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11月29日にメルマガ第三次世界大戦が迫っているかもしれない中で「体に良い食生活とは何か」と考え込むを発行させていただきました。

アメリカの憂鬱 人類の未来 人類の覚醒と真実

地下に戻ったままの善と悪の精霊たち : かつて子どもと大人の戦争だったハロウィンはアメリカ当局と企業が発明したプロパガンダ語で丸く収まることに。その連語は「トリック・オア・トリート」

投稿日:2017年10月31日 更新日:

もともとハロウィンがいつかというようなことも私は知らず、10月31日がハロウィンだと認識したのは、この2、3年のことですが、この頃のハロウィンは、いろいろと印象的な「顔」が浮かび上がった日でもありました。

2015年10月31日に地球近くを通過した小惑星 2015 TB145

スクリーム顔の小惑星、謎の星 KIC 8462852、南極の氷は実は増えていた…

2012年10月29日に欧州宇宙機関から発表された青色巨星HD 50896

狂乱の気候、そして狂乱の地質活動と共に過ぎていく2012年のハロウィーン

しかし、今回はそういうものと関係のないわりと正当なハロウィンの歴史について書かせていただこうと思います。予想以上に興味深いものでした。




その本来の意味は「善と悪の両方の精霊が現実社会に現れる日」

先日、うちの子どもが「ハロウィンみたいなことはしないの?」と、母親に聞いているところに出くわしました。

「うーむ、ハロウィン……」と私は唸りました。子どもは小6の男の子ですが、高学年あたりだと、学校でハロウィンの話が出るのかなあとも思います。

それにしても、私はこの「ハロウィン」というものが、どうしてこんなにアメリカなどでお祭り事象になっているのかがわからなくて、毎年知りたいと思いつつ、わからないままで来ています。もちろん、Wikipedia を見れば、

ハロウィンとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であった

というように書かれてはあるのですが、これだけでは、今のお祭り騒ぎまでの経緯が釈然としないものがあります。

そうしたところ、ハロウィンの歴史が詳しく書かれたものに偶然あたったのです。スミソニアン博物館で有名なスミソニアンの発行しているメディアの記事でした。

2017年10月29日のスミソニアン・マガジンより

smithsonianmag.com

かなり長い記事なのですが、たとえば、疑問だった「トリック・オア・トリート」という言葉も含めて、どのように成立していったかがよくわかり興味深かったということもあり、せっかく今日はそのハロウィンの日ですので、ご紹介したいと思いました。

簡単に経緯を書けば、アメリカのハロウィンの変遷は以下のようになります。

ハロウィンが誕生してから現在までの大まかな流れ

・ハロウィンは、2000年ほど前に、ヨーロッパ北西部のケルト諸国で生まれる。民間伝承によれば、ハロウィンの日には「善と悪の両方の精霊」が「現実にできる地割れ」から解放され、社会に影響を与えるとされた。

・ハロウィンは 18世紀にアメリカに移住民と共にもたらされる。

・19世紀になると、都市化と格差の広がりの中で、ハロウィンは次第に子どもたちの無軌道の場として、破壊、爆破、略奪が繰り広げられる日となる。

・20世紀に入り「ハロウィンを改正、あるいは廃止」する動きが出てくる。

・同時に、テレビ・ラジオを使って「ハロウィンは暴力の場ではなく、大人と子どもが仲良くする日だ」という喧伝が始まる。

・その中で、キャンディを子どもが求め、大人が与えるという穏やかな儀式を「トリック・オア・トリート」と呼ぶことにするという当局と企業とメディアでの喧伝運動が始まる。ハロウィンが莫大な利益を上げる場になる可能性を知り、多くの企業が「トリック・オア・トリート」キャンペーンに参加。

・これらが今につながり、現在のハロウィンに。

ということなんだそうです。

トリック(trick)という英語の根本の意味は「目的をもって騙す」的なもので、トリート(treat)の根本の意味は「ものを良くするほうにもっていく」という意味となるそう。つまり単語としては、「トリック=悪、トリート=善」という図式ではあるようです。まあ、ほとんど廃れたとはいえ、2000年前のハロウィンの「悪と善の両方の精霊が、この世に出てくる」という意味はささやかには受け継いでいるのかもしれません。

いずれにしましても、100年くらい前までは、「ハロウィンは、子どもが大人と権威に戦争を仕掛ける」という日だったようなのですね。

正直、「ああ……今より楽しそうだなあ」と思ってしまいますが、私自身、子どもの時そうでしたけれど、子どもはいつも「権威を破壊したい」という目標に燃えていたものでした。

かつて若者はいろいろなものを破壊したものですが、それは学校だったり大企業の何かだったり「権威」がそこにあったものでしたが、それを徹底的に否定される概念が構築されて、今は、若者たちは、権威ではなく「弱いものを攻撃する」ようになったと私は思います。

権威を攻撃するのと、弱い者を攻撃するのとどちらが健全なのか私にはわかりませんが、少なくとも私の子ども時代や少年時代の価値観は「権威こそが攻撃されるもの」でした。

でも、今は世をあげて「弱い者を攻撃せよ」というメッセージが社会全体に注がれている現実にお気づきでしょうか。かなり長く強烈に放たれているメッセージではあるけれど、そのことに気づきにくいというのもあるかもしれません。

善良な人たちには気づきにくい仕組みになっているからです。しかし、私のように心底、悪い心と悪い人間性を持っているダメ人間たちはその仕組みにわりとすぐ気づきます。

「あー流れてる、流れてる。今日も流れてる」と。

結果、今の社会は、誰が見ても「弱い者を徹底的に叩く世の中」になりました。この結果までもわからないとしたら、善良は善良でも、善良すぎて罪人に近いです。

 

まあそれはともかく、今は安心安全で楽しいハロウィンというようなことになっていて、その一方で、現代社会は 100年前とは比較にならないほど陰湿な犯罪が多くなっている……ということも事実です。

時代時代にその社会全体を覆い尽くす「建前」は、決して人の心全体に浸透しているものではないと思います。

 

ちなみに、100年くらい前のアメリカのハロウィンの子どもたちの写真を見ると、楽しげな部分より「暗いやる気」を感じるものが多いです。

1900年代初頭のアメリカのハロウィンの日の子どもたち

fullredneck.com

pinterest.jp

fullredneck.com

3枚目の写真なんて、子どもたちが手を取り合っているのはいいとして、後ろで車が燃えてますしね。これを見ていると、2枚目の写真の子どもたちが持っているビンのようなものも火炎瓶か手榴弾のように見えてきますから不思議です。

「ハロウィンの日には、アメリカ中が子どもたちの襲撃により権威の社会が地獄と化す」という体験をした子どもたちの時代は 100年以上続いたようです。

その後、「こういうハロウィンはいかん」ということで、アメリカ当局が乗り出し、企業と組んでキャンペーンをおこない、現在につながる「企業のためのハロウィン」となっていったということのようです。それ以来、常にハロウィンは莫大な利益を企業に捧げています。

ハロウィンの歴史など人によっては、どうでもいいことなのかもしれないですが、ここには社会の管理の仕組みというものも現されているように思います。

では、ここからです。もちろんスミソニアンの記事は今のハロウィン、つまり「平和なハロウィンになって良かった」ということで歴史を振り返っています。


When Halloween Was All Tricks and No Treats
smithsonianmag.com 2017/10/27

ハロウィンがすべて悪意で、そこに善意はなかった時代

19世紀の都市化がアメリカの無秩序の精神を解放し、休日のささやかないたずらを騒乱に変えた

まだ生活に電気がなかった時代の夜、しかも月も出ていない時を想像してみてほしい。10月の下旬になり、人々はこのように囁き始める。

「魔除けの季節が始まるぞ。夜になれば、墓地から死者たちの霊がよみがえってくるぞ」

そんな話を聞いたあなたは、風が枝を揺らす夜に家まで走って帰り、ドアを椅子で押さえて、ジッとして緊張したまま部屋の中で過ごす。風や物が窓にあたり、あなたは恐怖を感じながら窓を見ると、その外には、口のような穴が開いた胴体のない黒い頭が体から離れている。

よく見れば、それはカボチャをくり抜いて中にロウソクを立てている馬鹿げた細工品だが、しかし、あなたはそうとは気づかずに、恐れたままに震えている。もう一度見るとその黒い頭は消えている……。

これが 19世紀のアメリカのハロウィンだった。

その頃は、いたずら、魔法、そして幻想のための夜だった。小さな子どもを恐がらせるためにジャック・ランタンが壁の裏側から飛び出した。そして、それは子どもたちにとっても楽しいものだった。

しかし、時間の経過とともに、ハロウィンは変わっていった。

アメリカが近代化し都市化が進むにつれて、いたずらは「騒乱」となっていき、20世紀半ばになると、「ハロウィンの問題」と呼ばれるものを鎮静化させる動きが現れ、若者たちの休暇をより安全なものにする運動が引き起こされた。

この過去の「トリック」(いたずら)への鎮静運動がなければ、今日のハロウィンには何の「トリート」(良い作用)もなかっただろう。

ハロウィンは 2000年前に、ヨーロッパ北西部のケルト諸国で生まれた。 11月1日はそれにふさわしい時期だった。暗闇と寒さの危険な季節の始まりであり、古代ケルト人たちがサムハイン(Samhain)のと呼ばれる収穫祭をおこなった日だ。

民間伝承によれば、それは善と悪の両方の霊を解放する現実の裂け目を作りだす。それらの「善と悪の精霊」は、その年に起きた恐ろしい出来事を作り出したとされた。たとえば、妖精の丘の中で消えた人々や、霧から出てきた危険な生き物などはその精霊が起こしたものだ。

アイルランドとスコットランド出身の移民たちは 18世紀と19世紀にハロウィンの迷信をアメリカにもたらした。今の私たちアメリカ人の偉大な祖父母たちは、アメリカで最初のトリックの実行者になった。

その時から、アメリカの子どもたちは、ハロウィンの日には、暗闇の中の道を歩き回るためにアパートや建物のドアノブと他の建物のドアノブにロープを張り、窓にはガラガラと音がなる飾りをつけ、道路にボートを並べた。

子どもたちのイタズラはエスカレートしていった。1887年には、礼拝堂の座席が糖蜜で覆われ、1888年にはパイプ爆弾が爆発、1891年には新しい家の壁が黒く塗りつぶされた。

1894年には、ワシントン DCで 200人の男の子たちが、路上電車に乗っている身なりのいい人たちを小麦粉の大袋で叩きのめした。

それ以前のアメリカ人たちは一般的に小規模なコミュニティに住んでおり、隣人を多く知っていた。ハロウィンのイタズラが起きるのは地元の草原だった。子どもたちはハロウィンにトラブルを引き起こすけれども、大人たちはその罪を自分に向け、笑って過ごした。

しかし、20世紀初頭に多くのアメリカ人たちが大都市に移住して以来、都市部の大きな貧困の問題が噴き出し始め、別離や失業などの新たな問題が浮上した。

その頃になると、ハロウィンには、子どもたちは火災警報器を鳴らし、店の窓に向けてレンガを投げつけ、校長の家に猥褻な絵を描いた。

子どもたちは主に富裕層や大人、権威を徹底的に攻撃した。

子どもたちは、それらにお金やお菓子をねだり、くれなければ「荒らすぞ」と脅した。

大人たちの中に、子どもと戦い始める者たちも出てきた。20世紀初頭のアメリカの新聞には。わずか 11歳から 12歳の子どもに銃で発砲して応じた大人の話が書かれている。ロチェスター校の校長は、「タイヤから空気を抜かれるのは、もはや楽しいことではない」と新聞に投稿した。

拡大するハロウィンの日の暴走に、アメリカの第二次世界大戦への参加が激化していた 1942年、シカゴ市議会はハロウィンを廃止する代わりに、10月31日を「保全の日」として新たな記念日を設けることにした(ただし、実行されていない)。

第二次世界大戦が終わった後も、ハロウィン休暇を制限し再調整しようとする当局の努力は続けられた。それは、ハロウィンの日に大人たちが屋内で祝い、子どもたちを破壊的な行動から遠ざけるためだった。

トルーマン大統領直轄の上院司法委員会は 1950年、地域社会が子どもたちのモラルを育むことを望み、ハロウィンを「青少年の栄光の日」として、別の目的の日に改正することを推奨した。

1962年、ニューヨーク市長のロバート・ワグナー・ジュニアは、ハロウィンの夜の行動の重点を慈善行為に変えるために、ハロウィンを「ユニセフ・デイ」という名称に変更したいと考えた。

しかし、すでに、現実的な問題解決の方法はそれまでに実用化されつつあった。

子どもたちは、すでにこれまでのハロウィンでお金やお菓子を大人に要求していたので、このことを「建設的な伝統」に変えてみようと試みたのだ。

すなわち、隣人からお菓子をもらう際に、それを丁寧に尋ねる方法を子どもたちに教え、準備が整ったら大人にお菓子を持たせるように促す。

これを「トリック・オア・トリート(trick or treat)」と呼ぶことにした。

1930年代後半に、アメリカの雑誌『アメリカン・ホーム』に、「トリック・オア・トリート」についての最初の記事が掲載された。

数多くの家族向け、子ども向けのテレビやラジオ番組でも全国の視聴者に対して、トリック・オア・トリートのアイディアを発表し続けた。

1952年に発表されたドナルド・ダック(Donald Duck)の漫画『トリック・トリート』は、映画とテレビを通じて数百万人にこの内容を伝えた。これは、おとぎ話の中で、「爆薬のかわりにキャンディーを与える」という内容を含んでいた。

無秩序なハロウィンから、トリック・オア・トリートへの移行は、そうすぐには行われないかもしれないという可能性もあった。しかし、菓子などを扱う食品会社の何社かが、このトリック・オア・トリートに注目してキャンディー事業に参入した。

1965年には、ハロウィンのキャンディーと衣装の利益は 3億ドルを突破し、利益はその後も上昇を続けた。

そして、この「トリック・オア・トリート」という言葉が、その後のハロウィンの代名詞となったのだ。

この言葉は、特にベビーブーム時代の若い世代に爆発的に受け入れられた。

ハロウィンの日の破壊と無軌道は次第に消えていき、コスチュームを着た子どもたちが海岸から海岸までライトを持ちながら歩き、大人たちは楽しくそれを歓迎した。

今日、トリック・オア・トリートは変化し、子どもたちは車から車へとキャンディーを求めて歩く。

もちろん、その後も「ハロウィンの騒乱」が完全に消えたわけではない。1994年のハロウィンには、ケンブリッジ大学のキャンパスのドームの頂上に、解体され再度組み立てられた警察車両が置かれていた。2008年のハロウィンには、ニューヨーク市のレキシントン・アベニューの地下鉄車両がを幽霊のような家として装飾された。

現代のハロウィンのイタズラであるエンターテイメント性やインターネット上でのジョークや知的な意味での破壊は、扮装の扱いとしての楽しさを追求するものとなっている。

現代のハロウィンは今でもいたずらを引き起こしつつも、ハロウィンの日というものがどうあるべきかを示しているものなのかもしれない。





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