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11月29日にメルマガ第三次世界大戦が迫っているかもしれない中で「体に良い食生活とは何か」と考え込むを発行させていただきました。

人類の未来 人類の覚醒と真実 日本の未来

物質的な富は私たち人間の幸福と精神的健全を破壊している

投稿日:

アメリカの作家でありジャーナリストのセバスチャン・ユンガー氏


Sebastian Junger




 

アメリカのゼロヘッジ経由で、セバスチャン・ユンガーさんというアメリカのジャーナリストの人のインタビューを読みまして、その内容が自分の考えていることと近いなあ、と思いましたので、ご紹介させていただこうと思います。

このセバスチャン・ユンガーという人は、英語版の Wikipedia によれば、いくつものベストセラーのドキュメント本などを執筆している人で、アフガニスタンの戦地で任務をおこなったりと、体を張った行いもされている方のようです。

セバスチャンさんは、大まかに以下の3つのことを述べています。基本的に、「アメリカという国」のことを言っています。

・物質的豊かさが、人と人との密接な共同体のつながりを失わせており、それが精神的な疾患の増加と関係している

・車の存在も同じで、人を精神的に害している。

・スマートフォンとソーシャルメディアが、最もアメリカ人を精神的に害しているもののひとつ。

というようなものです。

ここからです。


Sebastian Junger: Is Our Material Wealth Undermining Our Happiness & Health?
peakprosperity.com 2019/11/22

私たちアメリカ人の幸福と健康を毀損しているのは、物質的な豊かさなのだろうか

長年にわたって行ってきた数々のインタビューの中で、個人的に最も意味のあるものだった 1つは、ジャーナリストであり作家のセバスチャン・ユンガー氏(Sebastian Junger)のインタビューを収録した「コミュニティに対しての我々の進化の必要性(Our Evolutionary Need For Community)」だった。

ユンガー氏は、米国のベストセラー本「パーフェクトストーム」と「戦争」で有名だ。後者は、アフガニスタンで最も危険な最前線の基地で 15か月にわたり戦争の任務についた後に書かれた。

アフガニスタン滞在中の観察に基づいて、ユンガー氏は、戦闘中の軍隊が彼らの部隊の社会的連帯をどれだけ評価しているかを見た。ユンガー氏は、目的意識と責任の共有を伴う、このまとまりのあるコミュニティの喪失が、これらの兵士が米国に戻り民間人としての生活に入ろうとしようとした際に驚異的な心理的葛藤を生み出したことに注目した。

この原動力は、軍隊だけにいえるものではない。ストレス下で緊密に結ばれたグループで働いていて目的が一致している人たちの集団は、同様の行動を示す。

著作「トライブ(種族)」で、ユンガー氏は、共同体の進化の配線を逆説的に探求し、「富」と「成功」とに対する現代の願望が、どのように、私たちを、その共同体の進化から遠ざけようとしているのかを追求している。

ユンガー氏との最初のインタビューを記録して以来、彼とは、洞察を共有してきたが、私はユンガー氏と再会することを決め、そのテーマに関する彼の考えと結論がどのように変化したかを聞いた。

彼は、私たちの(アメリカ)社会が、将来的に繁栄するかどうかは、私たちの種族の先祖が住んでいた共同体の絆を再び作り、それを育てる方法を再発見することに根ざしているということを、これまで以上に確信しているようだ。

そしてそれは、現代のアメリカの不幸で不健康な孤立に閉じ込められているさまざまな逸話と人々の行動、そして現代アメリカ社会の便利さと誘惑を正直に見ることから始まる。

ここからが、セバスチャン・ユンガー氏の言葉だ。

私たちアメリカ人は、世界最大の経済の下に生きている。私たちのアメリカは、間違いなく世界で最も強力な国であり、最も裕福な国の 1つだ。しかし、その一方で、アメリカは、世界のどの国より、うつ病や自殺が多く、そして薬物中毒者の割合が最も高い国でもある。

物質的な面では、私たちアメリカ人はとてもよい状態だといえるだろう。しかし、人間にとっての基本的な状態から見れば、私たちアメリカ人は非常に多くの心理的苦痛と精神的苦痛を抱えているように見える。

私たちのこのアメリカという国の物質的な豊かさこそが、私たちの心理的な健康を損なっていると言ったら、どう思われるだろうか。馬鹿げた話だと思われるだろうか。

もちろん、貧困に伴うストレス要因は確かにある。しかし、豊かさで失うことの 1つは、他の人たちとの密接な共同体のつながりを失うことにある。

物が不足していればいるほど、その不足を補うために他の人が必要になる。貧しいアフリカの村々では、文字通りに誰もが同じ井戸から水を汲んでいる。

もちろん、貧困とそれに関連するストレス要因やその他のあらゆる疾患や障害をロマンチックに考えてはいけないだろうが、しかし、物不足の中で、人と人とが共同体で密接な関わりを持つことは、人間の心理的な害を軽減するようなのだ。

私の著作『トライブ』で引用した研究の 1つは、うつ病の患者数のレベルの異文化間での調査だった。うつ病の割合が最も高いのは、北米の都市に住む人たちだった。そして、その人々は世界で最も高い収入を得ているグループだった。

そして、世界の中で、うつ病のレベルが最も低いのは、ナイジェリアの田舎に暮らす人々だった。その地は世界で最貧の地域だ。

これは私たちのアメリカ社会を見てもわかる。アーミッシュ(米国の文明を拒否し、自給自足生活をする人たち)は車を運転しないが、アーミッシュたちのうつ病と自殺のレベルは、アメリカの中で非常に低い。

車には大きなメリットがあるが、よりまとまりのある共同体社会を作りたいのであれば、車をなくしていくことを考えてほしい。

確かに、このアメリカ社会から車がなくなるというようなことはあり得ないだろうが、しかし、私たちが本当にこの特定の問題の解決策について正直な会話をしたいと思うなら、車は、人々の社会的結束を抑圧する大きな問題点だと私は言わせてもらう。

もう 1つの問題は、スマートフォン、あるいはソーシャルメディアだ。

スマートフォンは人々にとって心理的に壊滅的な影響を与えている。そもそも、「ソーシャルメディア(社会的メディア)」というような言い方自体があまりにも間違っている。ソーシャルメディアは、社会的なのではなく、本当に「反社会的」であり、それを「社会的」と呼ぶのはまったくの嘘だ。

このようなものを設計したシリコンバレーの人々、そして、ソーシャルメディア・ツール、およびそれらをサポートするすべてのソフトウェアとハ​​ードウェアを開発した人々は、詐欺的でさえある。

私は、人々から、このように尋ねられることがある。

「私たちは何をすればいいのでしょう」

その場合、私はこう答える。最寄りの川か湖に行き、スマートフォンをポケットから取りだし、地面に置いて何度か足で踏みつぶし、それから水に投げ捨てる。

このように勧めている。

これは私たちが「人間的社会」に再び参加するためにできることのひとつだ。

 


 

ここまでです。

ここでセバスチャンさんが言っている危機的状況は、日本もまったく同じだと思いまして、ご紹介した次第です。

車に関しては、以前、以下のような記事を書いたことがあります。

車に滅ぼされた日本 : 認識されなくなった光景の中に広がる復活の目処のない果てしない廃墟に囲まれた国で

私自身は、日本の地方が寂れていった最大の理由が「日本が車社会になったこと」によると思っていまして、上の記事にはそのことを書いています。

私の子どものころは、小さな町の人たちは、そこに住む人たちの共同体で生活のすべてが構成されていたので、どんなことでも、「徒歩で済む」生活でした。

小さな商店でも床屋さんでも、どんなに小さな商売でも、そう簡単には破綻しなかったですし、「競争原理」なんてものもなく生活できていたのですけれど、それがたった 40年ほどで今の有り様ですよ。

このような地方の荒廃について、すべてを少子高齢化のせいにしていますけれど、それだけではないです。

共同体が破壊されたことによるものです。

地方のほとんどは車社会になっていて、そもそも「隣人たちの共同体」さえ今ではほとんど存在しない。

日本の数万年の歴史の中で、

「隣人とこれほど関わりがなくなった社会ができたのは、これが初めて」

だと思われます。

それに加えて、スマートフォンとソーシャルネットにより、「近い人より、誰かわからない遠い人」と交流することが普通になりました。もちろん、そのメリットはあるのかもしれないですけれど、ますます「ご近所さんという意識」はなくなり、つまり街や村の共同体そのものが破壊されてしまったと感じます。

車とスマートフォンがあるうちは、もう日本の共同体は戻らないでしょう。

 

今年 6月に発行したメルマガで、

『日本の少子化と子どもへの暴力を解消するには「経済と社会システムが完全に崩壊するしかない」という説はなぜ正しいのか』

というタイトルのものを出したことがありますが、そこでは、おおむね、セバスチャンさんが言っていることと似たことを書かせていただいていて、「物質的な豊かさが日本人の愛情を崩壊させている」というようなことを書きました。

「どうすれば、かつての日本(それは本来の日本)のようになれるのか」

ということについて、

「物質的な比較ができる世界が消滅すること」

という、やや過激な結論を書いています。

とはいえ、そんな社会は、仮にいつか来たとしても、ずーっと先のことで、私が見られることはないでしょうけれど、この物質主導の社会が崩壊しない限り、日本の社会は復活しないように思います。

先日、久しぶりに『ファイトクラブ』という好きな映画を見たのですが、この映画のテーマは、「人間の心は物質では満たされない」であり、そのために、主人公たちは「金融が支配する物質的社会を崩壊させる」ために頑張るというファンタジー映画ですけれど、アメリカ人でさえ、一部はそのように思っているわけです。

物質万歳主義のアメリカ人でさえ、もうへとへとになっているのに、もともと物質文明とは馴染まない日本人が、そう長く耐えられるわけがない。

ですので、「願えば叶う」というような言葉もありますが、いつか日本人は、この過度な物質至上主義から抜け出すことができる日が来ると思っています。おそらく、その時は、極端な社会的混乱と共にやってくるのでしょうけれど、その日こそが救いの日だと私は考えます。





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Oka In Deep

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