フランスでカトリック教会への「攻撃」が続いていることを報じる米ニューズウィークの記事
今のフランスでは、毎日のように、礼拝所と十字架が破壊され冒瀆され、聖餐のパンがゴミのように捨てられている
日本時間の今日 4月16日、フランス・パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生して、ほぼ現状を留めないような被害をうけたことが報じられています。
2019年4月15日 炎に包まれるパリ・ノートルダム大聖堂
火災が発生して、わりとすぐに、アメリカの民主党の政治家らしい、クリストファー・ヘイルさんという方が、ツイッターに以下のように投稿していました。
4月15日 米国の政治家クリストファー・ヘイル氏の投稿
まだパリ当局から何の正式の発表もない時点で、「これは放火だ」というニュアンスを書いています。
普通に考えれば、「ちょっっとフライングでは」というように思われるかもしれないですが、「今のフランスのこと」を知っているのなら、こういうように書くのが普通なのかもしれません。
今回、火災が発生したノートルダム大聖堂は、パリで最も大きな聖堂ですが、パリでノートルダム大聖堂に次いで、パリ 2番目の規模を誇る聖堂である「サン=シュルピス教会」という歴史的な建物があります。実は、この教会も、ほぼ 1ヵ月前に「燃えている」のです。
2019年3月17日 炎に包まれるパリのサン=シュルピス教会
この時も、現地で消火をおこなっていた消防士の発言が、次のようにツイッターに投稿されていたのです。翻訳は、全部だとゴチャゴチャしますので、最後の一文だけを記入しています。
3月15日のツイッターへの投稿より
なぜ、たとえば消防士の人たちが、まだ原因も何も調査していない段階で、
「これは放火だ」
というようなニュアンスのことを言えるのか。
それは今のフランスの「異様な状況」があるからなのだと思います。
冒頭に、ニューズウィークの 3月の記事を載せていますが、まずはそれをお読み下さい。
フランスでは現在、教会とキリスト教関係施設への攻撃と破壊が続いていて、それは 2月だけで「47回」も記録されてします。
有史以来の西洋諸国で、こういうことは、ちょっと聞いたことがない話です。
まずは記事をどうぞ。
なかなかすごい内容ですよ。
CATHOLIC CHURCHES ARE BEING DESECRATED ACROSS FRANCE—AND OFFICIALS DON’T KNOW WHY
newsweek.com 2019/03/21
フランス全土でカトリック教会が冒瀆され続けている。しかし、教会側はその理由がわからない
フランスで、2019年の初めからカトリック教会に対する攻撃が急増している。
それらの行為の中には、放火と冒瀆(神聖なものを汚す)ことが含まれる。
破壊者たちは、教会の彫像を打ち砕き、礼拝所を打ち倒し、そして、聖体を巻き散らすか破壊し、十字架を破壊し、反カトリック的感情の高まりの懸念をフランス国内で引き起こしている。
3月17日の正午のミサの直後、歴史的な建造物であるパリのサン=シュルピス教会で火災が発生したと報じられた。負傷者はいなかったが、パリ警察は、消防隊員たちがこの火災が放火らによるものだと確信していることから、放火であるかどうかの調査をおこなっている。
サン=シュルピス教会は、17世紀に建てられ、ロマン派の画家ウジェーヌ・ドラクロワによる 3作品を収蔵しており、米映画「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台として使用された。
2月には、フランス北西部のウイユにある聖ニコラス・カトリック教会で、聖母マリアの像が打ち壊されているのが発見された。
同じ 2月には、フランス中南部ラヴァールの聖ラヴァール大聖堂で祭壇の布が燃やされ、十字架と聖人たちの像が破壊された。この襲撃後、ヴァールの市長は、以下のような声明を出した。
「神はきっとお許し下さる」
続いて、フランス南部のスペイン国境近くのニームにあるノートルダム・デ・エンファン(「聖母の子」の意味)教会の祭壇が略奪され、教会の十字架に、人間の排泄物が塗られるという事態が起きた。
さらには、カトリック教徒たちがイエス・キリストの体であると信じている、教会にあるパンから作られた奉献物が教会の外にゴミのように捨てられていた。
この教会の司教は、声明で以下のように述べた。
「十字架のしるしと聖餐のパンが重大な冒瀆を受けました。この行為は私たちの教区社会に非常に大きな影響を与える出来事です」
「この行為は、深い信仰の中にある私たち全員を傷つけるものです」
フランスでは、2月だけで、カトリック教会やキリスト教と関係した宗教施設への攻撃が、47回記録されている。
また、ヨーロッパのカトリック教会への問題行動を統括している組織(Observatory of Intolerance and Discrimination Against Christians)によれば、2019年の最初の 2ヵ月間でのカトリック教会への攻撃は、昨年と比べて 25%増加しているという。
同組織の上級監督官は、ニューズウィークの取材に対し、これら一連の攻撃の動機は不明なことが多いが、一部、アナーキストやフェミニストグループによる反キリスト教的な暴力の問題と直面していると語る。
上級監督官は、以下のように言う。
「教会あるいは、教会の象徴に対してフランス国内で敵意が高まっているように感じています。そして、教会への反感は、キリスト教そのものへの反感より強いようなのです」
「今起きている一連の攻撃は、教区とカトリック教徒たちにとって本当に神聖な象徴に対して行われています。奉献された聖餐のパンへの冒涜はカトリックとキリスト教に対する非常に個人的な攻撃であり、これは、教会の外壁にスローガンをスプレーで落書きするよりも重大な攻撃なのです」
フランスは長く世俗主義の伝統を持っていたが、フランスは文化的にキリスト教の国であると見られてきたので、宗教の象徴としての教会への攻撃は、権威と愛国心への攻撃でもあると監督官は言う。
2月9日には、ブルゴーニュ地方のディジョンにあるノートルダム教会の祭壇が破壊された。ここでも、聖体拝領のパンが、地面にばら撒かれた。
フランスのエドゥアール・フィリップ首相は、2月にフランスの教会指導者たちに会い、声明の中で次のように述べた。
「このような破壊と冒瀆行為は私に衝撃を与えている。これは満場一致で非難されなければならない」
ここまでです。
この「冒瀆の方法」がものすごくないですか。
> 教会の祭壇が略奪され、教会の十字架に、人間の排泄物が塗られる
> 教会にあるパンから作られた奉献物が教会の外にゴミのように捨てられていた
1971年の小説『エクソシスト』あるいは、1973年にその小説が映画化されたエクソシストでは、悪魔に取り憑かれた(とされる)少女リーガンに、本格的に異変が起きる前に起きたことが、「カトリック教会の聖母マリア像への冒瀆行為」でした。
映画では、教会にある聖母マリア像の彫像の両方の胸の部分と、下腹部あたりに角のようなものが突き刺され、そこに赤い血のようなペンキが塗られているという光景が写されていました。
しかし、私は、何だか今のフランスで起きていることのほうが、小説や映画より「ずっとひどい」と感じています。
エクソシストでも、イエスの肉体とされたパンをゴミのように捨てるというようなことはしていないですし、まして、排泄物まで登場するとなると、想像の域を出た行動といえるような気がします。
なお、ノートルダム大聖堂の火災の報道を読んでいて、
「考えてみれば、自分は、ノートルダム大聖堂がどんなものだかよく知らないな」
ということに気づきまして、Wikipdia を読んでみましたら、以下の記述につきあたりました。
ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
「ああ、そうなんだ」と深く納得しました。
もちろん、キリスト教関係の施設に聖母のお名前がつけられることは珍しくないのでしょうけれど、先ほどのニューズウィークの記事でも、最近攻撃された教会に、
・ニームのノートルダム・デ・エンファン教会
・ディジョンにあるノートルダム教会
というように、ノートルダムがつく教会が多いなとは思っていましたが、ノートルダムとは、聖母を現しているということなんですね。
火災となったパリのノートルダム大聖堂は、
「聖母マリア大聖堂」
であると。
フランスの聖母マリアの名のつく施設の代表がターゲットになったと。
これらの宗教施設への攻撃者の正体はわからないですけれど、何となく、その背後には、
「すべての聖母マリアを破壊せよ」
というような意志も見えてくるような……。
ふと思い出しますと、「フランスと聖母マリア」といえば、昨年の 8月に、「聖母マリアに捧げられる川の水がシンクホールと共に消滅した」という事象を以下の記事で取りあげたことがありました。
聖母マリアに捧げられるフランスの川の水が「シンクホールに飲み込まれて消滅」した頃、アメリカでは次々と聖母像が破壊され、南米では血の涙を流す
なお、現在のフランスで起きている「教会への攻撃」ですけれど、どの報道を見ても、それを行った人が「捕まった」という記述がないのです。
そこから考えますと、
「いまだに一人も逮捕されていない」
ということになりそうなのです。
2月だけで 47件の教会等への攻撃と冒瀆行為があったとすれば、4月の現在までには、相当な数の攻撃と冒瀆行為が起きていたはずです。
しかし「誰も捕まっていない」可能性が高い。
いろいろな地域で起きていることを考えますと、複数のさまざまな個人やグループが絡んでいるということにはなるのでしょうけれど、そこには、もしかすると、
「中心的存在」
がいる(あるいは「ある」)可能性もないではないのかもしれません。
もし、そうだとすれば、ノートルダム大聖堂の火災ですべてが完結するとはとても思えないわけで、場合によっては、今回のパリの火災は、
「始まり」
である可能性も少し感じます。
悪魔というフレーズを使わなくとも、今、フランスで起きていることは「悪魔的」ではあるわけで、これが今後どうなるのか。
意外とすぐにわかってくると思います。