再び話題となるマヤカレンダー
2010年頃から「マヤ文明」というものに注目が集まったときがありました。マヤ文明は、文字体系を持たない文明でしたが、しかし、優れた「暦」を持ち、それは「マヤ暦(マヤカレンダー)」と呼ばれるようになりました。
マヤカレンダーは、紀元前 3114年からの「 5125年」にわたる暦を示したものですが、つまり、
「マヤカレンダーが開始してから 5126年後に暦は存在しない」
ということで、すなわち、マヤ文明においては「暦の開始後 5125年目にこの世は終わる」ことを示すと考える研究者たちが数多くいました。
そこから計算すると、
「 2012年に世界は終わる」
として、当時、このようなことが、わりと多くの人たちにより信じられていました。
当時言われていた正確な日付けは 2012年12月21日とされていましたが、当時、このマヤカレンダーについての国際的な世論調査もおこなわれまして、それについては、以下の記事で取りあげていました。
・災害の噂だらけの世界で: 「この世の終わり」に関して米国の調査会社が21カ国で行った国際調査のデータ (In Deep 2012/05/03)
国際的な調査をおこなう企業イプソス社によるその調査では、この 2012年12月21日という日付けはともかく、「自分たちが生きている間に世界の終わりが来ると考えている人たち」の率が「全世界の7人に1人(14パーセント)」であることを判明させています。
そして、世界の 10人に 1人が、2012年12月に世界の終わりが来ると考えていました。
その 2012年12月21日に世界が終わっていたか終わっていないかは主観的な部分もあるでしょうけれど、少なくとも私たちは今、2020年という時代に生きています。
そして、今になって、またマヤカレンダーが欧米で大きな話題になっていることを知りました。
計算上の問題( 16世紀に世界標準の暦が変更された点が考慮されていなかった)として、実際の「世界の終わり」は、2020年なのではないかという話になっているようなのです。
以下のように、米ニューズウィークなどは、「マヤカレンダーは今週、世界が終わることを示しているのではない」というタイトルの記事までリリースしていました。
・Maya Calendar Does Not Predict World Will End This Week
「そんなガチな話になってんのかよ」と思いつつ、しかし、昨日の In Deep の以下の記事などで取り上げましたように、今という時代は、
「何だか終わりっぼい世の中」
であることは感じないわけでもなく、「対立と敵対が支配」して「どこでもここでも戦争のうわさ」が走り回る、このパンデミック下の世界などを見ていますと、2012年よりずっと「終わりに近い」感じを受けなくもないわけです。
戦争の噂に満ちた世界、そして民は民に、国は国に敵対して立ち上がっている今、朝鮮半島発の終末の観念と、ラダックからの混乱を再び見ている
In Deep 2020/06/17
この記事では、最近の朝鮮半島の出来事と、中国とインドの衝突を主に取り上げましたけれど、この記事を書きました後に、今度は、
「トルコがイラク北部において史上最大の空からの攻撃を開始」
という報道が英ガーディアンから流れていました。
これは、イラク北部のクルド人過激派に対しての攻撃ですが、同時に、トルコは、イラク北部に特殊部隊を派遣したと報じられてもいます。
イラク外務省は、これに激怒し、バグダッドにあるトルコ大使を即座に召喚し、抗議の覚書を提出したとアルジャジーラは報じています。
中東では、以下の記事でもとりあげましたけれど、イスラエルによる「ヨルダン川西岸の強制併合」の実施予告日が、7月1日に迫っていて、こちらも混乱することは避けられない情勢となっています。
アルマゲドン戦争の影 : 「イランがイスラエルの飲料水に化学物質を放ち、市民多数を毒殺するためのサイバー攻撃を敢行」との報道。そして、イスラエルによるヨルダンの強制併合が7月1日に迫る
In Deep 2020/06/01
何より世界全体が「今は平時とは言えない」わけで、いまだに多くの国がパンデミックによるロックダウンの影響から抜け出ていない上に、たとえば、オーストラリアなどは、
「 2021年まで国境を閉鎖する可能性が高い」
と、国土を封鎖し続ける可能性を発表したりと、国際関係全体に、かつてないような一種異様な状態が続いています。
これまでの私の人生の中で、こんなに終末感を強く感じる時期を経験したことはなかったかもなあ、というようにも思いますけれど、まあ、マヤカレンダーはともかくとしても、かなりの「時代の節目」に私たちがいることは間違いなさそうです。
今回は、先ほどのニューズウィークの「マヤカレンダーは 2020年に世界が終わるとは述べていない」という記事をご紹介します。
ちなみに、話の発端は、ひとりの科学者が、それまでマヤ暦の解釈が「グレゴリオ暦(1582年から使われている暦)」だけで行われていることに疑問を呈し、それ以前に使われていた「ユリウス暦」に基づき計算し直したとして発表されたものです。
ここからです。
マヤカレンダーは世界が今週終わることを予測してはいない
Maya Calendar Does Not Predict World Will End This Week
newsweek.com 2020/06/15
マヤカレンダーについて行われた再計算が、世界が今週終わることを示しているとする説が台頭しているが、そのようなことは示されてはいない。
パオロ・タガロギン(Paolo Tagaloguin)という人物が SNS に投稿した「マヤカレンダーの再計算」の主張の後、世界中で「破滅が差し迫っている」ことについての話題がインターネット上で噴出した。
古代マヤ文明は、マヤカレンダーが終わる時に変革的な出来事が起こると信じていたとされる。そして、このときの出来事は「黙示録」を意味するものだと解釈する人たちも多いが、ほとんどの専門家たちは、マヤカレンダーの終わりが意味するものは、「前向きな変革」を表しているとしており、新しい時代の到来を示唆していると確信している。
その後、パオロ・タガロギン氏は、投稿と自らのプロフィールを削除した。
アメリカのニューヨークポストの報道によれば、タガロギン氏はマヤカレンダーの計算の方法の違いを指摘していたという。報道によれば、彼の再計算では、マヤカレンダーの実際の終わりの日は 2020年 6月 21日となるという。
このマヤカレンダーが終了する日付は、当初、2012年12月21日だとされていた。
当時、古代マヤ文明の専門家たちは、マヤ文明とそのカレンダーは、この日付けの時点で世界は終わると考えていたのではないと述べていた。そうではなく、カレンダーの終わりの日は、ひとつのサイクルの終わりであり、すぐ後に別のサイクルの始まりがあるのだという。
米メソアメリカ研究振興財団のエグゼクティブ・ディレクターであるサンドラ・ノーブル (Sandra Noble)氏は、 USA トゥディの取材に以下のように述べた。
「古代マヤ文明にとって、すべての文明サイクルの終わりを迎えることは、大きなお祝いでした」
「それを終末だとする考え方は、完全な作り話なのです」
英 UCL 考古学研究所のメソアメリカ考古学教授であるエリザベス・グラハム (Elizabeth Graham)氏は、以下のように述べる。
「マヤ族が世界の終焉や終末を予測したことはありません」
文明の統治者たちが将来の日付を参照することは珍しいことではなく、それは主に、気候変動について議論するときに将来の日付を使用していたという。
マヤカレンダーが終末のストーリーと関連付けられる理由は不明であるとグラハム氏は言う。しかし、聖書の物語も終末の出来事に関連付けられることが多い。
米フロリダ大学人類学部の教授であるスーザン・ガレスピー (Susan Gillespie)氏は、「マヤカレンダーに修正や再計算は必要ない」と語っている。
ここまでです。
実際には、この記事の中には、計算上の数字がいろいろと並べられるのですけれど、その数値そのものにそれほど意味があるものでもないですので、省略させていただいています。
この内容そのものよりも、ニューズウィーク、ニューヨークポスト、USA トゥディというような米メジャーメディアがこぞって「マヤカレンダーについて記事にしている」ということからも、「わりとみんな、終末を意識してんじゃないの?」というような気にさせてはくれます。
なお、ここに出てくる専門家の方々は「マヤ文明に終末という概念はなかった」と口を揃えますが、しかし、同じような中南米系古代文明であるアステカ文明には、明らかに「ひとつの文明の終わり」という概念がありました。
これについては、もう 10年近く前の記事ですが、以下の記事で取り上げさせていだたいたことがあります。
アステカ神話の過去4つの世界と太陽。そして、現在の太陽トナティウの時代の終わりは
In Deep 2011/12/18
ここでご紹介した海外の記事の冒頭は以下のようなものでした。
トナティウ : アステック・カレンダーの第5の太陽
アステカ文明の伝説では「4つの世界」という概念が存在する。その4つの世界はアステカ文明以前に勃興して滅びた世界で、そして、スペイン人によるアメリカ大陸への侵略の際には、世界は「第5の世界」に入っていたとされている。
伝説で語られる「4つの世界」に対しての言い伝えなどから考えて、アステカ文明で「太陽」とされる概念は「宇宙の年齢」のコンセプトを持つように思われる。
アステカ神話の4つの世界を最も顕著にあらわす例として、アステックカレンダーと太陽の石に刻まれたシンボルがある。
アステカ文明では、現在の私たちの太陽は、
・第5の太陽 オリン・トナティウ (地震の太陽)
ということになっています。
「地震の文明」といっていもいいのかもしれません。
この「第5の太陽の世界」は、スペイン人たちが南米を侵略したときにはすでに始まっていたとされています。
ちなみに、スペイン人が南米を侵略した時代に、「どのくらいの人たちがスペイン人に殺されたか」をご存じでしょうか。
もちろん推定ですが、日本の地理学者である清水馨八郎さんの著作『侵略の世界史 - この500年、白人は世界で何をしてきたか』には以下のようにあります。
『侵略の世界史 - この500年、白人は世界で何をしてきたか』より
さてコロンブス以来、スペイン人の征服者によって中南米の原住民のインディアスが、約一世紀の間にどれほど犠牲になったかを推計してみる。
これをカリブ海地域と、メキシコ中央部とアステカ地域と、ペルー中央部のインカ地域に分類してみる。
カリブ海地域の犠牲者 38万人
アステカ地域の犠牲者 2400万人
インカ地域の犠牲者 820万人以上、約3300万人である。
ではコロンブスが到着した1492年頃、これらの地域の原住民の数は、どれほどだったのだろうか。
多くの研究者が大雑把な推計を試みているが、それによると最大推計で1億1千万人、中間推計で7000万人、最小推計でも4000万人である。
インカ帝国が完全に滅亡した1570年ごろ、この地方の人口は合計1000万人に激減してしまっていた。
これは最大推計の1億1千万人からみると約十分の一に減ったことになり、ほぼ1億人ものインディアスがヨーロッパ人の征服の犠牲になったことになる。この数は、直接の殺戮だけでなく、ヨーロッパ人がもたらした伝染病の天然痘やチフスによる死者も含まれている。
ともかくヨーロッパ人の侵略によって、一世紀足らずの間に、それまで独自の文明を打ち立てて、平和で幸せに暮らしていた罪のない先住民を、ほぼ全滅させてしまったのである。
これまでの人類の歴史で、これほどの悲惨があったであろうか。
ヨーロッパ白人は、人類史に一大汚点を残したのである。
このように、当時の白人の行った行為は、歴史上最大の虐殺のひとつでした。
仮にマヤカレンダーもアステカ暦も「終末を予言していない」としても、この 16世紀に起きていたことは間違いなく彼らにとっては「終末」だったはずです。
そして、マヤカレンダーの終わりが終末を告げているとしたならば、どういう状況でそうなるかはわかりませんが、ここにある当時の「死の状態」が再現されるということなのかもしれません。
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