2014年3月20日のネイチャーより
・Human nose can detect 1 trillion odours
視覚と同様に嗅覚が人により異なるメカニズムが判明しつつある
最近、「匂い」に関しての報道や科学記事に接する機会が多いです。冒頭の 2014年のネイチャーの記事「人は 1兆種類の匂いを嗅ぎ分けられる」というのは、これは今回ご紹介するものではないですが、人の嗅覚というのは、このように「ものすごいもの」だということを再確認するために、最初に載せさせていただきました。
しかし実は、「どうして人間が無数にもあるだろう匂いを嗅ぎ分けられるのか」については、実はほとんどわかっていないのです。
人間、あるいは他の生物に「嗅覚受容体」という匂いに対しての受容体タンパク質があることがわかったのは、比較的最近のことで、この嗅覚受容体の研究をした科学者がノーベル生理学賞を受賞したのは 2004年でした。
この嗅覚受容体というのは、人間の場合は、この体内に「 396 種類」もの種があり、それぞれがさまざまな匂い分子に反応する・・・のですが、しかし、冒頭の「 1兆の匂いを嗅ぎ分けられる」に対応するのが 396種類ということからもわかりますが、この 400近い嗅覚受容体が、さままざまな匂いに対して複雑に反応することにより、人は匂いを感じています。
しかし、実は、人間の匂いの認識システムの中には、わからない部分があまりにも多いようで、その「わからない部分」としては、たとえば、
「なぜ、人により匂いの感じ方が違うのか」
「なぜ、人により良い匂いと、そうではない匂いが違うのか」
というようなことは、研究しようにもできないこととして、科学の世界ではふれられてこなかったのですが、今回ご紹介する記事は、そのことへの答えを見出そうとしている科学者たちの話となります。
そして、少しずつわかってきたことは、それらの「匂いの感じ方の違い」や「好きな匂いに違いがあること」は曖昧なことではなく、
「嗅覚受容体の遺伝子の人それぞれの小さな変化」
が関係している可能性が高いということでした。
これは、ご紹介する本記事の後に記しますが、人間の感覚には、たとえば、視覚においても、
「人によって見るものの色が違う」
という厳然たる現実があるのですけれど、私は以前からこのことに興味がありました。
というのも、この「見えている色が異なる」という事実は、たとえそれが些細な差異であっても、
「人によって、見えている世界が異なっている」
ということを意味しているからです。
少しずつではあっても、「世界の見え方は人それぞれで違う」のです。
これは事実です。
そして、今回の「匂い」。
嗅覚というものに対しては、ルドルフ・シュタイナーなども数多く言及していまして、そのことに詳しくふれる余裕はないですが、「嗅覚は、見ずとも聞かずとも、直接的に自分がいる世界を感じとることのできる感覚」ではあります。
たとえば、良い香りがする花に囲まれている場所なら、花を見なくとも、自分が花に囲まれていることがわかります。街の匂い、自然の匂い、焼き鳥屋の匂い、これらが特に意識しなくとも、自分の感覚に入り込んで来るのが「匂い」なわけで、常に外界と直接的につながっているのが嗅覚です。
別の言い方ですと、「常に世界と一体化している人間の感覚」だと思っています。
そして、その匂いに対する感覚もひとりひとり違うという現実があり、そのメカニズムが少しわかってきたということになります。
まずは、記事をご紹介します。
医学メディアの記事なのですけれど、正直、内容は難解でして、うまく訳せていない部分も多いと思いますが、大まかな感じでも「人間の感覚は、それぞれ少しずつ違うように作られている」というようなことを理解できそうな気がします。
ここからです。
From genes to receptors to perception: olfaction unraveled
medicalxpress.com 2019/04/30
遺伝子から受容体、知覚へ : 嗅覚を解明する
数年前、インターネット上で「ドレスの謎」の話題で沸いたことがあった。それは同じドレスを見て、人により、それが「白く見えたり、黒く見えたり、ゴールドに見えたりする」という話題だった。
インターネット上で繰り広げられたこの議論では、私たちが何を見ようとも、個人的な感覚の世界は、人により著しく異なるということを強調することになった。
このような「人により視覚の感覚が違う」というようなことについては、視覚に関しての専門家たちにさえも、なぜそのように色が違って見えるのかということについて、統一した見解は存在しない。
そのような中で、米ペンシルベニア州にあるモネル化学感覚研究所と共同研究機関による新たな研究は、「匂い」の感じ方に個人差があることを理解することに焦点を当てている。
そして、単一の嗅覚受容体の遺伝子の小さな変化が、人により匂いをどれほど強く感じるか、あるいは、それを良い香りと感じるかということに影響を及ぼし得ることが示されることによって、嗅覚受容体が、匂いに関する情報が脳に届く前であっても、その匂いの性質に関する情報をコード化しているメカニズムの理解を広げようとしている。
モネル研究所の研究員キャセイ・トリマー博士 (Casey Trimmer, Ph.D.)は、以下のように述べる。
「嗅覚の受容体群の自然の多様性を利用することにより、嗅覚系がどのように機能するのか、そしてこの臭覚系の人それぞれの違いが、人それぞれの食べ物の選択や、そこからの栄養の影響、そしてその人たちへの全体的な健康にどのように影響するかについての洞察を得ることができるのです」
人間の鼻には、嗅覚受容体として知られる約 400種類の特殊なセンサータンパク質がある。
匂いの分子は、それ 1つで、異なる複数の嗅覚受容体に働きかけ、活性化することができるが、任意のいくつかの嗅覚の受容体は、いくつかの異なる匂いの分子によってのみ活性化される。
まだ匂いの分子が復号化されていないプロセスにおいて、人間の嗅覚系は、どのようなメカニズムのもとにこれをできるのかはわからないが、まだ復号化されていない存在を認識するために、これらの受容体の活性化のパターンを解釈するのだ。
その匂いの種類、そして、その匂いの強さを、匂いの分子を受容体が認識できないはずの段階で解釈する。この世の匂いの種類や強さは、何百万あるいは、何兆にもおよぶだろうが、それを認識するのだ。
上級研究員のジョエル・メインランド博士 (Joel Mainland, Ph.D.)は、以下のように言う。
「人間の嗅覚受容体が、匂いの分子からの情報を、それぞれの匂いの種類、その強さ、そして、それがその人にとって良い匂いに感じるかどうかということをどのようにして知覚に変換しているのかは現在はあまり知られていません」
「私たちは、嗅覚受容体遺伝子の変動が匂いの知覚をどのように変化させるかを調べることによって、それぞれの受容体の機能を少しずつ理解し始めています。これは順番に嗅覚コードを解読して、嗅覚をデジタル化することができるものです」
ヒトにおいては、きわめて一般的な嗅覚受容体遺伝子のわずかな差異が、各受容体の機能に影響を与えている可能性がある。
これらの遺伝的な差異は、たとえば、2人の人が同じ分子の匂いを嗅いだ場合、1人の人は、その分子に花の匂いを感じるけけれど、もう 1人は「何の匂いもしない」というようなことを意味する。
アメリカ国立科学アカデミーの議事録での発表によれば、本研究では 332人に対して、それぞれが知覚する匂いの強さと 70近くの種類の匂いについて「良い匂いだと感じるかどうか」を評価することによってこの現象を大規模に調べた。
研究で使用した匂いの多くは、食品の一般的な成分であり、研究に現実的な関連性を提供している。
科学者たちはまた被験者から DNA サンプルを入手し、各被験者から 400以上の嗅覚受容体遺伝子の DNA の違いを特定するために、ハイスループットシーケンシング技術(数十万本の DNA を一度に配列することができる新しい解析技術)を使用した。その後、数学モデルを使用して、各遺伝子の差異が匂いの知覚にどのような影響を与えるかを調査した。
トリマー博士は以下のように述べる。
「私たちは、嗅覚受容体が壊れた形をしているある人の匂いの知覚を識別するために、遺伝子を用いました。そして、それと同じ嗅覚受容体がより機能的であるものを持つ人とのそれぞれの匂いの知覚を比較しました。その結果は驚くべきものでした。たったひとつの受容体の形の変化が、しばしば人の匂いの知覚に十分に影響を与えるのです」
「ほとんどの匂いはいくつかの受容体を活性化するので、1つの受容体を失ってもその匂いの認識方法には違いがないと、これまで多くの科学者は考えていました。しかし、そうではないのです」
この知見はまた、受容体の機能性が匂いの知覚される強さの変化と結びついていることも明らかにしている。
例えば、OR11A1として知られている嗅覚受容体の機能性がより低いものを持つ人々は、この受容体のより機能的なものを持つ人々よりも、匂い分子の「 2-エチルフェンコール」の匂いを強く感じないことがわかった。
「 2-エチルフェンコールを伴う匂いは、たとえば、ビートのような根菜類の食物が素朴な風味を持つことの理由になっているため、OR11A1受容体の違いが、ビートのような食物の風味が、人により『素朴だ』と感じることもあれば、『土のような味だ』と感じることもある理由になっていると説明できる可能性があります」
今後、研究者たちは、数学モデルを使用して複数の受容体の匂いの知覚への寄与を調べることにより、嗅覚系に対する理解を深めることを目指す。
ここまでです。
記事の最初にありました以下の下りは、最初、何のことだかわかりませんでした。
数年前、インターネット上で「ドレスの謎」の話題で沸いたことがあった。それは同じドレスを見て、人により、それが「白く見えたり、黒く見えたり、ゴールドに見えたりする」という話題だった。
これは、調べてみましたら、2015年に、主にアメリカのインターネット SNS 上で、以下に示します女性用の「ドレスの色」が、
「見る人によって、黒にも青にも白にも金色にも見える」
という議題が提示されて、非常に議論が盛り上がったそうなのです。
なぜなら、実際にそれを見た人たちの中に、黒に見える人も青に見える人も白に見える人も金色に見える人もいたからだそうです。
以下はそのことを報じていた当時のニュースで、この写真がそのドレスとなります。
2015年2月の米国の報道より
この見出しを見て、「いや、しかし・・・」と思うわけですよ。
私の場合ですと「白」や「金色」というのはまだ理解できますけれど、このドレスが「黒に見える」とか「青に見える」というのはもうわからないです。
「黒はないだろ、黒は」
というようにつぶやきながらも、しかし、たとえば、この記事を読まれている方の中には、このドレスを「黒いドレス」と認識される方もいらっゃるのかもしれないのです。
そして、ふと、昨年のメルマガ『最新の言語学調査から思う「日本人は他の誰も見えない世界を見ている」こと』で書きました内容を思い出したのです。
その中で、「サピア=ウォーフの仮説」という仮説の主張が証明されたかもしれないということを部分的にご紹介していました。
サピア=ウォーフの仮説は、Wikipedia からですと、以下のようなものです。
サピア=ウォーフの仮説は「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱する仮説。
言語相対性仮説とも呼ばれる。
これはもっと簡単にいいますと、
「言語によって、現実世界の見え方や感じ方が違うはずだ」
という仮説となります。
2018年8月に、ドイツのフンボルト大学の研究で、これが証明された可能性があるという科学記事の概要を記しました。
以下のようなものです。
Your native language affects what you can and can’t see
私たちそれぞれの母国語は、私たちの「見えるもの」あるいは「見えないもの」に影響する
この世界には数多くの言語がある。
それぞれの人たちが話す言語が、その人たちがこの世界をどのように考え、そして経験するかということに影響を与えるという考え方(いわゆる「サピア=ウォーフの仮説」)には長い歴史がある。
この問題に関する多くの研究では、「色の知覚」に焦点を当てており、母国語によって、色のカテゴリーが異なるということがわかってきており、それにより、言葉によって、「同じ世界を違う光景として見ている」という証拠が積み上がっている。
ドイツのフンボルト大学のふたりの研究者が、学術誌「サイコロジカル・サイエンス」に発表した新しい論文には、言語的な違いのような、人のビジュアル処理に影響を与えることによって、その人たちが色のついた形を見ることができるか、あるいは見ることができないかを決定することができるということが実験でわかったことについて書かれてある。
彼らは論文で以下のように述べる。
「私たちそれぞれの母国語は、意識的に事物を知覚することを決定する力の1つである」
ここまでですが、この実験の結果は、簡単に書けば、
「さまざまな母国語の人たちは、母国語によって色の認識が少しずつ異なっていた」
ということになりました。言葉によって、色の感じ方が違うのです。
ですので、たとえば、日本語を母国語とする日本人は、他のどんな母国語の人たちにもない色彩感覚を持っているはずです。もちろん、他の母国語の人たちも、それぞれが違う色の認識をしているわけです。
「世界の色を異なって認識している」ということは、「世界の見え方が言葉によって違う」ということになりますが、そのような母国語というような大きな括りではなくても、いろいろと違うのです。
たとえば、「女性と男性」では、色彩に対する認識が非常に違います。
これは具体的なことを書くと長くなりますけれど、現実として、大企業などでのデザイン部門で、「女性にしか見えない色彩がある」ことにより、女性だけの部署というものが存在します。ビジネス上のこととしても普通のこととなっているようなんですね。
どうやら男性には「識別できない色」がかなりあるようなんですよ。
もちろん、これは良い悪いとか優劣の比較の話ではなく、「そういう差異が現実としてある」ということです。
そして、今回の「匂いの感じ方の差異」の原因は、ひとりひとりの受容体レベルの「小さな違い」が作りだしていると考えられる、ということから想像しますと、見ることも匂いを感じることも同じなのかなと。
体内にある受容体に、「ひとりひとりに」それぞれ構造上の小さな差異がある。
おそらくは、厳密に調べてみれば、小さな受容体の違いなどは、すべての人にそれぞれあるはずで、そういう意味では、
「この世は、すべての人たちが違う色彩と、違う匂いの感じ方をしている」
という可能性があるのかなと。
なお、「匂い」というように書きますと、鼻からの嗅覚だけを思うかもしれないですが、実際には、食べ物を食べている時の「味」というのは、その大部分が嗅覚による風味でありまして、味覚というものは、現実には嗅覚と共にあるものです。
風邪などで鼻が効かない時に何かを食べる時の味気なさはものすごいものですが、嗅覚を失うと、結局は「味そのものを失う」ことになるわけで、私たちは食べているすべてのものに対して「嗅覚で味わっている」といえるかと思います。
そして、おそらく、味についての感じ方がひとりひとりが異なる理由も嗅覚のメカニズムと同じあたりにありそうです。
このあたりから、たとえば、以下のような考え方は、飛躍しすぎかもしれないですが、こんなことを思うのです。
人間という生き物は、「もともとがひとりひとり全員が少しずつ違う世界を感じられるようにつくられている」
たくさんの人間が地球に存在していること自体が、パラレルワールドと同じ状態となっていると。
それぞれの中に少しずつ違う感覚世界がある。
このように考えれば、たとえば、その人の感覚世界は、その人だけのものなのですから、大事に一生懸命感じて生きることには意味があるということなのかもしれません。
何しろ、この世界をこのように感じているのは、あなたならあなた、私なら私、のひとりだけなのですから。
まったく同じようにこの感覚世界を感じている人は他にはいないのですから。