「神々と死者を黙らせるには」
先日、以下のような報道を見ました。朝日新聞の報道です。
京都の「大文字」、勝手に点灯 いたずら? 憤る関係者
京都の夏の伝統行事「京都五山送り火」で「大文字」がともされる如意ケ嶽(京都市左京区)で 8日夜、「大」の文字がライトアップされていたことが分かった。
今年の送り火は、新型コロナウイルスの感染拡大防止で「火床(ひどこ)」と呼ばれる火をともす場所を大幅に減らすため、「大」の文字などが浮かび上がることはない。
何者かのいたずらとみられる。 (朝日新聞デジタル 2020/08/09)
報道に掲載されていたその時に撮影された「いたずら」とされる「大」の光景は以下のものでした。
8月8日 京都市の大文字山に光る「大」の文字
・朝日新聞
この写真の規模を見まして「いや、いたずらって……」とは思いましたが、まあしかし、報道によりますと、過去にもイタズラはあったようですので、どういう理由であるかはともかく、この写真を見て、しみじみ思ったのが、
「大の右下が欠けている」
ことでした。
そして、この「大」という文字は、フォルムとしては「五芒星(ペンタグラム)」であることにも気づき、今から 10年近く前のことを思い出していました。
それは、以下の写真にあるものです。
2010年12月20日 南米コロンビアのグラマロテ
・In Deep / 災害現場の空に浮かび上がる「欠けた五芒星」…
これは、2010年の年末に、南米コロンビアのグラマロテという町のほぼ全域が「原因不明の大規模な地崩れで完全に崩壊した」ことを取り上げたことがあったのですが、以下の記事に写真などがありますけれど、その後に、「ふと」気づいたものでしたが、教会のようなふたつの建物の間の空中に
「突起がひとつ欠けた逆五芒星が空中に浮かんでいる」
のです。
・原因不明の地割れと地滑りで破壊され「7日間で地図から消えた」コロンビアの町 ( In Deep 2011年01月19日)
「逆五芒星」というのは、五芒星は「星の形」ですが、それが「逆」になったもので、Wikipedia には以下のようにその意味が記されています。
五芒星 - Wikipedia より
五芒星とは、5つの角を持つ星マークのうち、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形である。
5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。
世界中で魔術の記号とされ、守護に用いることもあれば、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。
このように、
> 上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。
これが「逆五芒星」です。
そのような逆五芒星が、災害で完全に消滅しようしている町の空中に浮かんでいるという光景がそこにあったのでした。
今回の京都の「欠けた大文字」を見て、この 10年前のことを思い出しのです。
このコロンビアの空中の五芒星については、時期がクリスマス前だったことと、白いコードのようなものが見えますので、おそらく、この星形の物体は、クリスマスの装飾用のライトなのだと思われます。それが地域の崩壊でこのようになったと。
そういう意味では、特別不思議な出来事ではないのですが、強く印象に残りました。
私にとっては、その後も逆五芒星というのは因縁めいていまして、たとえば、このコロンビアの事例で逆五芒星に興味を持った私は、その後そのことを調べたりしていたのです。
そして、逆五芒星についていろいろ調べた結果として、ある日、以下のようなタイトルの記事を投稿しました。
・様々な場面での「逆」五芒星 (In Deep 2011年03月11日)
日付けをご覧いだたくとおわかりかもしれないですが、2011年3月11日のことでした。
この頃は早い時間に記事を書くことが多かったのですが、投稿した後、午後に外出した直後に、東北大震災が発生したのです。
次の日の 2011年3月12日のブログを見ますと、以下のような始まりでした。
2011年03月12日のブログ記事「こどもたち」より
昨日のブログを更新した後、街に出ている時に地震に遭いました。
子どもが幼稚園にいたので、とにかく走って幼稚園まで駆けつけると、幼稚園では先生方がホールの真ん中で懸命に子どもたちを守ってくれていました。
初めて知ったのですが、その幼稚園の建物はかなり強度の耐震設計をしているとかで、たしかに花瓶ひとつ倒れておらず、耐震設計というもののすごさを知りました。このあたりの普通の家では家具などが軒並み倒壊していました。
少し安心したのは子どもたちの多くが意外と元気だったことです。
不安げな顔をしている子はいたものの、泣いている子はひとりもおらず、それどころが私のところに何人かの男の子たちがやってきて、「船に乗ってるみたいだったよ」と、みんなで揺れている真似をしたりしていました。
被害を受けてしまった方々には今回はまだ被害の全容もわからず、またあまりにもひどい災害で、半端なお見舞いの言葉は書けません。
今回の欠けた大文字を見て、当時の雰囲気を思い出します。
その 2011年の後、段階的に「日本の何か」が破壊され続けていきました。
2013年には、「富士山が世界遺産に登録される」ということがあり、私は愕然として、以下の記事を書いたことがあります。
・富士山はもう日本人を守らない (2013年05月08日)
世界遺産に登録されるということは、それ以前に、「審査」や「価値の検討」が「外国人たちによって行われる」わけです。
本当に富士山が日本人にとって霊峰であり、日本人の神様の象徴であるならば、
「その富士山の価値の判断を日本人以外に委ねるという信じられない非礼な行為」
に涙が出るほど情けない気持ちになりました。
ちなみに、現在より以前に、「日本が大きく変化」した時は、6世紀のはじめでした。
英国のジャーナリストは、西暦 535年からの世界中の気象異変と感染症の蔓延を機として日本が変化する様相を以下のように書いています。
これは、当時、日本が「外国(中国)」の文化(仏教)を本格的に導入したことについて述べている部分です。
五三〇年代に気象異変と伝染病をきっかけとして始まった動きは、ここに完了した。
日本の七世紀初頭は、六世紀初頭とはまったく様相を異にしていた。
古代日本は消え去り、近代日本の原型が生まれたのだ。今日の日本という国の起源ははるか昔の、悲劇の六世紀にあったのだ。 (リチャード・キース「西暦535年の大噴火」)
このように、今から1500年前、日本から「神が消えていく最初の段階」があったと思われます。
そして、先ほどの記事「富士山はもう日本人を守らない」で、私は以下のように書いていました。
> そして、その完成は今なんだと思います。
このような「神様が日本から消えていく示唆としての光景」は、その後も何度もあらわれました。
2014年9月には、長野県の御嶽山が噴火しました。
その御嶽山の頂上付近には、「国之常立神 (くにのとこたちのかみ)」という神様の彫像がありましたが、なんと、この神様の「首」が噴火で吹っ飛ばされてしまったのです。
2014年9月29日 噴火で頭部が吹き飛ばされた国之常立神の彫像
・In Deep
この国之常立神というのは、Wikipedia には以下のようにあります。
国之常立神は、日本神話に登場する神。『日本書紀』においては、初めての神とされる。
日本書紀には「日本の国ができた時の最初の神様」と記されています。
そのような神様の象が先ほどのようになってしまった。
その後、2018年1月には、群馬県の本白根山という火山が噴火しました。
この「本白根山」という火山は、有史で噴火した記録はなく、地質学的にも、少なくとも 3000年ぶりに噴火されたもので、しかも「まったく予兆なく噴火した」のでした。これについては、以下の記事でふれています。
3000年ぶりの本白根山の噴火、あるいは5000年ぶりの御嶽山の噴火を貫く「日本の神話」と国之常立神。では次は?
投稿日:2018年1月23日
2014年に噴火した御嶽山と、2018年に突如噴火した本白根山と、そして先ほど出させていただきました「富士山」の位置関係は象徴的ではあり、以下のようになります。
本白根山と御嶽山、そして富士山の場所
・Google Map
八ヶ岳を囲むようにこの3つの火山が位置しているのです。
そして、この八ヶ岳の最高峰の「赤岳」は、御嶽山の噴火で首を飛ばされてしまった国常立命神の山だとされていると説明されています。
さらには、実質的に令和に入った日、すなわち、昨年 2019年10月22日の即位の礼の日には、
「富士山の前面に白い虹が出現した」
ということがありました。
以下の記事に記しています。
即位の礼の日に富士山に出現した「白い虹」。そして関東に次々と出現した七色の虹…。「神と生き物の永遠の契約のしるしが虹」だとする聖書の宣言から考えると…
投稿日:2019年10月24日
2019年10月22日 富士山を面した山中湖にあらわれた白い虹
・山中湖観光情報
私自身が「虹」というものにどういう観念を抱いているのかは、ここでは書かないですけれど、これまでさりげなくふれたことはありました。
そして、上にリンクしました「即位の礼の日に富士山に出現した「白い虹」…」で私は以下のような文言で締めていました。
良いにしても悪いにしても、今後は、「普通ではない時代」になっていくのかもしれないとも思います。
今がその「普通ではない時代」だということを「最も現している」ことは何だと思われますか?
それは「世界中から祭が消えてしまった」ことです。
消滅した祭の意味
現在、日本でも世界でも、歴史も由緒もある名だたる祭が次々と中止あるいは極端な規模の縮小ということになっています。
日本だけでも、たとえば「コロナウイルスで中止・延期になったお祭りまとめ」などを見てみれば、夥しい数の祭が中止などになっていることがわかります。
お祭りとは、いったいなんでしょうか?
ただみんなで騒いで踊って、金魚すくいをする催しでしょうか。
まあ、それだけのようなお祭りがたくさんあることも事実ですが、少なくとも、日本での歴史ある祭の根本的な意味は、祭 - Wikipedia の以下のような記述の意味で始まったものではないでしょうか。
祭祀は、神社神道の根幹をなすものである。神社に鎮座する神霊、および神霊が宿る御神体に対し、儀礼が行われている。これが神社神道における祭祀である。
神霊をその場に招き、神霊を饗応し、神霊を慰め、人間への加護を願うものである。
> 霊を饗応し、神霊を慰め、人間への加護を願うものである。
それと共に、祭には「死者との共同作業」という側面もあったはずです。
最近見ました民俗学者の畑中 章宏さんによる「祭りのない夏 : 中止の判断に“死者の声”は反映されているのか」という記事には以下のようにありました。
「祭りのない夏 : 中止の判断に“死者の声”は反映されているのか」より
死者の許しは得たのか
相次ぐ中止によって、祭りは日本の夏に欠くことのできない存在であることが、かえって意識されることになった。
そして夏は死者と向き合う季節であるということも。
そこで改めて思うのは、営々と受け継がれてきた日本の夏祭りは、死者によって受け継がれてきたということである。
東京佃の住吉神社の例大祭「佃祭」では、3年ごとの本祭りの際、獅子頭の宮出しや八角神輿の宮出し、神輿を船に乗せて氏子地域を巡る船渡御が行なわれる。
住吉神社で御祓いを受けた氏子たちは、3対の獅子に先導されて御旅所まで神輿を担ぐのだが、この3年のあいだに亡くなった人たちの遺影が獅子たちに加わる。
死者もまた祭りの重要な担い手なのだ。 (nippon.com 2020/07/30)
日本においての「祭」というのは、
・神様との接点
であり、その祭事を、
・死者と共同でおこなう
という意味が強いものだったように思います。
それがすべて破壊されたのです。
しかも、日本だけではなく、おそらくは主要国のほぼすべてで、大規模な祭事等は停止されているように思います。
全世界同時に「神との接点」を絶たれ、「死者との共有時間」を絶たれた状態にあるわけです。
日本においては、2011年から段階的に「日本人は神様から引き離され始め」、2020年になって、ほぼすべての祭が中止、少なくとも一般の人たちは参加できないことになり、神と死者との接点の「切断」はここに頂点に達したといえます。
また祭の多くは、五穀豊穣を祈り、無病息災を願います。それを神に願う機会が、全世界で一斉に消滅したことになります。
この 10年ほど懸念していたことが、このような具体的な形で現れるとは思っていませんでしたが、今後の世界で生きるための覚悟は並大抵のものでは済まないもののように思います。
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