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5月3日にメルマガモンティ・パイソンから数十年をかけて薔薇十字の奥義に近づく連休の雑談を発行させていただきました。

日本の未来 日記

左腕が動かなくなる事態の中で見つけた「私の町の情報剥奪局」

投稿日:2018年2月27日 更新日:

「黒い鳥」に占拠されたメキシコ・チワワ市のダウンタウン 2月25日


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今日は実は、お休み日記ということになってしまいます。

今朝起きましたら、「おお、左の肩が……!」と声に出すほどの痛みに見舞われました。しかも、それは体のどこであろうと、何年に一度もないような超激痛。いわゆる五十肩とかそういうたぐいではなく、腕を動かさなくても激しい痛みがあり、まして、動かすことなどできない状態。

その後一応起きまして、地球の記録の太陽ハロの記事などを書いていましたけれど、左手をまったく動かすことができず、気づけば「右手とマウスだけで書いている」という状態でした。そのうち痛みが激しくなり、

「ダメだこりゃ」

と、いかりや長介さんのごとくつぶやき、しかしあまりにも痛みがひどいので、整形外科などの病院の検査器具で確かめたくなりました。

しかし、整形外科など十数年行ったことがなく、特にここ最近は病院そのものとわりと縁遠いですので、この町のどこにそういうものがあるのかわかりません。

街の風景を思い出していましたが、よくわらないですので、ネットで調べてみますと、すぐ近くにありました。今はどこでもそうですが、高齢化のために整形外科というのはとても混んでいるようで、その整形外科に電話をしまして、「初診なんですけど、待ち時間は大体どのくらいになりますでしょうか?」と聞くと、電話口の女性は、

「最低でも3時間か4時間くらいです」

と軽やかに言い放ちました。

私は「うーむ」と唸りました。電話を切った後、「そういえば駅の近くに昭和の香りが漂う病院の看板があった気がする・・・」とネットで調べてみますと、確かにありました。

そも整形外科にはホームページさえあったのですが、その病院の院長さんの経歴が載っていまして、それによりますと「昭和37年、○○医科大学卒」と。

私は、昭和 38年生まれですので、私が生まれるより前に医科大学を卒業しているとなると、その年齢は・・・。

しかし、ふと私はかつて東京の西荻窪という場所に住んでいた時のことを思い出したのでした。その頃、私は、「おじいちゃん先生の病院を回ろう」という自己的キャンペーンを展開していたことがあるのです。特にそこに意味はないのですが、まあ、そういう消えていく風景もまた大事なことだと。

その中で、いろいろなお医者さんに会いました。

手が震えて治療器具が歯以外にヒッティングし続ける歯医者さん・・・。

自分が何の薬を処方したのか途中でわからなくなった内科のお医者さん・・・。。

もはや何を言っているのか聴き取れなかった内科のお医者さん・・・。

そういう素敵なおじいちゃま先生たちの病院をずいぶんと制覇した記憶があります。今はどの病院もないでしょうけれど、「昭和の最後の輝きと、その手の震え」は懐かしい記憶となっています。

・・・何を長々と書いているのかわからなくなりましたが、結果としては、その「昭和の雰囲気の漂う整形外科」に行きました。待ち時間は5分もなかったというすぐれた病院でした。

そして検査では、「原因不明の強い炎症」という結果が出ました。これは自分で推測していたのとほぼ同じだったので、「時間の経過を見るしかないかなあ」と。

しかし、そのおじいちゃま先生自体はとてもシャキッとされていました。

特筆すべきは、その病院は「看護師さんも高齢だった」ことでした。

特に受付の女性は、見た瞬間に「誰かと似てらっしゃる」と思い、待合室でずっと考えていたのですが、それがすぐわかったのです。

1985年の映画に『未来世紀ブラジル』というディストピア(ユートピアの反対)系 SF 映画があり、若い時にこの映画が好きだった私は何十回と観ているのですが、そこに「情報剥奪局」という、映画の舞台となっている国家の中で最も権威のある省庁の本部の建物が出てきます。

その「情報剥奪局本部の受付の男性」と、今日行った病院の受付の女性がとても似ていたのです。

「情報剥奪局」の受付の男性

Brazil (1985)

こういう感じの「女性」だったのですね。お年も大体こういう感じでした。

それを現実に間近で見られたということだけで今日は大変に満足いたしまして、十数年ぶりの整形外科を楽しい気分で過ごすことができたのは素晴らしいことでした。

この楽しい経験が午前中のことで、今は夜ですが、もらった薬(鎮痛剤 / NSAIDs )は一切使っていないですので、まだ痛いですけれど、原因不明の炎症なら治る時にはすぐ治るでしょう。

二、三日で良くなればそれで大丈夫。ダメなら一生ものかもしれませんが、それならそれで別の対処を。

そんなわけで、今も、ここまでほぼ右手だけで書いていて、こんなに下らないことを書いているわりには、ずいぶんと時間がかかりました。

 

冒頭の鳥の写真は、このことをご紹介しようとして力尽きた証です(笑)。

2週間くらい前の、

頭の中の終末模様を彩る事象や概念……それは鳥や占領や北緯33度、あるいは世界共通仮想通貨フェニックス
 In Deep 2018/02/13

という記事で、アメリカのテキサス州に無数の「黒い鳥」が集まったことを取りあげたことがありましたが、2月25日には、メキシコのチワワという街が、黒い鳥の大群の襲来に見舞われました。

しかも、ただ集まっているだけではなく、チワワの街で「大量死を起こしている」のでした。

下は「道路につぎつぎ鳥が死んで落ちている」様子が撮影された動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=1iGJi1OfWxk

このことを含めて、ご紹介したいこともあったのですが、今日はあきらめます。

明日には左手は動くようになっていると思いますので、また普通に更新できたらと思います。

それにしても、この1週間ほどは体調がいろいろと良くありませんでした。何かそういう時期なのかもしれないですけれど、それでも、たまに体調が悪くなったり、今回のように初めてのような「痛み」を経験することは、それなりにいろいろと考えたり行動したりするもので、悪いことではないのだろうなと思います。

特に今回は「昭和の雰囲気の病院での未来世紀」と空間を共有できたということだけでも、大変に充実している上にお得感の強い体験ということになったのは幸いでした。怪我の功名というやつでしょうか(なんか違う)。

そんなわけで、単なる日記となりまして申し訳ありませんでした。明日は両手で記事を更新できると思います。





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