4月11日の米国クリスチャン・トゥディの記事より
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世界はいつも終わっている
昨年、以下のような記事を書いたことがありました。
2017年夏のニビルのウワサ合戦。そして、アメリカの数学者は「皆既日食をめぐる33の数の偶然」からはじき出した世界の終わりの日を「2017年9月23日」だと
これは、自称「聖書研究家」であり「数秘術学者」(数秘術には学術資格がないので、誰でも自称となります)というような人物が、
「 2017年9月23日にこの世は終わる」
という……毎年出てくる戯言の一種を語ったことについて記したものです。
この「毎年出てくる戯言」に関しては、そもそも、この In Deep というブログ自体が、戯言の集大成ですので、イスラエルのラビの預言なども含めて、わりとよくご紹介することがあります。(なお、予言を「戯事」と断定する理由は、後に書きますが、私の好きな正統派キリスト教神学の一派の解釈からはそう考えざるを得ないのです)
しかし、こういうようなブログなどで取りあげられるのならともかく、その時は、欧米の、しかもいわゆるメジャーメディアが、こぞってこのことを取りあげていたということがあり、それは何となく奇妙な光景でもありました。
その戯事を主張していた人物は、デビッド・ミード(David Meade)という人で、別に著名な人でも何でもない人です。
もちろん、大手メディアは、この人の主張に対して、「 9月23日にこの世は終わるというような根拠はない」というようなことを真っ当に書いていたのですけれど、私などは、「メジャーメディアがそんな与太話を真面目に取りあげてどうする」とは思っていました。こんなようなものを一流媒体メディアが揃って大きく取りあげていることについては、「なんか変だよな」とも感じましたけれど、その時は時間と共に話題も終わりました。
つまり、実際に 2017年の 9月23日がやって来たということです。そして、後述しますけれど、その昨年の 9月23日には「この世は確かに終わったような感じ」ではあったのですけれど、それは聖書に書かれてあるような終わりではありませんでした。
その後、さらに時は経ち、2018年になってからも、また数多くの「終末についてのさまざまな主張」が出てくる中で、またも昨年と同じ先ほどのデビッド・ミード氏の主張がメディアでクローズアップされたのでした。
今度のその主張は、
「 2018年 4月23日にこの世は終わる」
という、昨年 9月23日の予言に続くものとなっていまして、すでに「半期に一度の終末」というような事態となっています。
30年くらい前のほんの 1年か2年くらいの間ですが、パルコの半期に一度の大セール「グランバザール」というものを楽しみにしていたことがありましたが、デビッド・ミード氏の終末予言も半期に一度の大予言という体制に入ったようなのです。
何でもありというような感じにはなっていますが、まあしかし、どこかの誰かよくわからない人が、そういうことを半年ごとに言ったとしても、表現すること自体は自由なのですから、それは別に構わないことだと思います。
ところが、問題は、「またもメジャーメディアがこぞってこのことを報じている」ということでした。
アメリカの USA トゥディなどの報道メディアから、ナショナルジオグラフィックやライブサイエンスといった、大手の科学メディアまでも「真っ向から否定する記事」を出しているのです。下はその一部です。
4月13日の米USAトゥディの記事より
・usatoday.com4月13日のナショナルジオグラフィックの記事より
・nationalgeographic.com
「どのように終わるか」ということに関しましては、昨年 9月23日の時は、「惑星ニビルが地球に接近するか衝突する」ということが終末要因のメインでしたが、今回は、惑星事象に加えて「核の事象」が加わっているようです。
しかし、細かい終末要因はともかくとして、こういう一般メディアや科学メディアが、そのようなことを「科学的に否定したり」していまして、その様相は決して「戯言」として扱っているようではない感じなのです。
「なんで相手にする?」と私は再び思いました。
どう考えても、このミード氏という人には何の科学的、信仰的背景も実績もないわけで、こぞってメディアが取りあげることが不思議な感じです。
そんな中で、ある意味では、「唯一まとも」な反論を載せていたのが、キリスト教系のメディアであるクリスチャン・トゥディでした。
このクリスチャン・トゥディは、見事にミード氏の主張を「戯言」として切り捨てているのですが、その根拠こそ、ミード氏も根拠としている「聖書」だというところが興味深かったところではあります。
その記事をまずご紹介しておこうと思います。キリスト教徒から見れば、「終末の日の予言という概念自体」が聖書の記述に反している」ことがわかります。
ここからです。
It's Time to End the Stupid about the End Times: Debunking Christian Numerology
christianitytoday.com 2018/04/11
この世の終わりについての愚かな発言はそろそろ終わりにするべきだ : 自称クリスチャンによる数秘学の正体を暴く
自称「聖書研究家であり数秘術学者」のデビッド・ミード(David Meade)氏が、またも語っている。彼は今度は、4月23日にこの世の終わりが訪れると述べているのだ。
これは最近の USA トゥディのトップ記事となった他、様々なメディアで紹介されている。
さらに悪いことには、ミード氏は現在、このことに関し、国際的な政治問題を議論に持ち込んでおり(※ シリア問題等)、彼はこの 4月に、「核の問題」が起きると予測している。
しかし、このミード氏の主張によって、パニックになって食糧品を買いためたり、サバイバルの準備をする前に、私たちはひとつの事実を提示したい。それは、このミード氏が「同じことをこれまでに何度も言っている」ということだ。
彼は、昨年以来二度にわたり、世界が終わるという予言とされるものを広めている。
ミード氏は、これを聖書の解釈からと言うが、しかし、これは、実際に聖書に書かれてある終末についての実際とは異なるもので、つまり、ミード氏のような主張は聖書を広めている私たちのような立場の者に恥ずかしい思いをさせているのだ。
ミード氏は、フェイク(偽)の事象を喧伝する、いわば偽物の専門家といえる人物だ。ニュースメディアもまた、彼の偽の宣伝を繰り返して報じると失態をおかしてしまっている。
聖書に書かれている実際のところは皆さんもご存じだと思われる。
それ(終末のとき)については「誰も知らない」のだ。その日も時間も。
イエスは「マタイによる福音書」の第 24章 36節で弟子たちにこう言う。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 」
これが聖書に書かれてある唯一の真実だ。
ミード氏が終末の日について最初にメディアに語った終末の日は、昨年 9月だった。彼がその終末の日についての主張をしたとき、私は、その「終末の日を特定する」という行為自体に反応した。
ミード氏が「キリストがやって来る終末の日を知っている」と主張することは、終末について神の子よりも多くを知っているということになってしまうのだ。
先ほど提示したように、聖書には明らかに「その日は誰も知らない」と書かれてあり、ミード氏が何かの専門家であろうと、あるいは他の陰謀理論家たちがそのように主張しようと、イエスが私たちに「それは誰も知らない」と述べた事実の正当化を否定することはできない。
昨年のミード氏の終末の予測が外れた後、私は彼にメールを送った。今年 1月15日のことだ。
私は以下のように書いた。
「あなたの言った予測は訪れませんでした。あなたは、さぞご自分のされたことを後悔し、そして多くのキリスト教徒たちに対しての恥ずかしさがあおりだろうと思われるが、いかがか?」
ミード氏は、私に彼のウェブページのリンクを送ってきただけで、具体的な返答はなかったので、私は彼に、後悔の念があるのかどうかを再度尋ねた。
すると彼は、「啓示は進化していく」と説明したのだ。
しかし、これはただのまやかしの答えに過ぎない。ミード氏は、詐欺師であり、愚かでもある。そして、彼の行いは、私たちキリスト教徒を愚か者に見せてしまうというものでもあるのだ。この愚行を彼はやめるべきだ。
それと共に、ニュースメディアも、ミード氏の言葉を引用して紹介するのを止めるときだ。ニュースメディアが、キリスト教徒を愚かな存在として見せたいのだとしても、これはもう十分だ。何度も同じ内容の報道を繰り返す意味がわからない。
私が知っているキリスト教徒には、ミード氏の言葉を信じている人はいない。彼の目的は、キリスト教徒を愚かに見せることだけにしか思えない。
「終末」についての愚かな発言と、それを繰り返す人の引用にこそ「終末」をもたらすべきなのだ。
私たちの福音の証人とは
私はかつて、虚偽の陰謀論を広めることの危険性に関して以下のように記したことがある。
私たちが虚偽の証言を見逃せば、キリスト教徒たちは盲目的に根拠のない話にも屈するという評判を確立させてしまうことになりかねない。私たちが虚偽の証言の過失の指摘を怠ってしまえば、真実は何かということを主張することもできなくなってしまう。
そして、私たち自身が陰謀論や虚偽のニュースを広めてしまうと、私たちは自分自身を信用することができなくなり、それどころか、聖書の言葉そのものも信用できないことになってしまう可能性があるのだ。
この時に書いた懸念は今も同じだ。ミード氏や、その理論に取り込まれた人たちは、キリスト教徒の文化と信仰にまったく貢献していない。
ミード氏に聖書を語る資格はない。彼の主張には聖書そのものの内容の支持が伴っていない。
クリスチャンとして、このような概念を信じることは、私たち自身の信頼性を傷つけるだけであり、本当に重要な時が来た時に、人々が私たちを信頼することを妨げる。
それは私たちの評判に損害を与え、聖書のメッセージを人々が受け入れることを防ぐことにもなってしまうのだ。
ミード氏がなぜこのようなことを始めたのか、その理由や動機は判然としないが、彼は単に詐欺的であり、聖書をよく知らない愚か者だと私は考えている。
多くのキリスト教徒は、ミード氏が述べるようなことはまったく受け入れていないが、しかし、なぜ USA トゥディや、あるいは、他のメジャーメディアはそれを広めようとするのか私にはわからない。
ここまでです。
確かに聖書をベースにして何かを語る時に、ここにあります「マタイによる福音書」の中にある、
「その日、その時は、だれも知らない」
は存在感の大きなフレーズではあります。
あと、聖書の「ヨハネによる福音書」の 3章16節には、「イエス・キリスト以外は天国には行けないらしい」という「予言」が書かれていたりします。
ヨハネによる福音書 / 3章 13節
天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
このあたりも以前、アメリカのキリスト教徒たちの間で、「自分らは死んでも天国には行けないなら、どこに行くん?」と話題となったことでもあります( 8年前の記事でそのことにふれています)。
この部分はまた今回は関係ないですけれど、いずれにしましても、仮に聖書というものと、そこに書かれてあることが真実だとするのならば、「マタイによる福音書」などから、以下の2点が聖書に則った見解だと言えそうです。
[聖書の見解1] この世は終わる。
[聖書の見解2] しかし、それがいつかは神の子もさえもわからない。
ちなみに、私自身は、20世紀の著名なスイスの神学者であるカール・バルトさんが著書『ロマ書』で述べている下りが「個人的に好きな」終末論です。
これに関しては、2013年5月の「富士山はもう日本人を守らない」という In Deep の記事の締めに以下のように書いたことがあります。
最近、20世紀のスイスの神学者のカール・バルトさんが「ロマ書」に記していたという以下の言葉を再び思い出します。
「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて……その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか」
「……再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである……終末は既に神によってもたらされている」
(終末論 - Wikipedia より)
私たちはこの 2000年間、単に「終末後の世界を生きてきた」というだけなのかもしれません。
もう(見た目や感覚では)この世は何も変わらない。変わることができるとしたら、個人の中での変化だけなのかもしれません。
2012年以降のこの頃は、私はこのように考えていました。
「世界の変化が起きるためには、まず自分の内面で起きる必要があり、それ以外では何も変わらない」
と。
しかし、最近その概念が自分の中で薄らいできていまして、外部に左右される状態が続いていたような気がします。
そんな中で …… 実は昨晩、夢に、数年前に若くして亡くなった友人が出てきました。それが生きていた時には見たことがないような不満げな表情だったのです。
でも何も言わない。
亡くなった人が夢に出てくること自体は、私の場合とても頻繁にあることですので(10年くらい前から死者がとてもよく夢に出ます)、それ自体は何も思わないのですが、かつての友人にあのような感じでいられると気になります。
その中で、今日、ここまでご紹介していたデビッド・ミードという人の戯事予言の報道を見ている中で、久しぶりに、先ほどの「ロマ書」の、
> 終末はすでに神によってもたらされている
を思い出したのでした。
つまり、その「終末」の状態を作るのは(あるいは「作らないのも」)自分の内面だけによる、ということです。
世界を作っているのは外部ではなく「自分の内面なのだ」ということを忘れかけていたことに今日ふと気づいたのでした。
亡くなった友人がそんなことのために夢に出てきたとも思えませんが、それでも、その夢のことを思い出している中で、「ロマ書」に辿りついたことも事実ですので、その友人が、「世界(の現実的な変化)と自分の内面の関係」を思い起こさせてくれたということには感謝します。
ということで、ちょっとややこしい話になりましたので、今回の記事はこのあたりで終わりしてもいいのですが、先ほど最初のほうに、
> 昨年の 9月23日には、「この世は確かに終わったような感じ」ではあったのですけれど、
と書きまして、これは何を言っていたのかといいますと、この昨年の 9月23を含む 1週間ほどというのは、地球がとても荒れていました。たとえば「ハリケーン・マリア」などをご記憶でしょうか。
下のような気象図を描きながら、カリブ海諸国を破壊したハリケーンです。
2017年9月18日のハリケーン「マリア」。この後、カリブ海を直撃
そして、この頃の「荒れ狂う地球の天候状況」は、まさに昨年 9月23日頃を頂点として世界中で突き進んだかのような様相を見せていたのです。
それは 9月24日の以下の記事でご紹介しました。
天と地はお互いに怒りを演じ…… : メキシコ、あるいは環太平洋火山帯で常識外れの広範囲の活動が続く中、空はさらに「狂った」様相へと
これらは当時の悪天候によるものではあるのですが、世界各地で「核戦争のような雲」が相次いで現れる日々などが続きました。
上の記事では、かなりの数のその頃の空や雲をご紹介していますので、ご覧いただければと思います。
ここでは印象的だった3つの「 9月23日頃の雲」をご紹介して、そして今回の記事を締めたいと思います。
2017年9月の「終末」
2017年9月19日 イタリア・ジェノヴァに出現した壮絶なキノコ雲
2017年9月22日 タイ・バンコクの雲
2017年9月19日 9月17日 スペイン・バルセロナの空
世界はずっと終わり続けていて、そして、もし今「終末感」が強いのだとすれば、それは私たちの「その感覚」が加速しているというだけなのかもしれません。