「書いている本人が一番苦しそう」

というように感じてしまいます。

 

 

「この世界はおかしい」と感じたら

私も、この世界はクルッと一回転……じゃない、狂っていると思いますけれど、それに対して、怒りと絶望で立ち向かうのは、

「否定の否定」

ということになり、負の概念を増大させてしまうというようなことになりそうな気もします。

あなたが、あるいは誰かが、仮に、生きている中で、ふと、「この世の中は狂っている」というように感じたなら、どうするのが一番いいかというと、

「そうではない世界を自分の中に模索する」

ということが、もっとも大事なことのように思います。

そうすると、自分の中にある「自分で築きつつある世界」に「自分自身が少しずつ取り込まれていく」というような感覚になっていくように思います。

曖昧な書き方しかできなくて、申し訳ないですが、結局、

「間違った世界と対峙するということは、その間違った世界を認識して自分の中に取り込んでしまっている」

のですから、むしろ、間違った部分に関しては対峙しないほうが自分のためにはいいと思います。

私はどんな局面においても「怒りが有効に働くことはない」と確信している人でして、外の世界に対して、それを避けるだけで、ずいぶん楽に物事が運ぶはずです。

 

2017年の大晦日に以下のようなタイトルの短い記事を書きました。

もはや「違う世界」にいることに気づいた2017年に

そこには以下のように書いていました。

今年 2017年は、私個人として、時が進めば進むほどとても強く感じ続けていたことがあります。

それは、「もはや、自分が違う世界に迷いこんでいるようだ」という感覚でした。

もちろん物理的には同じ世界に住んでいるのですけれど、以前から感じていた環境への「違和感」というものをかなり超えてきていまして、違う世界の中に自分が埋め込まれているかのような感覚をたびたび感じます。

もっとも、そんなことを冷静に考える時間もないほど日々の時間の進行が早く、あっという間に過ぎていく中で、瞬間瞬間に「ふと」そう強く感じることがあり、そして、また時間が流れていく。

そんな繰り返しで1年が瞬く間に終わっていきました。

これは別にオカルト的な話ではなく、現実として、普段ニュースは見ない、新聞や雑誌も読まないような生活をして、外界とのつながりもさほどないということになると、世の中で起きていることや「世間が沸いている時事」とは関係なく生きていることになるのです。

ブログを書くために日々読む海外の記事は、所詮、英語だのロシア語だので、そんな言葉は全然感情に響きませんので問題ありません(私は、日本語以外の言語からはほとんど感情を感じとることができません)。

いずれにしても、そういう生活を長くしていると、次第に「日常の中の別の世界にいる」感覚が強くなってくるのです。

 

もちろん、

「今の世の中はまったく間違っていない」

と考えられるのならば「違う世界に住む」というような狂気の発想は不要ですけれど、今回の記事にも、

> その中で、私たちは、「これは正常なのだ」と必死に自分自身を説得しようしている。

というようにありましたように、どこかで自分を欺いているという場合もあるかもしれません。

 

この「狂った世界」という概念に関して、生前のジョン・レノンが(死後は言えないだろ)、「社会はすべて狂人たちによって動かされている」と英国 BBC で語っていたことを何度か記事で取りあげたことがあります。

最近では以下の記事です。

なぜ、ジョン・レノンの「世界は正気ではない人間たちに支配されている」という言葉が、以前より重要に聞こえるのか

ジョン・レノンは以下のように言っていました。

1968年6月6日 英国BBCのジョン・レノンのインタビュー

社会はすべて狂人たちによって動かされているんだよ。
それは正気ではない目的を実現するためなんだ。

ぼくはこのことに 16歳とか 12歳とかの幼い頃に気づいたんだけれど、自分の人生の中では、このことを違った方法で表現してきた。でも、ぼくが表現していることは、いつも同じことなんだ。

今、ぼくはこのことを言葉にしたい。

「私たちは、狂人によって狂人の目的を成就するために支配されている」

ということを。

英国政府やアメリカ政府、ロシア政府、中国政府が実際に何をやろうとしているのか、彼らが何を行おうとしているのか、ぼくは知りたい。

彼らはみな正気じゃないんだ。でも、それをぼくが表現すると、狂人として消されてしまう。これが正気ではない現実なんだ。

まあ、これがジョン・レノンの十代からの単なる妄想だとしても、何となく、そういうようなことはあるのかなとも思います。

というのも、私にも十代の頃からそういう妄想はあるからです。

しかし、この In Deep を書いてきた、大ざっぱに 10年間くらいの間に知り得たさまざまなことは、私をその 10年前とはちがう方向に向かわせてくれているというようには思っています。つまり、

「世界は狂っている」

ことを認識しながらも、

「その中での肯定的な方法を模索する試み」

に向かってみる、ということに、ほんの少しずつ近づかせてくれているように思います。

そういう意味では、1999年12月に、すさまじい闘いを制して勝利し、私を感動させてくれたWWE の元プロレスラー、ストーン・コールド・スティーブ・オースティンに感謝したいと思います(感謝する相手がちがうだろ!)。

 

あまりこんなことばかり書きすぎると、狂った世界どころか、「狂った私」ということになってしまいかねないので、今回はこのあたりまでとさせていただきます。

なお、少し前に、

全部が「まっぷたつ」になる寸前の世界で : 感染症のように伝染していく対立と分裂の中で、人々はどこまで割れていくのだろう

というタイトルの記事を書きました。

世界は今、いろいろな意味で「まっぷたつ」に割れようとしています。

社会的、政治的などの現実的な意味でのまっぷたつもありますが、それと同時に、先ほど書きましたような

「価値観がまっぷたつに割れる」

という時代もすでに始まっていると私は思っています。

そして、それに伴い、現実として「この世がふたつにわかれていく」ということも起きていくのかもしれません。





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