カナダ・ニューファンドランド島の沖に出現した渦を巻く海氷 / 2016年7月1日
最初に書きますと、今日は実質的に更新はお休みようなことと同様になると思います。
その理由は「考えていたことの結論にどうやっても辿り着かなかった」ので、思っていたような記事が書けなかったのでした。
少し前から、「水の中の死」というものが気になっていまして、それはたとえば、
・アメリカの行方不明者たちのいくつかで共通している「異常に不可解」な事実から推測できる「全世界に広がる失踪システム」。目的や方法は不明
2016/06/23
という記事で、アメリカで、失踪後に遺体となって発見される事象のうちのいくつかに奇妙な共通点があることについてのアメリカの報道を記しました。
いろいろな不可思議な点はあるのですけれど、その中で印象的だったのが、
「街の中などで失踪し、遺体は数日後に特定の水の中で見つかる」
ということでした。
最近、日本でも、 88歳の女性が、部屋から消えて水の中で見つかるという、ややわからない点の多い事象(報道)がありましたけれど、あれも理由がわかれば不思議ではないのかもしれないですが、現時点では奇妙です。
そして、少しだけ調べてみても、アメリカだけではなく、いろいろな国や地域で、「姿が消えて、後から全然違う場所の水の中で発見される」という出来事が、わりと多いことに気づきました。
その時に、ふと「水の儀式・・・」というような言葉が思い浮かんだのでした。
海の周辺も何だかおかしいです。
7月4日に千葉県の海岸で起きた心中事件のようなものも、報道を読むだけでは、わけがわからないです。
しかし、まあ、個別の出来事はともかくとして、全体をいろいろ想像してみたのですが、何も思いつかず、それならオカルトレベルで考えるとどうなのだろうと思いましたが、やはり何も思いつかないうちに、時間だけ経って今にいたります。
そんなわけで、おそらくは、世界全体で、「何か起きている」・・・というか、何か起こしている存在があるということのように見えるののですけれど、それがどういうものか想像さえつかないのです。
これだけ考えても、まったく何の輪郭も浮かばないということは、「そのことは考えるな」ということなんでしょうかね。
あまりにも奇妙な連続を見ていると、それもまた真理のような気もしてきます。
ソ連時代の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーさんの 1972年の映画に『惑星ソラリス』というものがあります。
そこでは、「海が知性を持つひとつの有機体」として描かれ、その海の知的活動が人類に何か影響を与えているのかもしれないというようなものでしたが、そういうような大局的なことさえ考えてしまう部分もあります。
海や水と、人間の知性や感情のどこかの部分が共鳴していて、水が人間の行動に介入しているというような可能性だって、そんなことは馬鹿げた話に聞こえたとしても、「この世は周波数からできている」という概念から見れば、あり得ないことではないのかもしれないとか。
でもまあ、よくわかりません。
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ところで、前回の記事は、「爆発」事象に焦点を当てたものでしたが、記事を書いた後に、サウジアラビアで自爆テロが相次いだことが報じられていました。
・サウジ国内で爆発相次ぐ モスクや米総領事館標的か (朝日新聞 2016/07/05)
中東は断食期間のラマダンが明けますので、これからの時期も同じような事例が増えてしまいそうな感じです。
英国デイリーメールが、過去数週間のあいだに IS が世界各地で起こしたと見られるテロによる死者数を国別に挙げた図を掲載していましたが、 IS の地域的な勢力が減っていると伝えられている中で、むしろ海外でのテロは増える一方に見えます。
ISが過去数週間に各国で起こしたとされるテロ
そして、1カ月後にはオリンピック。
オリンピックを向かえるリオデジャネイロでは、少し前に、「警察と消防士」たちによる下のようなデモが行われました。
7月4日、リオデジャネイロ国際空港で行われたデモ
・BBC地獄へようこそ
リオの警察官と消防士たちは給料を受け取っていません。従って、リオデジャネイロに来る方々は、それが誰であろうと安全ではありません
いわゆる「おもてなし」というものと反対の立場を彼らは表明してくれているようです。
というわけで、場合によっては、治安機能があまり働かない中での開催となってしまうのかもしれません。
さらに、下はリオデジャネイロの高架に書かれたものです。
予想以上に混沌としてくる可能性もある今年の夏ですが、せめて、気温と気候くらいは穏やかであってほしいですけれど、それも難しいのですかね。
というわけで、記事にもならない記事をアップしまして、申し訳ありませんでした。