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5月3日にメルマガモンティ・パイソンから数十年をかけて薔薇十字の奥義に近づく連休の雑談を発行させていただきました。

2024年からの世界 ディストピアへようこそ 人類の覚醒と真実 健康の真実 日本の未来

医療宗教によるこの誤謬の歴史は、どこかでたださないと、人類が滅びるまでの何世代も何世紀も続いてしまう

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人類が一丸となり定着させてきた「過ち」を覆すことの難しさ

コロナのパンデミックが始まる以前から、私はこのブログを書く中で、科学や医学が、「あまりに誤謬にあやどられている」ことを知っていきました。

最近、アメリカのブラウンストーン研究所の代表であるジェフリー・タッカーという方の記事を読みました。

そのタイトルは、

「世界を支配する誤謬」

というものでした。

この「誤謬」というのは難しい言葉ですが、非常に簡単に書けば、「誤った推論」というような意味です。つまり、物事の帰結として間違ったところに行き着いた理論。

そういう意味では、虚偽とか似非というような言葉とは違い、誤謬という言葉には、確信的に過ちに突き進むというようなニュアンスがあります。

意図的に「間違った概念」を推し進めるということではなく、人間が自ら導いた推論として間違ったところに着地して、それが定着する。

ちなみに、この誤謬という言葉は「ごびゅう」と読むのですが、かつて私はずっと「ごじゅう」と思い込んでいました。こういうささやかな誤謬も、誤謬という言葉自体が教えてくれたりします(面倒くさい書き方だこと)。

今回は、タッカーさんのその記事をご紹介させていただこうと思いますが、そういえば、この方のブラウンストーン研究所といえば、前回の「この社会の最大の殺人集団は何か?…」でご紹介させていただいた、元コクラン代表のピーター・ゲッチェ氏の論文も、ブラウンストーン研究所のサイトに掲載されたものでした。

この前回の記事のタイトルにつけました「この社会の最大の殺人集団は何か」ということについて、私は「医師」というニュアンスで書いてしまいましたが、

「誤謬の歴史の中で築かれた認識であるため、悪意でも詐欺でもない」

のです。

まったく悪意ではない。

ただ、誤っているだけなのです。その誤謬を医療従事者たちは強く信じている。

何百年も続く医療信仰の中で、今現在、「教理」として定着している医療介入にしても予防医学にしても、やはり誤謬に他ならない。

そして、この「医学の誤謬」は、これまで続いた年月を考えますと、何もしなければ、これからも長く長く続くのです

予防医学の歴史を考えればわかります。

たとえば、イギリスで天然痘の予防接種が始まったのは、今から 170年前の 1853年です。

天然痘ワクチンが云々ではなく、世界では今も「予防医学としてのワクチン」説が主流であり、それが覆る気配もありません

実際には、あらゆる予防接種の歴史がお笑いに近いグラフを示してはいるのですが、医学への忠誠と信仰心の前では、そんなグラフも目に入ることはありません。

1838年〜1978年の人口10万人あたりの英国の麻疹の死亡数の推移

England/Wales Measles Mortality Rates

麻疹ワクチンの歴史に見る「人為的介入の有害性」
 In Deep 2024年3月10日

 

この予防医学信仰も、悪意でも詐欺でもなく、単に「誤謬」です。

その間違いをただせる機会を失ってしまった結果、予防医学としてのワクチンは 200年近く続いており、このままだと今後も続くでしょう。

今後 100年でも 200年でも。

最近の医学での過程において、ADE (抗体依存性感染増強)や抗原原罪という致命的な欠陥が研究で明らかになってきても、現代予防医学の牙城は揺るぎません。

そして、ついには、私たちは、この期間の間に「世界で数十億人が同じものを接種する」という歴史上で見たこともない「誤謬の頂点」を見ました

これと同じようなことが今後も何度か起きた場合、さすがにそれは人類の存亡に関わることのような気はするのです。

しかし、これらは、人間みずからが導きだした誤った推論であることもあり、自然の流れでは、誤謬を訂正することは難しい。

何でもそうです。

コロナのパンデミック中を思い出してください。

 

街中でみんながみんな、消毒剤で手を洗っている(誤謬 ← ただし一部は無思考)。

99%がマスクを着用していたあの光景(誤謬 ← これも一部は無思考)。

 

私にとっては、誤謬というより狂気の光景でしたが、しかし、ほとんどの人は「それで正しい」と思っている。無知や不勉強の人たちも数多くいただろうとはいえ、そうでもないような人も従っていた。

本来なら、それなりの教育も受けているであろう人たちが、すんなり、あのカルト宗教にはまってしまっていました。

あの頃の光景を見ていて、私はよく「ガイアナの人民寺院みたい」と思っていました。人民寺院では、日頃から信者たちと「集団自死」の練習を繰り返していて、ある日「本番となった」のでした。毒入りのジュースを飲んで自決する練習です。

それについては、「カルトを超えて」という 2022年の記事に書いています。

ここで私はこう書いていました。

2022年8月23日の In Deep より

…ここにある「いつも不気味さに包まれている感じ」は、その後のワクチン展開の中で、さらに激しくなりました。

洗脳 → 服従……という毎日メディアを通しておこなわれ続けたこの繰り返しを見て、何とも重い気分になっていたものですが、しかし、この方法論は、

「ガイアナの人民寺院で行われていたことと同じ」

でもありました。

人民寺院では、その「自決の決行の日」をホワイトナイト、と命名し、毎晩のように、その本番の「練習」を全員で続けていました。1978年11月18日、その練習は本番へと移行し、人民寺院にいた信者たちは全員死亡しました。

ワクチン展開の中で、その光景を見続けている中で、日々、「世界中が人民寺院か…」とつぶやきながら、私は自身が完全にマイノリティとなったことにも気づいていました。「カルトを信じることができない」マイノリティです。

indeep.jp

 

まあ、私のこの見方のほうこそ、当時としては、社会一般から見れば、明らかに「私のほうが狂気に見える」ものだったと思います。

そして、2020年からの狂気の世界が社会で展開された最大の理由が、先ほど書きました、

「社会全体に定着している医学と科学の誤謬」

なのです。

その誤った観念を「宗教的な団結心」で、司祭(医療者)と信者(患者や一般の人たち)が守り抜いているのが現在です。

 

考えてみてほしいですが、「ガンには抗ガン剤」。

この誤謬でどれほどの人々が苦しみと共に消えてしまったか。

しかし、このガンには抗ガン剤という誤謬に疑問を抱く人の数は、今でも少数派だと思います。

 

これだけではなく、あらゆる医学に同じような誤謬が定着してしまっている。

放置しておけば、何十年どころか何百年も続きます。おそらくは人類が滅亡するまで続きます。

では、どうすれば、誤謬から解放されるのか。

それは社会を変革することによってでは解決しません。

「自分が変わる」しかないのです。

「自分は変わった」と自分自身で思う人が増えていけば、それでいいのです。外部に表明する必要などもありません。

社会全体の話ではなく、すべて自分自身の話です。

社会は「その自分というひとりひとりで構成されている」のですから。

そんなわけで、ちょっと話がややこしくなりましたので、このあたりで、ジェフリー・タッカーさんの記事をご紹介します。

この方は、文章の書き方が、おそらく英語の世界では粋というような感じの書き回しが多いのですが、場合により、日本語ではちょっと意味が通りにくいところもありますので、適度に意訳しています。




 


 

世界を支配する誤謬

The Fallacy That Rules the World
Jeffrey A. Tucker 2024/04/23

賢い人は誤りを避けることを知っている。

それらの 1つは、前後即因果の誤謬(前後関係を因果関係だと思ってしまうこと)として知られている。ラテン語で「この後に、それゆえにこれがあるから」という意味だ。

典型的な例は、ニワトリと日の出に関するものだ。毎朝、太陽が昇る前に、オンドリは狂ったように鳴き、周りのみんなを起こす。その直後、地平線に光が見え始める。他に何も知らず、これが起こるのを何度も見ていたなら、ニワトリが太陽を昇らせていると結論付けるかもしれない。

もちろん、これはテスト可能だ。そのオンドリを殺して何が起こるか見てみるという手がある。それでも、まだ太陽は昇る。

しかし、ここでふと思う。この一羽のオンドリが死んだという事実だけでは、この世のすべてのオンドリがいなくなったわけではない。どこかのオンドリが鳴き、太陽を昇らせているかもしれないのだ。つまり、このちょっとした実験は理論を反証するものではない。

この難問を解く方法はあるのか。ニワトリが太陽を制御していると確信している人たちがいるとするなら、おそらく「そうではない」と納得させる方法は存在しないのかもしれない。

もちろん、このような例は笑い話にできるたぐいの話だが、なぜ、人はそんなに愚かになることができるのだろうか?

実際、この基本的な誤謬は、あらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる主題のあらゆる科学に影響を与えている。何かが起こり、その後何かが規則的に起こることを示す規則的なパターンは因果関係を意味するという仮定は、人間の思考に組み込まれているものであり、それは今も、そしてこれからも同じだ。

しかし、それは誤謬であり、必ずしも真実ではないことも意味する。それでも、真剣な調査が必要であれば、それは真実である可能性が出る。そしてそこに本当の問題が潜んでいる。何が原因なのかを解明する必要があるが、しかし、原因物質と偶然の物質を区別することは、すべての思考において最大の問題なのだ。

知る必要性は、合理的な生き物であることの意味に組み込まれているが、私たち自身ではどうすることもできない。だからこそ、この誤謬はどこにでも根強く残っている。

有名なマラリアの例もある。

かつてはマラリアは夜間に悪化すると考えられていたため、夜間の冷気が原因であるという説が有力であった。これはジョークではない。しかし、本当の理由は夕方になると「蚊」が出てくる。それが真犯人だった。しかし、誤った理論に基づいた悪い理論により、多くの人たちがそれを理解することをできなかった。

そして、なんと今の時代の、つまり私たちは新型コロナウイルス感染症の影響でも、同じ誤謬に圧倒された。疑似科学が圧倒的していた。私たちは来る日も来る日も、この種の疑似科学が世界中に大量に投棄されるのを目にした。

たとえば、ある州は、集会を禁止する強制措置をとったためにウイルスの蔓延を抑制し、その州の感染者数は減少した…とか。

しかし、これらの要因はまったく無関係である可能性がある。感染症に関する適切なデータがまったくない可能性もある。

これらは(正確かどうかにかかわらず)テストの対象となり、母集団レベルでは完全に間違っている可能性がある。たとえデータが正しかったとしても、感染者数が少ないのは、天候や事前の免疫、あるいは我々が考慮していない何かが原因である可能性がある。

私は早い段階で、これらの驚くべき新型コロナの感染者数と死亡者数のリアルタイムのグラフを見て、現実への窓があると信じたことを覚えている。

データが極めて不正確であり、検査、報告、その他多くの要因の影響を受けることを理解せずに、「ほら、アリゾナ州は集団免疫を達成した」というようなことを投稿されたことも何度かあった。それらは、データさえも疑わしいものであり、誤分類が蔓延していた。

そしてここでも、前後即因果の誤謬が皆を非常に苦しめた。しかし、私たちの社会のほとんどはそれに同調してしまった。

あまりにおかしなことになったので、疾病管理予防センターの官僚を含む人々が、マスクをすることでウイルスの蔓延を防ぐなどのおかしな理論を作り上げ始めたが、その理論(マスクが感染症を防ぐ)は、科学で長い間、真実ではないことが証明されていた。

事態はさらにクレイジーになっていった。マスクなしで座ることはできるが、歩いたり立ったりするとウイルスが蔓延するため、その場合はマスクを着用する必要がある…というようなことが言われ始めるようになった。

まったくどうかしている!

ワクチン接種後も同様だった。数え切れないほどの有名人がソーシャルメディアで新型コロナに感染したことを公表したが、ワクチンのおかげで軽症で済んだと述べ始めた。

しかし、彼らがそれ(ワクチンを打ったので軽症で済んだという理屈)の真実を知る方法はまったくないのだ。しかし、彼らは自分たちがワクチンを接種したことが自分たちの新型コロナの症状を軽度にしたと確信していた。

ここに至れば、それはもう単に信仰の問題だった。

時間が経つにつれて、ワクチン接種の増加が感染の増加と関連していることを示す多くの研究に遭遇した。一方がもう一方を引き起こしたのだろうか。それは語るのは難しい問題だ。

しかし、過去数年間の膨大な数のワクチン研究がこの問題の影響を受けている。特に厄介なのは、「健康なユーザーバイアス」の問題だ。

つまり、ワクチン接種を受けた人は他の面でもより服従し、従順になる傾向があるということだ。これは、当初は、新型コロナワクチン接種によって健康上の成果が向上しているように見えたことを意味するが、 しかし、実際にはこのバイアスによるものだった。

これは後の研究で明らかになったが、しかし、ランダムノイズから原因と結果を識別するという問題は依然として残っている。

医学の分野は長い間この問題に取り組んできた。患者に出血させる習慣(瀉血)が 19世紀に至るまで何世紀にもわたって続いていたことを私たちは残念に思う。

どうして彼らはそこまで愚かだったのだろうか? 彼らは、病気は血液中の悪い体液によって引き起こされるので、血液を排出する必要があるという理論を持っていた。その後、彼らは患者の状態が良くなったのを観察した。しかし、患者は出血させずに、さらに早く良くなったかもしれないのだ。

最終的にそのことが間違いだと気づくまでには何世紀もかかった。多くの非対症療法医学関係者は長い間この問題について叫び続けてたが、彼らは変人として無視された。それは、瀉血が最も専門的な名声を持つ人々によって支持された従来の慣習だったからだ。

この誤謬が働いているのを一度見ると、それを無視することはできない。誤謬は医学のいたるところにあるが、経済学、健康、園芸、法律、社会学、そしてすべての物理世界の科学にも誤謬がある。

問題のある誤謬が今日の膨大な政治を動かしている。既存の経済状況すべてを既存の大統領のせいにする傾向があるが、本当の原因はさらに遡る必要がある可能性がある。それでも、ほぼすべての議論は同じ方針に従う。

私たちは今、そのような誤った考えを、誤っていると考えるのではなく、「私たちはその誤謬を超えた」と自画自賛している。彼らは過去の迷信に満ちた時代に属しているのと同様なのだ。それは全くナンセンスなことだ。

おそらく私たちは今、これまで以上にこの誤謬に悩まされているだろう。特定の時点で人々が信頼し信じているものは何であれ、周囲にあるあらゆる病気を治す鍵として人々が認識しているものもそうだ。

たとえば、医薬品だ。今日、人々は医薬品を信じている。問題が何であれ、研究室で作成された新しい薬で解決できると信じている。

その結果、多くの証拠が乏しいにもかかわらず、私たちは社会全体としてこれらに染まっている。たとえば、精神科薬の効果を調べれば調べるほど、それらが実際の問題を改善するかどうか、また実際に問題を悪化させる可能性があるかどうか、またその程度が明らかになっている。

抗生物質についても同様だ。現在、すべての親が小児耳感染症に対してアモキシシリンを使用している。しかし、私の祖母は、耳に温めたミネラルオイルを塗り、従来の薬を完全に避けることを誓っていた。

抗生物質の使用の有無にかかわらず、子どもたちにハーブオイルを摂取させた場合をランダム化するという 2003年の研究を発見するのに、ほんの数分しかかからなかった。

研究の結果は「差はなかった」だった。

医薬品からの影響は大きい。私たちは医薬品や対症療法の戦略に執着しすぎているため、より効果がある膨大な自然療法やホメオパシーの手法を見落としている可能性がある。

1つの解決策に固執し、それに固執し続けると、人間の心は他の可能性のある、より良い解決策について創造的になることができなくなる。何世代にもわたって、誤った考えが日々を支配することもある。

私たちはニワトリと太陽、瀉血と病気について笑い飛ばすことができるが、今日の世界で私たちは何度もこれらの誤った考えを犯しているのに、私たちの独断的な執着によって、今も数多くある誤謬を見ることができなくなっているのだろうか。

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