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12月06日にメルマガ免疫と戦争とパンデミックと5Gを発行させていただきました。

2017年からの世界 人類の未来 日本の未来

弥勒の世は来ない……(かもしれない)

投稿日:

2017年1月19日のコリマ山の噴火の瞬間

Webcams de Mexico

昨日今日は「眠気」がひどい日で、今日などは実際に気絶するように伏してしまったりしていました。

「さらにナルコレプシー的な様相が強まっているなあ」と思いつつも、そんな合間に用事を済ましたり、いろいろどうでもいいことをしているうちにあっという間に一日が終わっていました。

ちなみに、ナルコレプシーという病名は診断されて初めてつくもので、いくつかの具体的な診断基準がありますが、仮に、「ナルコレプシー」という病名がついた場合、病院でどんな薬が投与される可能性があるかといいますと、以前ならまず、

リタリン

となっていました。

この「リタリン」という薬は、1年くらい前に、

子どもたちの未来。メンタル治療とリタリンやコンサータ。そして、私がかつて見たリタリン常用者たち
 2015/12/17

という記事でも書いたことがありますが、以前は、多動(ADHD)などの、つまり「子どもたち」にも処方されていたものでした。

このリタリンは「メチルフェニデート」という化学薬で作られるもので、どういう性質かといいますと、Wikipedia にはこうあります。太字は私によるものです。

メチルフェニデートは、精神刺激薬である[1]。日本ではリタリンと、徐放製剤のコンサータが認可されている。

同効薬として、精神刺激薬のメタンフェタミン、ペモリン、モダフィニルなどがある。リタリンの運動亢進作用は強度と持続性において、メタンフェタミンとカフェインのほぼ中間である

第一種向精神薬(麻薬及び向精神薬取締法)と処方箋医薬品・劇薬(医薬品医療機器等法)に指定されている。

ここに、

> 同効薬として、精神刺激薬のメタンフェタミン

とありますが、「メタンフェタミン」は、どういう扱いをされているものかといいますと、メタンフェタミン - Wikipedia の記載を抜粋してそのまま載せますと、

日本では覚せい剤取締法により覚醒剤に指定されている。

ということで、メタンフェタミンは覚醒剤のことです。

これと同じ薬効を持つものが、医療の現場でのリタリンやコンサータ、ペモリンなどの名前の薬ということになります。

コンサータは、多動などの子どもにも処方され、ペモリンと、あとモダフィニルという薬が、ナルコレプシーやうつ病などに処方されます。

コカインとリタリンの作用が同じことを示した細胞の実験
How to stop taking Ritalin

こういうものはどんなものでも連用すると、いろいろと問題もありそうですが、リタリンを含めて、日本での正式名医療薬です。

まあしかし、それ以外の対症治療の方法が(現在の西洋医学には)ないことも事実なのかもしれません。

何しろ、「医学とは対症療法なり」というこみとが確定しつつある医学世界ですので、症状を消すことがすべての雰囲気があります。

そんな中で、現在の医療の、うつ病やナルコレプシーに対しての基本的な対応は、このように、「眠かったり、うつだったりするなら、興奮剤で脳を刺激し続ければいい」ということになっています。

ちなみに、その、日本で、ADHD やナルコレプシーに処方されている「ペモリン」ですが、ペモリン - Wikipedia には以下のように書いてありました。

アメリカでは肝臓障害による死亡を受け、2005年に販売を停止した。いくつかの国で販売を中止した。

日本ではバリバリの現役で処方されている薬です。

確かに病気はいろいろと大変ではありますが、出る症状を無理やり薬で抑え続ける方法はいつか破綻するという気もします。

亡くなった安保徹さんもおっしゃっていましたし、様々な過去の医療に携わる賢人は言っていましたけれど、「症状は体の回復過程」ということで、それはつまり、

「症状は体が必要としているから出ている」

ということは確かだと思います。

これは「熱」ひとつとってもわかりますが、ウイルスや細菌に感染して発熱するというのは、治癒への大きなステップでしょうし、下痢や嘔吐から、めまいや震えや痛みなども、すべてそういうことなのかもしれません。

 

まあ・・・こんなことを書きたいわけではなかったですが、最近の頻繁に異常な眠気の流れから、医療の現状というものをふと思っていまいました。

結局、今日はちゃんとした記事を書く時間がありませんでした、ということを書きたかったのです。

 

それにしてはも、今回のタイトルは何か?

いや・・・これはあまり何か具体的なことではないのですが、今年 2017年になって、突然のように「世界の変革」、すなわち、いわゆる「世の大立替」というようなものが、

「なくなったかもしれない」

というようなことが囁かれることがあるようなのですね。

難しいことはわからないですし、具体的なことに言及するつもりもないですが、昨年から、今年は「1」の年だというようなことを、たとえば、

数秘術で終わり《9》を意味する2016年から、始まり《1》を意味する2017年への移行の中での激変を避けることはまず不可能
 2016/12/12

という記事などで書いたことがあります。

今年は何の始まりなのか、ということに関して、やや混沌としてきた感もあるのかもしれません。

そして、どうやら、もはや予言とか、そういうものはすべて通用しないというような状態になっているのかもしれません。

 

物質として存在しているものは必ず消えてなくなりますが、本来は、私たち人間の根幹は「消えない存在」のはずなのですが、その意識がここまで薄くなってきますと、確かに、どうなのかわからない面も出てきたのかも知れません。

 

今年は、見て、体験して、受けるままに生きていく中で、どうなっていくのかを考えるとかないのかもしれません。

 

そんなわけで、今、倒れるながら眠って(笑)、起きたまま雑談を書いてしまいました。

ちなみに、冒頭の写真は、最近、噴火が激しいメキシコのコリマ山の 1月19日の「噴火する瞬間」の画像です。

そして、次の瞬間、コリマ山はこのように超大爆発を起こしました。

2017年1月19日のコリマ山の噴火

Webcams de Mexico

 

なお、今年は「不安」や「恐怖」を感じることが、これまでより多いような気がするのですが、日本の賢人のひとりかもしれない中村天風さんの言葉を抜粋して締めさせていただこうと思います。

「現実の恐怖」は、ただやってくるのではなく、「あらかじめ恐怖を自分の中につくっているからやって来る」という話であり、私は特にこのことを戒めながら生きないといけないタイプの人間ですが、いまだにできていません。


中村天風語録集『運命を拓く』より

恐怖観念、詳しくいえば、病はもちろん、人事世事一切の出来事に対して、物を怖れるという気持ちくらい、価値のない結果を人生にもたらすものはない。ところが、今までのあなた方は、ちよっとでも体が悪いと、すぐおののき、怖れている。

わずかな運命に見舞われても、それが、とてもどえらい運命になってしまうように怖れてしまう。毎日の人生一切の出来事に対して、この恐怖観念で応接しているという場合が多い。このくらい、人生というものを哀れな状態にするものはない。なぜかというと、恐怖すればするほど、価値のない結果が人生にくるからである。

何度も言っているとおり、宇宙霊という生ける大きな生命は、常に我々人間の心で思ったり、考えたりする事柄の中で、特に観念が集中し、深刻な状態の時に、その観念が、その事柄に注がれると、咄嗟にそれを現実の「すがた」に表現しようとする自然作用があるのである。

そこで考えてみよう。

一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、瞬間的でも、観念が集中されたとすると、それが宇宙霊の力を受け入れる「鋳型」が用意されたことになる。そのとき出来上がっている「鋳型」というものが、良かろうと、悪かろうと、極めて確実な「すがた」が出来上がったことになる。そうすると、その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。否、むしろ、そうなることが当然である。





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Oka In Deep

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