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人類の覚醒と真実 日本の未来

私たち日本人には神も宗教も必要ないのだから。これまでもこれから先も永遠に

投稿日:2019年12月10日 更新日:

米国の著作『Evolution of the Japanese, Social and Psychic』に掲載されている伊藤博文(初代・第5代・第7代・第10代の日本の首相 / 1841-1909年)の言葉

「私は、宗教そのものは日本国民の生活にはまったく不要であると考えています。科学は迷信をはるかに超えていますが、では、仏教あるいはキリスト教といった宗教とはいったい何であり、そして、迷信とは何であるのか。あるいは日本に宗教がないことが、何か日本国家に弱い面が生じる源になるとでも言うのでしょうか」

「私は、日本国民が無神論を考えることのできる自由の傾向を後悔してはおりません。あるいは、それが日本の民族的集団への危険な源泉になるとも思っておりませんし、無神論に対しての自由は日本ではほぼ普遍的なことなのです」




 

他の国からは理解しがたい私たちの神道的「無宗教」

海外のサイトで、「日本の地域による宗教分布」ということをテーマにした学術的な記を見かけまして、それになかなか興味を感じました。

私自身は、以下の記事などでも少しふれていますが、日本人というのは「本質的に無宗教」であると考えています。しかし、それは、唯物論に傾倒している上での西洋的な無宗教ではなく、日本人は(今でさえも)「全員が自分の中に神を持っている」ということを無意識に知っていることからのものだと考えます。

未来の世界で「日本人だけがリアルな人類として生き残ることができる」理由

もちろん現状で、何らかの宗教を信仰されている方はたくさんいらっしゃると思いますが、本質的という意味においては、組織的な信仰や、唯一神などの存在は日本人的価値観とは相容れないものだと思っています。

それはそれとして、日本の「地域での宗教的特徴のちがい」ということが、海外の統計データにあることを知りまして、そのデータなどを見た後さらにいろいろと調べていると、やはり「本質的に無宗教的である日本人」の姿がさらに強く浮かび上がります。

まず、その海外の「日本の地域による宗教の差異」のページの概要をご紹介したいと思います。

これを書いているのはファビアン・ドリクラーという西洋人の方ですが、ここで書かれていることは、「日本において仏教と神道の信者の数をわけるようなデータマッピングには意味がない」ということです。日本人の信仰への概念というのは、日本人にとっては単純でわかりやすいものですけれど、海外の人には理解が難しいようなのです。

ここからです。


Is Japan a Religiously Divided Country? Fabian Drixler on Japan’s East/West Divide

日本は宗教的に分割された国家なのか? 日本の東と西の宗教的マッピングの分断を考える

最近公開された世界の宗教分布のマッピングでの日本の宗教分布を見て驚いた。この宗教地図では、日本の本州から西では本質的に仏教的であり、東では神道的であるかのように分割されて見えるのだ。また、神道は四国でより一般的であり、九州南部ではあまり見られないようにマッピングされている。

日本の最北部にある北海道では仏教徒が少し多く見られ、対照的に、日本最南の沖縄は「その他の信仰」とマッピングされており、この場合は明らかに半アニミズムの先住民族的な琉球信仰を指していると思われる。

重要なことは、日本は、隣国である韓国とはまったく対照的であり、完全な無宗教が多い韓国に対して、日本では宗教に属していない人たちが大部分の地域がないということだ。

日本はその大部分が世俗的な社会であり、キリスト教や仏教が確立されている韓国よりも日本は宗教的ではないという印象を長く受けてきた。

そのような印象は、日本での組織化された宗教団体に関する数字が部分的に示してはいる。たとえば、韓国人は全体の 50%以上が宗教組織に属していることが示されるが、日本ではほとんどの日本人が仏教儀式の葬儀で葬送されているにもかかわらず、日本人全体の中で組織的な宗教に所属している人たちは 40%に満たない。

日本の宗教的状況は、いわゆる「民間神道」の存在によってさらに複雑になる。

この民間神道とは、正式な宗教団体に属さない信念や慣行を指す。民間神道は日本の大部分に存在しているため、たとえば、そのような民間神道を信奉している人が多い地域は、地図データでは「神道」としてマッピングされる可能性がある。

ところが、現実には、正式な神道組織に帰属している日本人は、数パーセントに過ぎないのだ。

日本の宗教マッピングは、大乗仏教と神道の両方が非排他的な信仰(他の信仰に対して寛容な信仰であるということ)であり、信者が同時に他の信念体系を公言できる(他の信仰も同時に信じてもいい)という事実によってさらに複雑になる。

多くの情報筋によると、日本人の大多数は、仏教徒であると同時に民間神道の信奉者であるが、しかし、ほとんどの日本人は日常生活では特に宗教的ではない(高齢になってから宗教的日常を送る人たちはいる)。

さらに、約 1300年間、日本では仏教と神道は深く絡み合っていた。

1868年に国家によって課された仏教と神道の信仰の分離政策にもかかわらず、統合主義の要素は存続している。したがって、これらの地図のように、日本の仏教地域と神道地域を別々にマッピングすることは本質的に問題だ。

これを示すいくつかの証拠として、仏教を厳守する多くの地域はまた神道を厳守している。

そのような意味で、日本の宗教において神道と仏教を分けたマッピングの正確さには疑問がある。

たとえば、以下のマップでは、四国南部にある高知県では 85%以上の人たちが仏教徒であることが示されているが、日本の宗教に関するウィキペディアの記事データでは、高知は、日本で「 2番目に低い仏教信仰の率」であり、仏教徒の割合は 17.6%であると記されているのだ。

そして、同じ表では、高知県の正式な神道組織の数は、日本で最高レベルである 5.5%を示している。なお、高知は、日本で最大の神社を持つ。

私の現在の理解は、日本では宗教的な地域主義が適度に存在することを示しており、日本の西側は確かにより宗教的であり、日本の東はより世俗的であるとは言えるが、なぜそのようになっているのかは、もう少し日本について掘り下げる必要があるだろう。


 

まだまだ論文は続くのですが、このあたりまでとさせていただきます。

この後の文章では、日本のかつての歴史にまで遡り、西洋人から見ると複雑に見える「日本の信仰体系」を突き止めようとしますが、西洋人(というか日本人以外)には、理解が難しいもののようです。

寛容な信仰の精神(どんな宗教や信念でもいいし、信仰が重なっても構わない)とか、初詣だとか七五三だとか、あるいは葬儀など、どう見ても宗教的な儀式に見えるものも、「実際には誰もそんなことが宗教的だとかは思っていない」とか、そういうことも含めて、複雑に見えるようです。

これはたとえば、西洋や中東で、「イスラム教とキリスト教のどちらも信仰しています」という理屈は通じないわけですけれど、日本は OK だと。

神道でも仏教でもOK。

先ほどの記事の中に、日本の信仰の割合が円グラフで示されていましたけれど、この記事を書いた人自体が、「日本の宗教において、このような分け方に意味があるとは思えない」というような書き方をしていますが、そこの数字は、もう一度掲載しますと、以下のようなものでした。

日本の宗教分布

・民間神道あるいは無宗教 (51.82%)
・仏教(34.9%)
・組織化された神道など(4%)
・キリスト教(2.3%)
・無回答(7%)

しかし、実際の調査は、もう少し「現実」を示しています。

読売新聞が2005年8月6日と 7日に行った「宗教」に関する世論調査の結果が、日本の宗教 - Wikipedia に掲載されていますが、その結果は以下の通りでした。

日本で2005年に行われた調査「宗教を信じていますか」より

・宗教を信じていない (75%)

・宗教を信じている(23%)

・神や仏にすがりたいと思ったことがある(54%)

・幸せな生活を送るうえで宗教は大切ではないと思う(60%)

・幸せな生活を送るうえで宗教は大切だと思う(35%)

「宗教を信じていない」人が 75%にのぼるのに、「神や仏にすがりたいと思ったことがある」人が 54%もいるというお茶目な日本人。

 

戦後、西洋は、さまざまな国にキリスト教的な価値観を拡大しようとしました。

たとえば、お隣の韓国も「それに乗った国」のひとつです、つまり、韓国は、本来はキリスト教とは無縁な国だったはずですが、今では韓国人の 30%近くがキリスト教徒であり、キリスト教は仏教を超える巨大宗教となっています。

韓国の宗教

・無宗教(46.5%)
・仏教(22.8%)
・キリスト教プロテスタント(18.3%)
・キリスト教カトリック(10.9%)
・他の宗教(1.7%)

韓国では「無宗教」が最も多いですが、気をつけなければならないことは、韓国を含めて、「他の国での無宗教」と、「日本の無宗教」は本質的に異なるということです。

日本の民間神道の基本理念が「この世にあるすべての存在が神様である」というものならば、まさに、日本人の無宗教はそこに準じているはずです。

すべての存在が神様であるなら、組織化された宗教を信仰する理由はまったくないからです。

なお、Wikipedia 英語版の「日本の宗教」にも、日本語版の「日本の宗教」にも、多くの偉人賢人たちの宗教についての言葉が載せられています。

部分的に抜粋すれば、以下のように述べています。

日本の宗教についての偉人賢人たちの言葉

山本七平 「無神論を主張し火で燃やされたジョルダーノ・ブルーノは日本にはいなかった。日本人はずっと無宗教に対して寛容であった」

芥川龍之介 「日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から八百万の神を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる」

村上春樹 「神は人々の心の中にのみ存在する。日本では、神は常に柔軟でどのようにでも捉えられる概念だった」

加藤弘之 「宗教は恐怖に依存する概念だ」

福沢諭吉 「言うまでもなく、宗教は社会の平和と安全の維持という目的のために必要なものである。しかし、私には宗教的な性質がまったくなく、宗教を信じたことはない。他の人が宗教的であることを非難するつもりはないが、私自身の良心としては、自分が宗教を信仰するなどということは許さない」

二宮尊徳 「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。仏教、神道、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗などいろいろあるが、これらはいずれも一つの真理へ到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない」

二宮尊徳さんが言うように「本当の真理はある」けれど、そこに近づくための方法は「どれでもいいやん」というのが日本人の価値観のようです。

これはほとんどの他の国の人たちには理解できない感覚であり、それはつまり、「無理に理解してもらう必要もない」ことなのだと思います。

そして、これからも日本人は同じ信念の上を進んでいくと思いますし、それが日本人という存在としての最後の砦だと私は思っています。

 
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