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終末感と悪魔感をめぐる雑談

投稿日:




 

12年前を思い出し

なんというのか、人生でこんなに終末感を感じたのは、おそらく初めてで、別に絶望とか恐怖とかでは全然ないのですが、まさに「終末感」としか言えないものに全体的に包まれている感じはします。

21世紀はいろんなことがありましたけれど、たとえば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、そりゃまあ驚きましたけれど、あの時の感覚は完全に「高揚」でした。

「これから世界はどうなるのだろう」というタイプの高揚感が強く、終末感などまったくありませんでした。その後のリーマンショックとかも同じ感じで、むしろ日々、高揚感に満ちていました。「これからどうなるんだろう」と。

そして、2011年3月11日に東北で大震災が起きます。

これについては、今でも、ほぼ人生最大のショックでしたが、しかし、この 3月11日直後からの私のブログを読み直してみますと、悲壮感や悲劇感、絶望感はまったくなかったことがわかります。

「ここから日本人はどう(精神的に)立ち直っていくのだろう」

と。

実際、その翌日から、文字通り「狂ったように」ブログで人間存在についてを書き殴り続けていました。

以下は、震災の翌日からの 2、3日のブログ記事です。

 

決意の涙: 東京 DAY3 (2011年03月13日)

自分の宇宙の中で: 東京 DAY 4 (2011年03月14日)

生命の真意 (2011年03月14日)

宇宙が羨むことば (2011年03月15日)

新しい神話の神様たち(2011年03月16日)

 

今読み直してみても、どの記事にも後ろ向きな感じはまったくありません。

おそらく、この震災が起きた直後に「日本人というのは何と素晴らしいのだろう」という……「実はずっと思っていた」ことを明確に自覚したのです。

この震災後の数ヶ月に渡って続いた書き殴りは、私自身が日本人であることに対しての感謝の意味でもありました。

日本語を日常語として使い、日本食を日常食として食べることのできる民族として生まれたことへの感謝でもありました。

「いやあ、まあ、なんかアレだよねえ」

だけで感情の交流が成立する宇宙人のような言葉を日々使えることへの最大の感謝を、この 2011年3月に初めて書けたのです。

 

そして、それから 10年ほどが経った日本は、「全員がマスクをしている」という奇妙な外観も含めて、何もかも価値観が崩壊しようとしているのかもしれませんが……まあしかし、それはそれで、絶望ではあっても、終末感にまでは至らないことでもあります。

今の終末感は、単純に、

「今後、本当に終末が訪れる」

という予測上の感覚に基づいた終末感であり、観念の話でもないです。

もちろん、コロナ絡みとなるのですが、それについても今回はいいです。

 

それにしても……ここ 2年くらいでも、「悪魔」あるいは「悪魔的存在」という言葉や概念を文字にすることはわりとあったと思いますが、

 

「悪魔的存在の最大の目的は、日本から日本人的観念を消すこと」

 

だと漠然と悟ったのも、震災の直後でした。

2011年3月16日の記事に以下のように書いています(書いた記憶は、ほぼないです)。

2011年3月16日の In Deep 「新しい神話の神様たち」より

被災地の方々は大変だと思います。
そして、それとは別に、世界中の人たちが、その被災者の方々から「覚醒」を受けています。

多分、次の何千年かの神話がスタートしたのであろうことを感じます。

今の世界には、大洪水の中をひとりで逃げたところから始まるような世界での神話の中で生きてきた人たちもいます。

しかし、これから始まる神話はそうではありません。

その頃には、願わくば、文字で記述された聖典などのない時代であってほしいですが、仮にそういうものがあるとしたなら、その聖典の最初のページに出てくるのが、今の東北の災害と、もしかすると、今後、日本の他の地域も襲うかもしれない災害の中の「日本人」だと思います。

その何千万人の神様たちが、世界の人々に言いたいことは、その何千万人の他の何十億人の人々も、全員が同じ神様そのものであることに気付いてほしいと。

いろいろと書きたいことはあるのですが、一気には書けません。

ただ、もし「悪魔」という存在がいたとして、それがこの2000年くらいの間におこなっていた最初の試みがあるとすれば、それは「人類の能力を矮小化して人類に伝えること」だったように思います。そのために、「万能の神」というような概念を作り出すこともする。

しかし、それだけに悪魔という存在は「ある事実」を知っていて、そして、心底恐れているはずです。

その「ある事実」とは、それは、人類は宇宙が作り出した最高の能力と身体能力を持った宇宙の究極的な生命であることです。

人類がそれに気付いた時には、悪魔などは対峙することさえできないはずです。
だから、悪魔は人類にそのことに気付いてほしくなかった。

しかし、今、それに気付くことへの口火を切ったのかもしれません。

宇宙が長い間、願いに願っていた「究極の生命」。そして、その完成型である人類

気が狂うほどの長い年月の末に完成した完ぺきな生命の姿。

それは、すぐれた頭脳と身体能力を持つだけではないのです。
それならロボットにもできる。

ひとりひとりが永遠不滅の DNA で構成され(永遠不滅の物質だけで作ることのできる人工物質は存在し得ない)、そして、ひとりひとりの中に「宇宙と神様」を持っている、考えられない究極の生命、人類。

そのことに人類が気付くことを悪魔は心底恐れていた。
そして、地球や宇宙と連動した言語をあゆつる日本人という存在を死ぬほど恐れていた。

そのことに気付く前に、日本人から「日本性」を消滅させろ! と考えていた。

そのためにおこなわれてきた数々の試み、それは書くまでもないでしょう。

In Deep

 

ま、このぉ…(田中角栄さんかよ)、この中にあります、

 

> 全員が同じ神様そのものであることに気付いてほしいと。

 

は、まったく最近知った『臨済録』にある臨済宗の開祖の言葉である「君たち、その祖仏に会いたいと思うか。今わしの面前でこの説法を聴いている君こそがそれだ。」に通じることなんですけれど、「みんながそれぞれの神様でいい」と、この震災の時に翻然と感じていました。

臨済録の一部はこちらの太陽活動の記事の後半に書いています。

この引用した中で、わりといい部分は、

 

「君たちがもし聖を愛し凡を憎むようなことなら、生死の苦海に浮き沈みすることになろう。」

 

という部分で、これを読んで、「じいさん、言うじゃねえか」と呟きましたけれど、「聖を愛し、凡を憎む」ことは良くないと述べています。

この次のセクションは、弟子か何かなんでしょうが、

「仏と魔とはどんなものですか。」

と訊く場面があります。

ここもなかなか味わい深いもので、「なかなか言うな、じいさん」と呟いたセクションでした。

問い「仏と魔とはどんなものですか。」

お前に一念の疑いが起これば、それが魔である。

もしお前が一切のものは生起することなく、心も幻のように空(くう)であり、この世界には塵ひとかけらのものもなく、どこもかしこも清浄であると悟ったなら、それが仏である。

ところで、仏と魔とは、純と不純の相対関係に過ぎぬ。わしの見地からすれば、仏もなければ衆生もなく、古人もなければ今人もいない。

得たものはもともと得ていたのであり、時を重ねての所得ではない。

もはや修行の要も証明の要もない。

得たということもなく、失うということもない。

いかなる時においても、わしにはこれ以外の法はない。たとい、なにかこれに勝る法があるとしても、そんなものは夢か幻のようなものだと断言する。

わしの説くところは以上に尽きる。

臨済録

 

どこまで似ているのかは知らないですが、残された絵を見ると、おっかない顔した人ですけどね。

臨済宗の開祖とされる臨済義玄さん

Wikipedia

左卜全さん (臨済宗と関係ねえだろ)

七人の侍

 

まあまあ、対比ということで。

なお、さきほどの言葉の、

 

「得たものはもともと得ていたのであり、時を重ねての所得ではない。」

 

は、いいですね。

 

えーと……もう何を書いているんだかわからなくなっていますが、ああ……終末感の話ですね。

今回はコロナの話は書かないですが、状況としてほぼ最悪が迫っています

しかし、コロナ(とワクチンの相乗効果)で数多くの方々が倒れていくということのほう「そのもの」を終末的だと考えているのではありません

 

結局、2011年3月に感じた、

「日本人の尊い価値観」

の根本的な崩壊ということのほうに強くそれを感じているのかもしれません。

大岡昇平さんは『野火』の中で以下のように主人公に述べさせています。

 

声はなくとも死者は生きている。個人の死というものはない。
死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目覚めていなければならぬ。日々に決断しなければならぬ。
これを全人類に知らさねばならぬ。

しかしもう遅い。 野火

 

また、臨済宗の開祖の人は、

> ところで、仏と魔とは、純と不純の相対関係に過ぎぬ。

と述べていましたが、では、仏と魔を、

 

「善と悪」

 

というように呼びますと、それぞれがどのようにもたらされるかというと、これも古今の賢人たちが何度も述べているように、

 

「善も悪も、自分でそれぞれを作り出している」

 

わけです。

私の言葉ですと足りないですので、たとえば、ティモシー・リアリーという……まあちょっとした狂人ですが、その著作のひとつである『チベット死者の書 サイケデリックバージョン』に繰り返し出てくる以下のようなフレーズは、ある程度真実だと思います。

 

(『チベット死者の書 サイケデリックバージョン』からの抜粋)

…悪夢を認識せよ。それらは目に見え、耳に聞こえるあなた自身の思考形態なのだ。それらは壁に背を向けたあなた自身の心の産物である。それらはあなたが解放に近づいていることを示している。それらを恐れるな。

…何を見ようとも、それがどんなに奇妙で恐怖を誘うものであろうと、それらがあなたの内部からやってくることを覚えておきたまえ。

…平和なヴィジョンや憤怒のヴィジョンも、血を呑む悪魔や機械も、怪物や悪霊も、そんなものは現実には存在しない。あなたの頭の中に存在するのだ。そのことを認識すれば、あなたの恐怖は消えるだろう。

…啓示は他のどこかからくるのではない。それらはあなた自身の知性がもつ能力の内部に永久の昔から存在している。

…あなたを護ってくれる人物について物静かに瞑想せよ。彼は水面に映る月の像に似ている。明瞭だが、存在しないのだ。

 

ああ、しかし、この『チベット死者の書 サイケデリックバージョン』って今は新刊では出ていないのですね。アマゾンをリンクしようとしましたら、中古でとんでもない価格になっていて、これじゃ買えないということになっていました。

ともかく、最初に書きました「終末感」を私にもたらしているのも、このティモシー・リアリーさんの言葉からは、

 

「自分で作り出した世界の中で起きている」

 

ことは間違いないわけであり、そこに今、自分がいるわけですから、社会や周囲に絶望するのは間違っているのですよね。


(左卜全さんはいいから)

 

先ほど、大岡昇平さんの『野火』から抜粋しましたが、以下のような部分もありました。

 

(大岡昇平『野火』より)

人々は私を狂人と見なした。しかし私は、今でもそうだが、自分のせずにいられぬことをするのを、恥じないことにしている。何か私以外の力に動かされるのだから。

 

この「何か私以外の力に動かされるのだから」というのは、震災直後に非常に強く感じました。

もはや自分自身が何かを書いているのではないことは自覚していました。

羽の生えた黒い男が……(病気による魑魅魍魎の出現はいいから)。

 

思い出しますと、2011年3月11日の地震発生の時は、そのとき、子どもが幼稚園にいたんですが、揺れと同時にすぐ幼稚園に走ったんです。

そうしましたら、子どもたちは誰も恐がっていなくて、「先生がたのおかけだなあ」と感動しました。当時のことを以下のように書いています。震災翌日の記事です。

(2011年03月12日の In Deep より)

人間は生きていくだけが目的ではなくても、ギリギリまで生きることに頑張ることも生命のひとつの宿命だとは思います。そして、多分、ある程度は私も含めて、くまなく多くの人たちがこれから経験することとなるかもしれません。

今の地球を見ていると、それは誰にも否定できないのではないでしょうか。

でも、その際、ただ恐怖に見舞われて過ごすという考え方ではなく、たとえば、昨日の幼稚園の男の子たちのように、

「ぜーんぜん怖くなかったよ。船に乗ってる時みたいにこうやってやりすごせばいいんだよ」

と、私に踊って見せてくれていたように乗り切れれば、そこに可能性もあるのかもしれません。

中途半端に経験豊富な私たち大人より、経験のない子どもたちはまだ「何が恐怖か」の知識を持っていないことが昨日の幼稚園で少しわかりました。

そこに少しだけ希望はあるように感じます。

In Deep

 

この3年間の日本社会は、このような子どもたちに対して率先して恐怖と苦痛の観念を与えていることがあり、それに対してはどうしても寛容になれませんでした。

「何が恐怖か」を知らない小さな子どもたちに「恐怖だけを教える」というこの3年間でした。

 

その中で、これから本当の恐怖がやってくるかもしれないのですが、「何が恐怖か」を知らなければ、案外大丈夫だったようにも思います。

いずれにしても、人生最大の終末感を感じてはいますが、この終末感も自ら作り出した世界でのことであるなら、それを消すこともできるとは思います。

 

次回は、すこしまともな時事の記事を書きたいと思います。

というのも、いやまあ、昨日の記事に書いたのですかね、太陽活動が活発なせいなのか、それとは関係ないのかはともかく、相変わらず「眼振」がすごくてですね。眼球の動きが意志に対して遅れること遅れること。

眼振というのは、内部的には「身体のメカニズムとしては、めまいが起きている」わけです。しかし、訓練(笑)によって、もうめまいを感じることはないのですが、身体そのものは「あなたの内耳は壊れているんですよ」と教えてくれている。

そこに対して「ファック! 内部の声!」と言うのもありでしょうし、その自分の内部の声に耳を傾けるのもありでしょうが、いろいろと教えてはくれるものです。

しかし、これだけ眼球のコントロールができないと、データとかをまともに見られないのですヨネ (その語尾やめろよ)。

 

それでも、3年目の日本のコロナ死者数のデータくらいは見られます。以下のように「過去最大の急激な直線」で増加し続けています。どこで止まるかはもうわかりません。


ourworldindata.org

 

というわけで、これから明日のメルマガ用のダジャレを考えます(だから迷惑かけてるから……)。

以前、意識不明で病院に運ばれた知人が、目覚めた瞬間、「三途の川を…渡瀬恒彦……」と病床でつぶやいて周囲を愕然とさせたことがありますが、私の生き方の指針ともなっています。

頑張ります。

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