1966年8月1日にチャールズ・ホイットマンが乱射に使用した銃器
・Charles Whitman
「近頃は自分でも自分のことがよく判らない。道理をわきまえ、知力を備えたごく普通の若者。それが自分に期待されている姿だと思う。ところが、近頃はまともではない不埒な考えが次々と頭に浮かんでは、我が身を苛むようになった。こうした妄想はしつこくつきまとい、よほど気持ちを張りつめないと前向きな仕事に打ち込めない。」 - 1966年7月31日 チャールズ・ホイットマンが記した手紙より
続いていくこと
ラスベガスで、アメリカ史上最大級の乱事件射があったことを知ったのは昨日でしたが、乱射事件の時には、私は反射的に「致死命中率」(発射された弾丸と被害者の比率)というものを計算するクセがあります。
それはさておき、ラスベガスの事件は現時点で 60人近くの方が亡くなり、死傷者は 600人に迫る大厄災ですが、いくつかの点で、「また……」と思いました。
この「また……」というのは、「また乱射事件が起きてしまった」という方のことではなく、どういえばいいのかわからないですが、私自身の思考的なものと関係して、そして続いている「こと」がありまして……。
たとえば、このブログは In Deep というものですが、その前身となるブログを書き始めたキッカケは 2007年4月16日にアメリカで起きた韓国籍のチョ・スンヒによる「バージニア工科大学銃乱射事件」でした。
このチョ・スンヒによる乱射事件では 33名が死亡しましたが、当時までのアメリカの歴史で「建国史上最悪の乱射事件」となったものです。
この事件が起きた翌日に私はこの事件の感想を書く形でブログを書き始めました。
そして、アメリカでは、このチョ・スンヒ事件が起きる前までの最悪の乱射事件は、その 33年前の 1966年8月に起きた「テキサスタワー乱射事件」でした。
このテキサスタワー乱射事件を起こした人物は、チャールズ・ホイットマンという 25歳の青年でした。
このチャールズ・ホイットマンという存在と「私」の間の関係について……まあ、個人的な話ですし、ちょっぴり「狂気系の話」であるのですけれど、またもアメリカの乱射事件の被害者数の記録が更新されたこともありますし、少しだけ書いておきたいと思いました。
なお、ラスベガスの事象の報道を一応載せておきますと、現時点では下のような感じです。
ラスベガス乱射、少なくとも59人死亡 527人負傷と警察
BBC 2017年10月3日
米ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテル近くで現地時間 1日午後10時すぎ、乱射事件があった。ラスベガス警察によると、少なくとも59人が死亡。確認された負傷者は527人に増えた。被害者の多さで、近年の米国最悪の乱射事件となった。
警察によると、容疑者は近郊在住の白人男性で、警察の突入と同時に自殺。これまで警察との接触はほとんどなかったという。
ラスベガス警察によると、近郊在住の白人男性スティーブン・パドック容疑者(64)がマンダレイ・ベイ・ホテルの32階から、大通りラスベガス・ストリップで開かれていたカントリー音楽の音楽祭会場に向けて自動式の銃を乱射した。容疑者はホテルの部屋で自殺したという。
音楽祭の会場には約2万2000人が集まっていた。
警察はホテルの室内でライフル銃など少なくとも16丁の銃を発見した。
このようなものです。
この中に、
> 32階から
というところがありますが、この「高層建物の上からの射撃」というのは、後述するある事件と同じです。
致死命中率
なお、さきほど「致死命中率」という言葉を使いましたが、これは、2011年7月に、ノルウェー史上最悪の乱射事件が起きた際に書きました過去記事、
・ノルウェーの狙撃事件での異常な致死命中率 (2011/07/23)
に出てきますが、作家の山本七平さんが太平洋戦争に従軍した時のことを「戦争という異常な体験」という定義の中から「日本的組織の歪み」を描き出した『ある異常体験者の偏見』(1974年)という著作の中で初めて知った言葉です。
この山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』と、『私の中の日本軍』(上巻・下巻)というふたつの作品は、私が高校生の時に本屋で偶然興味を持って、そのまま買って読んだものですが、その後の私の人世の考え方に非常に大きく影響を与えています。
つまり、「社会の雰囲気と共に流されて考えるのではなく、自分で、冷静に、きちんと考えて生きること」の意味を初めて知った気がしたものでした。
それはともかく、『ある異常体験者の偏見』のその部分を抜粋しますと、以下のようになります。途中に「十万人を虐殺したというなら」というのは、中国であったとされている南京大虐殺というもののことです。
いろいろな大義はともかく「兵器的」には無理だということが書かれてあります。
「ある異常体験者の偏見」(1973年)より
銃弾には「致死命中率」というものがある。たとえば、「テルアビブの乱射事件」のような、戦場では考えられぬような至近距離で、まったく無抵抗、無防備、しかも、全然予期しない人びとに向かって一方的に発射しても、その致死命中率は、私の計算では6パーセントである。
確かにこれは異常に高い。しかし、この率で逆算しても、十万人を虐殺したというなら、その発射弾数は約170万発。輜重車約200台分、一挺あたり17万発ということになる。機関銃は銃身が熱してくるので、モリブデン鋼という特殊鋼を使うそうだが、日本製はこの材質も悪くすぐ加熱したらしい。
いずれにしても、銃身が加熱するから、長時間連続発射はできない。従って平均一秒一発などは到底不可能だが、それができたと仮定し、朝から晩まで約十時間撃ちつづけ得たとして ----- これも不可能だが、それでも3万6千発であり、17万発の五分の一である。 ----- だが、この3万6千発すら、実際は、たとえチェコのシュコダ製を用いても、不可能である。第一、日本の銃器では撃針で撃茎発条(ばね)ももつまい。
「テルアビブの乱射事件」というのは、日本赤軍の奥平剛士、安田安之、岡本公三の日本人3人が 1972年にイスラエルのテルアビブ空港で起こした乱射事件で、
・発射した弾丸 435発
・死亡者 26名
となっていまして、 435発の弾丸で 26名の死者を出したということは、致死命中率が約 6%という驚異的な数値となります。
6%という数字がどのくらい高いかといいますと、たとえば実際の戦争の資料から、
・第二次大戦の致死命中率は 0.1~0.03% の間
となっているのです。
通常の戦闘では、どの軍隊でも大体こんなもののようで、非常に効率が良い場合で 1000発で 1名が死亡する。状況が悪い場合は、3000発撃って初めて敵が 1人亡くなるというようなことになります。
昨日起きたラスベガスの乱射は 22000人の方々に対して何発の弾を撃ったのかがはっきりしないですので、致死命中率は計算できないですが、それでも、高い数値となりそうです。
この致死命中率の考え方は、先ほどリンクした過去記事の追記敵な記事である、
・ノルウェー乱射事件の「致死命中率」に関しての追記 (2011/07/25)
にあります。
それはともかく、なぜ、乱射事件でいろいろ「自分のこと」を思い出すのか。
「 チャールズ・ホイットマンを知っているかい? 」
・結婚式の日のチャールズ・ホイットマン、Google
人生ではいろいろとありましたけれど、私は幼少時は異常な病弱で、医者には「3歳まで生きないだろう」と言われていたそうですが、気づけば、もう 86歳(ここで嘘をついてどうする)、まあ年齢はともかく、ずいぶんと生きました。
二十代の時にはパニック障害を伴う神経症を発症しまして、一昨年くらいまでの間ですから…… 25〜 30年くらいの間、ベンゾジアゼピンの抗不安剤などを、まあ服用の頻度や量などは時代によって違いますけれど、一貫して服用し続けていました。
この「ベンゾジアゼピン系のメンタル薬」というものについては、このブログでも何度か取りあげたことがありますが、非常に広範囲に処方されているわりには、長い服用により強度の依存となる可能性が高いものです。気になる方は「ベンゾジアゼピン 依存」などで検索されてみるといいかと思います。
しかし、今回はベンゾジアゼピン系の話は関係のない話ですので、過去記事でそれを取りあげたものをいくつかリンクするにとどめます。
・意図して書き始めたわけではないけれど、話はナルコレプシーと脳萎縮と「30年間におよぶベンゾジアゼピン系薬物依存」のことへと転がる石のように (2017/12/15)
・金環食の日の「医療異端者の告白」の補足。そして、ベンゾジアゼピンと最新医療に滅ぼされていく人たちに祈りを捧げたく思い (2017/02/27)
私が完全にベンゾジアゼピン系の薬を飲むのをやめたのは一昨年くらいのことで、そのキッカケは「この自分のブログの記事」によるものでした。
薬は基本的に良くないということを知る中で、いろいろとやっているうちに、25年以上続いたパニック障害が治っちゃったんですね。完治だと思います。
本当は「パニック障害の治し方」についての補助的な知識として書こうと思ったこともあったのですが、今の時代は、インターネット上で西洋医学以外の治療法を書くことについて非常に厳しいです(特に「本当に治るもの」に関しては書いてはダメなようです ← ということはインターネットで書かれていることは……)。
そもそも、方法自体が特別なことは何もない日常的なことですので、それは私には合っていたのかもしれないですが、だからといって他の人に合うかどうかもわからないですので、パニック障害の治療については今後も含めて書くことはできないと思います。パニック障害の異常な苦しさを知っているだけに無責任に書いていいことではないとも思いますし。
ただ、私の例のように「 30年続いたものでも半年かそこらで治った」という事実もありますし、どんな方にも、いろいろな「ひらめき」は必ず訪れると思いますので、ベンゾジアゼピン系をやめられるように頑張っていただきたいと思っています。
どんどん話が逸れますが、そういう「後にパニック障害」的なものになることと関係があるのかどうかわからないのですが、私は、中学生の時に「幻聴の時代」を経験しているのです。
このことが、やや関係します。
この幻聴については、過去記事の、
・パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク
2014/05/07
というものに書いたことがあります(この記事を書いた時には、まだパニック障害は治っていませんでした)。
中学校の時に私は何度も幻聴を聴くことになるのですが、その時に初めて知ったことは、
「幻聴って、ぼんやり聞こえるんじゃなくて、隣で誰かが実際に話しているようにはっきりと聞こえるのだなあ」
ということでした。「耳の横で誰かが私に話しかけてくる」ので横を見ると誰もいない、というような感じです。
さすがに、自分でも「これはもうおかしい」と思い、「何かこう、発狂寸前なのかもしれないなあ」と思い、自分は何の病気になったのだろうと、それから市の図書館に私は毎日のように通うようになりました。
読む本は精神医学の本ばかり。
受験が近い時期だったせいもあり、中学生や高校生たちがたくさん図書館で勉強していましたが、その中で私は、「おー、心気症に分裂症。ふむふむ」(どちらも40年前の医学用語です)というように、毎日、精神医学の症例と治療の本を読んで過ごしたのでした。
おかげで、次第に、大学の医学部1年生くらいの知識は持っているであろうほどにはなり、そのうち読む本がなくなってきたのでした。
それでも図書館には通って、いろいろと本棚を見ていたのですが、「医学」の棚と同じ並びには、「犯罪コーナー」と「宗教コーナー」があり、今度は、周囲の受験勉強の学生さんたちの横で、コリン・ウィルソンの『殺人百科』を読んだり、日本の新宗教の教義を学んだりと、まったく受験とは関係ない見聞が広がっていきました。
まったく勉強をしないでの受験ということで、受験が危ぶまれましたが、入試も幻聴の指示で乗り切ることができました(これは冗談ですよ)。
そういう中で、これは幻聴なのか、心の中の声なのか、それとも夢とかのたぐいなのか、今ではよくわからないのですが、ひとつの声が私の中に刻まれた時があったのでした。
それは、
「チャールズ・ホイットマンを知ってるかい」
という声(?)でした。
チャールズ・ホイットマンは、冒頭のほうに書きました人物で、Wikipedia 的には下のような事件を起こした人です。
テキサスタワー乱射事件
1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔に銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
事件の一報を受けたオースティン警察が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、警察が地下水道からタワーに侵入してチャールズを射殺するまでの96分の間に警察官や一般市民など15名の犠牲者と、31名の負傷者を出し、1999年4月20日にコロンバイン高校銃乱射事件が起きるまで最悪の銃乱射事件となった。
アメリカでは、すでに有名な人だったようですが、しかし、私はその幻聴の時代(1976年頃だと思います)に、チャールズ・ホイットマンという人のことを知りませんでした。図書館で読んだ犯罪の本にもおそらく出ていなかったように思います。
今なら人名がわかれば、インターネットですぐに検索できますが、当時は、外国人の人名だけでいろいろと探すのは難しく、結局、私がチャールズ・ホイットマンという人がどんな人かを知ったのは、十代の終わりか二十代のはじめの頃で、1980年代になっていた頃でした。
しかし、その間も、この、
「チャールズ・ホイットマンを知ってるかい」
という言葉はずっと頭に引っ掛かり続けていまして、たとえば、私が演出のようなことをやっていた時、はじめてちゃんとした場所で公演をおこなった時のパンフレットの裏表紙に、この「チャールズ・ホイットマンを知ってるかい」という言葉を大きく印刷しました。演劇の内容はチャールズ・ホイットマンと全然関係ありませんが、そうせずにはいられなかったのでした。
その後、私がこの「チャールズ・ホイットマンを知ってるかい」という言葉と似た言葉と出会うのは、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタルジャケット』(1987年)の中で、教官が、アメリカ海兵隊の新兵訓練施設での訓練生を前に言う台詞、
「お前たちの中に、チャールズ・ホイットマンがどういう人物か知っている者はいるか」(Do any of you people know who Charles Whitman was?)
でした。
映画で、この海兵隊の訓練教官は、チャールズ・ホイットマンと、ケネディ大統領を撃ったとされるリー・H・オズワルドのふたりを挙げ、
「ふたりとも海兵隊で狙撃を学んだのだ。意志と目的を持った海兵隊と銃があれば何ができるかをやつらは証明した。素晴らしい!」
と、このふたりの犯罪者を絶賛します。
私はこのフルメタルジャケットを映画館で見た時に、若い時からずっと頭に縛られている言葉が出てきたことにやや驚き、映画自体も素敵な日本語字幕が飛び交う素晴らしいもので、結局、映画館で3回くらいみましたかね。その後、ビデオになった後もずいぶんと見たと思います。
しかし・・・・・結局、今もまだわからないのです。この経験が何なのか。
この「幻聴」 → 「チャールズ・ホイットマン」 → 「生きている自分」という流れに特に関連性があるようにも見えないですし・・・。
ただ、幻聴体験は、私に「精神医学」「犯罪」「宗教」の勉強に進ませた(図書館で本を読んだだけですが)のも確かで、それらの見識は、その後の私のサブカルチャー的な生き方に非常に大きな影響を与えています。精神医学と犯罪と宗教は常にひとつの道の上にあり、そういう意味では、あの北海道の田舎の市立図書館の棚の本の「精神医学」「犯罪」「宗教」という並びは実に正解だったと知る次第です。
ただ・・・・・。
乱射や、あるいは整合性のない大量殺人を犯す人の中には、「何かに背中を押されていた」という人たちが多いです。
チャールズ・ホイットマンは死後、解剖され、脳に腫瘍があることが判明したことで、「この腫瘍が暴力性を引き起こした」とする説が強いですが、私は一部疑問には思っています。
それはともかく、冒頭に書きました犯行前日のチャールズ・ホイットマンの手紙は、全体として苦悩に溢れたもので、「自分が何かにおかされていること」を悟っています。
手紙の冒頭は、
「どうしてこのような手紙を書いているのか、自分でもよく判らない。自分が最近どうしてこんな行動をとっているのか、その理由を曖昧ながらも書き残しておきたいからかも知れない。近頃は自分でも自分のことがよく判らない」
とあり、手紙には随所に思考の破綻と、自らの苦悩が見られます。
以前、私はふと、
「私自身、中学生の時の自分も何かに取り憑かれようとしていたのかもしれない」
というように思った時がありました。
その取り憑くというのは、別に悪魔でも霊的なものでも、自分の深層心理でも、それは何でもいいのですが、自分ではコントロールできないものが「自分を支配しようとする」という、そういう状況を自分でも経験していたのかもしれないなと。
これはつまり、「オレもあの時、チャールズ・ホイットマンに《されていた》かもしれないのだなあ」と。
そして・・・まあ、これは変な話となりますけれど、ある日、どのくらい前のことだかはっきりわからないのですが、ある時、私は突然、「チャールズ・ホイットマンの苦しさ」を自分の苦痛として体験してしまった時がありました。その苦しさが自分に襲いかかった時に、私はチャールズ・ホイットマンに対して非常に強い感情・・・それは同情ではないですが、かなしい気持ちがあふれて、部屋でしばらく泣いてしまいました。
変な話ですが、今でもチャールズ・ホイットマンの名前を聞くと涙が出ることが多いです。
それを体験した頃から、私は、いわゆる犯罪者を憎むことができなくなっていました。せいぜい、「生まれ変わったら幸せになってほしい」と思うくらいしかないのです。もちろん、それは被害者の人たちにもそう思うしかないのですが、今もずっとそうです。
犯罪者を憎しみたいのに憎むことができなくなってしまった。
結局「チャールズ・ホイットマンの幻想の意味」は今でもまったくわかりませんが、それでも、時代を考えれば、ラスベガスのような事件はまだこれからも起きていってしまうのかもしれないですし、そのたびに、あの時の「チャールズ・ホイットマンを知ってるかい?」という声が浮かび上がってくるのだろうなと。
人生というのは自分のものでも興味深いですが、わからないことが多いです。
他にもこういうことがいくつかありますが、今でもその意味がわからないことばかりです。
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