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2019年からの世界 人類の覚醒と真実 地球という場所の真実

「人のようなもの、神のようなもの、獣のような様々な魑魅魍魎たち」が毎瞬間出現し続けているようにしか見えなくなってきている最近の地球の空

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ポーランドのバルト海沖の雷雨の雲 2019年8月9日


Grzegorz Zawislak




以下の写真は、スペインのテルエルという場所の上空で撮影された、要するに、単なる雲の写真なのですけれど……。

スペイン・テルエル市上空の雲 2019年7月17日


Juan DSG

私には、下のように「雲の表面のどの部分も人の顔やモンスターの顔に見える」というようなことがあったり……。

 

下の光景は、ロシアのアムール州で 7月に撮影された。これも単なる積乱雲ですが……。

ロシアのアムール州に出現した積乱雲 7月13日


fobosplanet

これなんかも、いろいろなものが、そこから出てきそうな風景に見えてしまうのですね。下の部分はわかりやすい部分ですけれど、他にも、いろいろな動物やモンスターが雲の中から「次々と造り出されている」ような……。

 

あるいは、下は、米フロリダ州のデルレイビーチという場所で撮影された、これも単なる積乱雲ですけれど、これなんかは「何かの登場」そのものの感じがするのですね。

米フロリダ州デルレイビーチの雲 6月30日


Dan Ellithorpe

スーパーセル(超巨大積乱雲)というようなものは、以前は出現すること自体が珍しいものでしたけれど、今では、わりとありふれたものになっています……が、スーパーセルなんかも、じっと見ていると、いろいろなものに見えてきたり……。

カナダ・サスカチュワン州に出現したスーパーセル 7月7日


Saskatchewan, Canada, July 7, 2019

1979年のアメリカ映画「エイリアン」に出てくるエイリアンの横顔


Alien

 

何だか、最近は、どんな自然の風景を見ていても、「何もかも擬人化できそうな感じ」がして仕方ないのです。

擬人化というか、動物やモンスター的な存在などを含めてですが、以前から私には多少はこういう「ものを擬人化して見る」という傾向はあったと思いますが、しかし、ここまで「何もかも」が、いろいろなものに見えるというのは、かつてはなく、最近になっての感覚だと思うのです。

自分の中の何かが変わったのか、自然のほうが変わったのか、そのあたりは何とも言えないですが、いろいろな風景を見るたびに、

「この世は、どこからでも、生き物とか魑魅魍魎が出てくるなあ」

と思います。

この夏の世界各地の空で、少なくとも私には「いろいろなものが生まれるか、出現しようとしている」というように見えた光景の中から、いくつかご紹介させていただきたいと思います。

見え方や感じ方は人それぞれですので、どのように見えているのかについてはふれないでおきます。

 

そこから何か生まれてきそうな2019年夏の世界の空

ノルウェーのオスロの空を覆ったアスペラトゥス波状雲 7月12日


Adrianna Amk

ハンガリーで撮影された雲 6月20日


Meteoplaza

大西洋のマデイラ島にて 8月13日


earthreview.net

ポーランド沖の雲 8月9日


Grzegorz Zawislak

カナダ・オンタリオ州の雷雨の中のヤマタノオロチ的雲 6月28日


Jason O'Youn

米イリノイ州マコームの雲 8月13日


khqa.com

米テキサス州エル・パソの暴風雨の雲 7月7日


Eric Lars Bakke

ルーマニアのトランシルバニア地区の上空で撮影された雲 6月25日


fobosplanet

香港と台北間の上空で撮影された極彩色のレンズ雲 7月14日


earthreview.net

噴火する桜島の噴煙 7月7日


kokusho_0324

カナダのアルバータ州に出現した巨大な黒い雲 7月23日


Kyle Brittain

ロシア・モスクワに出現した赤いキノコ雲 7月2日


Margarita Tsareva

チェコ共和国ズリン市の空 6月13日


earthreview.net

ポーランド・ノビソンチでの雷雨の中の空 6月14日


Tomasz Madejski Fotografia

メキシコ・ポポカテペトル火山の噴火の様子 6月14日


Red Climatica Mundial

これに関しては、キリがないのですけれど、写真が多すぎてページが重くなってしまうのも良くないですので、このあたりまでとさせていただきます。

そういえば、もう 10年ほど前のものですが、ウェブボットを翻訳されていたヤスの備忘録のヤスさんが、当時の難解なクリフ・ハイのエッセイに解説をつけてくださっていたことがありました。

それは「唯心論では《存在》とは何か」というようなことです。以下、一部抜粋します。

2009年2月のウェブボットのヤスさんの解説より

唯心論および唯識

東西を問わず、宗教を含む哲学の基本的な考え方には唯心論と呼ばれる思考の系譜がある。これは、客観的な世界はもともと存在せず、世界はわれわれ人間の意識が作り出したものであるとする考え方だ。

仏教では同種の思想を唯識などとよぶ。西欧哲学ではフッサールの現象学がそうした考え方の典型だ。

意識の流れが世界を作る

では、人間が介在する前の世界とはいったいなにかというと、それは個々の対象物には分かれていない、のっぺらぼうな塊であると考えられている。例えば世の中のすべての存在物の真の姿がエネルギーの塊であるとするなら、対象物はそれぞれ独立した個物ではなく、エネルギーが相互に干渉しあう「場」として見えてくるだろう。そうすると世界全体も、様々なエネルギーの「場」で作られる大きな川の流れのように見えてくるだろう。

そのような、もともと個別の対象物がはっきりとは区別されていない世界に、「花」「木」「石」などというような個別的な対象物を見出しているものこそ実は人間の意識の作用であるとするのが唯心論の基本的な理解である。

人間の意識が刻一刻と対象を切り出し、個物に分けているというのだ。したがって、いまわれわれの目の前にある世界はわれわれの意識が作りだしたものであり、意識なくしては存在しないというのだ。

悟りとしての「流れ」の体験

意識が世界を作り出す過程はほとんど無意識に行われてしまう。われわれが特に「世界を作り出だそう」という意思を働かせなくても、意識の作用として自然と世界はできてしまっている。

だが、現象学の現象学的還元、座禅、道教の修行など特殊な修行を行うと、意識が世界を作る作用から距離を置き、その過程を実際に見ることができるという。

その過程は、エネルギーの流れのようなものがしだいに個物へとまとまってゆく体験であるといわれている。

 

ここまでです。この中にあります、

> 人間の意識が刻一刻と対象を切り出し、個物に分けている

というようなことが、単なる風景が「その人には、そのように見えている」ということと関係することなのかもしれません。

単にボーッと風景を見ている中でも、私たちは「意識から世界を創ろうとしている」というようなことになる・・・のですかね・・・。

唯物論オンリーの今の世の中では、このあたりは難しいことでもあります。

もっとも、現実的な話として、「風景の見え方」は、人によって、かなり違うものであり、見る人によって、あるいは同じ人でも「感情によって見え方が違う」ということもあります。

あるいは、以下の記事でふれたことがありますが、「母国語によって、風景の見え方は違う」のですね。言葉によって、色の感じ方がずいぶんと違うことが、最近の研究でわかってきています。

人間の嗅覚の謎がほんの少し解明される中で思う「人はそれぞれ同じ世界を違う色で見ていて、同じものに違う匂いを感じている」こと

つまりは、ひとりひとり「感じている世界はまったく違う」ことになり、まして、そこにひとりひとりの感情や喜怒哀楽が関わってきますと、実際には、

「みんなが同じ風景を見ていても、それぞれの人たちには、まったく違う光景にうつっている。あるいは同じ人でも、時間によって、違う風景に見える」

という可能性が高いです。

ですので、ひとりひとりの「見えている世界、聞こえている音、感じている感覚」は、その人だけのものなのかもしれません。

そういう意味では、見えていたり感じたりできている世界は、その人にとって大事なものであり、見えているその光景に興味を持ち続けるということは悪いことではないのかもしれません。





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