以下の記事(前編・後編)で、以前のメルマガの記事の内容を編集し直してご紹介したことがありました。
私たち人間の「意識」で「社会と地球と宇宙」を変える具体的な方法
投稿日:2019年7月20日私たち人間の「意識」で「社会と地球と宇宙」を変える具体的な方法 Part.2
投稿日:2019年7月21日
これは、量子力学的な観念も含まれる内容ですが、現実として、
「人間の意志は物質に介入できる」
ことが、科学的にわかっているということをご紹介したものでした。
このメルマガの記事をブログでご紹介した理由は、こういうこと、つまり、
「私たち人間には、この世を根本的に変えられる力がある」
ということを、もっと知っていただきたいと思いまして、さらに「それは良い方にも悪い方にも変えられるはず」なのですけれど、最近の社会の全体の感性は、良い方向に向かうのとは少し違う方向なのかもしれないというようなことも思っていたからです。
それと共に、「人間の想念の重要性」というものを、なるべく多くの人たちが身につけるようになれば、この世も良いほうに行く可能性もあるのではないかと思ったからです。
最近、ふと思い出したのですが、今から半年くらい前に、比較的近いことをテーマとして記したメルマガを書いたことがありました。
その頃の私は、「量子力学的に、人間の意志が物質に変化を与えられる」というようなことは知らなかったのですけれど、やはり、
「瞑想や意志が、実際の社会状況を変えていく」
という可能性についていくつかの大学の研究などからご紹介したものでした。
瞑想などの話ですので、むしろ内容としては、量子力学的な話より単純でわかりやすいものかもしれません。しかし、結局は「意志が現実を変化させる」という意味においては、その根本的な原理は同じものなのだとも思います。
せっかくですので、Part.3 として、その内容を編集してご紹介させていただこうと思います。
ここに書かれてあることから考えてますと、ひとりひとりが「自分を自分の意志で支配する」ことができる人が多い世の中になれば、良い世の中になっていく可能性もあると思うのですね。
では、ここからです。
良心、瞑想、意識は世界を良い方向に変えられるだろうか?
In Deep メルマガ 2019年2月15日発行
以前、「人類には、全員が共有している良心や道徳規範がある」ということが大規模な研究により判明した、ということをご紹介させていただいた以下のブログ記事を書かせていただきました。
・地球の異なるすべての民族が「良心に基づく同じ道徳的規範を共有している」ことが史上最大規模の研究により判明。その本来の人間の「善性」はなぜ損なわれ続けてきたのか
投稿日:2019年2月14日
これは、「あらゆる民族の社会文化の中に普遍的なものとして存在する」道徳的に「良い」とされていることは以下の「7つの観念」であり、それはほとんどの民族に共通だったというものです。
世界のほとんどの民族に存在する道徳的に良いとされる規範
・家族を助ける
・自身の所属するグループを助ける
・互いに報いる
・勇敢である
・自分以外を尊敬する
・公平である
・資源の公平な分配
この記事を読み返していた時に、ふと、
「これは、アメリカ先住民の知恵の中で言われていることと似ている気がする」
と思いまして、今回は、まずそれをご紹介させていだこうと思います。
この「アメリカ先住民の知恵」というのは何かといいますと、アメリカ先住民に伝わってきたとされる道徳観念で、実際の真偽は何とも言えないですが、伝えられている内容は、まさに納得できるものでして、また、先ほどの記事の「良心と道徳」に通じるものがあります。
全部で 20の文からなっているもので、短いものではないのですが、省略できる部分がないですので、すべて掲載させていただきます。
先ほどの「ほとんどの人類が持つ7つの道徳規範」を思い返されながら読まれるのも、よろしいかと思います。
The Wisdom of The Native Americans
《アメリカ先住民の智恵》
1. 祈りのために太陽と共に立ち上がりなさい。ひとりで祈りなさい。何度も何度も祈りなさい。あなたが話しかける時だけ、大いなる精霊は聞いてくださる。
2. 行き先を見失った人々への寛容さが必要だ。魂を失った人々の無知、うぬぼれ、怒り、嫉妬と強欲。あなたは、彼らが道を見いだせるように祈りなさい。
3. 自分自身で自分を探しなさい。他の人々にあなたの行き先を作ることを許してはならない。その道はあなたの道であり、あなたひとりの道だ。他の人々があなたと一緒にその道を歩くことはできても、誰もその道をあなたのために歩くことはできない。
4.あなたの家の訪問客へのもてなしをおおいに考えなさい。 訪問客には最高の食事と最高の寝床を与えなさい。そして、彼らに対して最大の尊重と敬意を持って接しなさい。
5. あなたのものではないものを自分のものにしてはいけない。他の人々からも、集団からも、大自然からも、そして、文化からもだ。自分で得たものか与えられたものでなければ、それはあなたのものではない。
6. この地球にあるすべてのものを尊敬しなさい。人であろうと、植物であろうと。
7. 他の人たちの考え、希望、言葉を尊重しなさい。決して、その言葉を遮ったり、笑ったり、無礼な態度で接してはいけない。この世のひとりひとりのすべての人間が、その人自身の表現を持つ権利がある。
8. 他人について悪く言ってはいけない。ネガティブなエネルギーがあなたに戻ってくる時には、宇宙に放出されて増殖してかえってくる。
9. すべての人間は間違いを犯す。間違いを許しなさい。
10. 悲観的な考えが心と体と魂の病を引き起こす。楽観を学びなさい。
11. 大自然は私の「ため」にあるわけではない。私たちは「その一部」なのだ。大自然はあなたのこの世界の家族の一部だ。
12. 子どもたちは私たちの未来の種子だ。植物は子どもたちの心を愛し、子どもたちを知恵と人生の教訓で潤わせる。子どもたちが成長する時には、植物はその居場所を与える。
13. 他の人の心を傷つけることを避けるように。その痛みの毒はあなたに返ってくる。
14. いつでも誠実でいるように。正直であることは、その人が宇宙とひとつであるかどうかの試験なのだ。
15. 自分自身の均衡を保つこと。自己の精神的な均衡、魂的な均衡、感情の均衡、そして、肉体的な均衡。これらはすべて強く、純粋で、健康でなければならない。精神を強くするために身体を鍛えなさい。感情的な苦痛を癒やすために魂的に豊かに成長しなさい。
16. あなたがどのように在るか、あるいはどのように反応するかの意志決定を意識的に行いなさい。あなたの行動のすべてにあなたが責任を持ちなさい。
17. 他の人々のプライバシーと個人的な空間を尊重しなさい。他の人々の財産には決して触れてはいけない。特に、神聖で宗教的なものに関しては。他人のそのようなものに触れることは禁止されている。
18. まず最初に自分自身に対して真実でありなさい。あなた自身があなたを育み、助けられなければ、あなたが他人を育み、助けることはできないのだ。
19. 他の人々の宗教的な信念を尊重しなさい。あなたの信念を他の人々に押しつけてはならない。
20. あなたの幸運を他の人々と共有しなさい。慈愛と関わりなさい。
久しぶりに読みましたけれど、まあ……やはり、これは今の社会というか、今の日本の社会において、たくさんの人たちに学習してほしいなと思います。
特に今の時代の日本は、あまりに寛容性が少なくなっていまして、
> 2. 行き先を見失った人々への寛容さが必要だ。
> 9. すべての人間は間違いを犯す。間違いを許しなさい。
というあたりをもう少し考えてもいいのではないかなと。今の社会は、1度でも「悪」に振り分けられた人たちに対して、あまりにも慈愛がない。
あるいは、
> 7. 他の人たちの考え、希望、言葉を尊重しなさい。
とか、
> 8. 他人について悪く言ってはいけない。
> ネガティブなエネルギーがあなたに戻ってくる時には、
> 宇宙に放出されて増殖してかえってくる。
というものなどに関しては、今の世の中は、まるでこの道徳観と正反対のようにも見えまして、
「今の世界は、他人を悪く言うことで成り立つ文化が主流」
というような面もあります。
政治、芸能、国際関係、すべてが、「まずは他人を誹謗する」というところが中心となっています。
悪いところだけを発見しようとする。
アメリカ先住民族の言う通りなら、このような社会は、
「ネガティブなエネルギーが増殖して、宇宙からたくさん返ってきている社会」
ということになり、非常に悪循環に陥っているような気もします。
実際に、どうも社会は、「精神的な意味では、どんどん悪くなっている」と感じます。かつては、テレビにしても、まあ、昔はインターネットはなかったにしても、メディア上で、こんなに他人を口汚く罵ることが常態化しているということはなかったわけで、非常に理性を欠いた状態だとは思います。
私などは、まあ、ボーッとした人間ですので、たまに、このような社会が、「狂気の社会」のようにうつることもあります。
狂気といえば、かつて、ルドルフ・シュタイナーは、「唯物論が続くのなら、狂気の精神病が拡大するだろう」と述べていたことも思い出します。
今の世の中は、もうずっと完全な唯物主義であり、物質と、その物質を手に入れるための経済的な基盤がすべてとなっています。もちろん、物質も金銭も否定されるものではないですが、「すべて」でなくともいいような気はします。
シュタイナーは、以下のように記しています。
ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』より
もし、唯物論がまだ何十年もつづくなら、唯物論は民族の健康に破壊的な働きかけをするだろうということを、秘密の導師は知っている。
もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質(神経症)になるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。
子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。
特に精神病が非常な早さで広まる。狂気の流行病が、何十年か先に現れるだろう。精神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。
このような未来の世界像ゆえに、人類の隠れた導師たち、叡智のマイスターたちは、霊的な叡智を一般の人類に注ぎ込まねばならない必要性に迫られているのである。
シュタイナーがこれを言っていたのは、約 100年前ですけれど、「唯物論はそれから何十年も続いて、今はさらに拡大している」ということになっています。
現状を見ていますと、シュタイナーの言う、唯物論の世界のままでは、狂気が拡大するという予測は、ある程度は当たっているのかもしれません。
というか、よく読みますと、
> このような未来の世界像ゆえに
と確定事項のように書いていますので、シュタイナーたちから見れば、「この世が狂気の世界になっていく」ということは、確定的なことだったのかもしれません。
上でシュタイナーが言っている「霊的な叡智」というものが、どういうものかは、私にはあまりわからないですが……最近、私は以下のようなことを、ぼんやりと思うことがあります。
「物質ではないものによって物質世界を変えていくことは、不可能ではない……かもしれない」
と。
もちろん「世界全体を変える」なんていう大仰なことは難しいことかもしれなくとも、たとえぱ、ひとりひとりの「個人的な思想」については、それを本人が本人の考えによって変化させることは、それほど難しいことでもないように思います。
たとえばですが、
「ものすごく差別主義的な人」
が、
「まったく差別的な人間でなくなる」
というような変化を個人単位で起こすというようなことは、そんなに難しいことでもないように思われます。
そして、こういう「個人の変化」が拡大することになれば、社会で共有される意識そのものが変わっていくことにもつながるのではないかとも。
何となく「差別」という言葉を使ってしまったのですが、以前のブログ記事で、
「短い時間の瞑想で、人種的な偏見を減少させることができる」
ということが、英サセックス大学の研究で判明したことを以下の 2015年の記事でご紹介したことがあります。
・世界を変えるかもしれない「瞑想という革命的存在」 : 英国の大学が「たった7分間の慈悲の瞑想が人種的偏見を人々から著しく減少させる」ことを発見
投稿日:2015年11月20日
翻訳した記事の冒頭を抜粋しますと、以下のようなものです。
Seven minutes of meditation can reduce racial prejudice, study finds
7分間の瞑想により人種的偏見を減少させられる可能性が見出される
英国サセックス大学の新しい研究では、優しさの感情を創り出すことを意図する人気の瞑想のテクニックは、また、人種的偏見をも減らすことができるということを見出した。
医学誌「モチベーション・アンド・エモーション」に掲載されたこの研究発表によれば、「慈悲の瞑想」と呼ばれる、自分と、そして、他者に対しての無条件の優しさを促進する仏教の実践法を、たった7分間行うだけで、人種的偏見を減らすことに有効であることが明らかになった。
(略)
究者たちは、わずか7分の慈悲の瞑想が、その白人の人たちが他の民族グループ(このケースでは黒人)に対しての人種的偏見を減少させるのに十分だったことを見出した。
さらに、研究者たちが測定した肯定的な感情のレベルとしては、「他者の利に配慮する感情」(例えば、愛、感謝、畏敬の念、気高さ、などの感情)、「自ら自分の方向を決める」(例えば、満足、喜び、誇り)などがあった。
その中でも、慈悲の瞑想を行った人たちには、特に「「他者の利に配慮する感情」が大きな増加を示したことがわかった。これら「他者の利に配慮する感情」こそが、人から人種的偏見を減少させるものであることも判明した。
これは、簡単に書きますと、白人青年たちのグループを、
・慈悲の瞑想を7分間おこなったグループ
・慈悲の瞑想をおこなわなかったグループ
とわけた後に、無意識の態度を測定するプログラムで、「黒人の人たちに対しての感情」を測定しました。
その結果、慈悲の瞑想を7分間おこなったグループは、他民族グループに対しての偏見感情が著しく減少していたというものでした。
この中で感銘を受けたのは、
「 7分」
という短い時間でした。
たった 7分間の瞑想で人間の価値観が変化する。
瞑想は良い良いと言われながらも、実際にやっている人はそれほど多くないでしょうし、私もまあ、やったりやらなかったりです。
最近はまたあまりやってないですね。
瞑想といえば、それに関して、興味深い話がありまして、アメリカで出版された「心の知性(Heart Intelligence)」という本に掲載されている科学的実験が、海外のサイトで紹介されていました。
それは、
「瞑想で戦争の暴力を減少させる実験」
というものについての記事でした。
その部分を抜粋翻訳します。
Scientists Show How Gratitude Literally Alters The Human Heart & Molecular Structure Of The Brain
1980年代にイスラエルとレバノンで戦争がおこなわれていた中で行われたひとつの研究がある。
米ハーバード大学の二人の教授が、エルサレムとユーゴスラビア、そしてアメリカで経験豊富な瞑想者のグループを組織し、27カ月間にわたり、さまざまな間隔で瞑想中に紛争が起きている地域に注意を集中するよう求めた。
研究の過程で、レバノンの暴力レベルは瞑想グループが置かれるたびに 40%から 80%減少した。
戦争中に殺害された人々の平均人数は、一日 12人から一日 3人に減少し、戦争関連の負傷は 70%減少した。
瞑想に関して、もうひとつの事例がある。
1993年に米ワシントンDCで行われた研究だ。
これは、2500人の瞑想者が特定の期間に「犯罪を減少させる」という意図を持ち瞑想した際に、犯罪率が 25%低下した。
これはまあ、どちらも、確かにいろいろと「微妙」な話ではあります。
たとえば、レバノンのほうは「 27ヵ月間という長い期間」でおこなわれた研究で、これだけの長期間だと、瞑想とは関係なく、社会的、政治的な状況から「紛争そのものが自然と沈静化していった」というだけかもしれないですし、何とも言えないですが、しかし、名門ハーバード大学の研究者たちが、その成果を論文としている以上は、そこに「何らかの相関はあった」のかもしれません。
仮にそうだとすれば、
「瞑想は自分に対してだけではなく、他者や外部の世界も変化させられる」
という可能性があるものなのかもしれません。
そして、結局は、瞑想でなくとも、何でもいいと思うのですけれど、
「自分を顧みる瞬間」
という時間が今の社会と人々には少なすぎると思うのです。
他者ばかりを見て、自分をあまり見ていない。
こういう時代の中では、瞑想あるいは、それに準じることを行うのは、極めて重要なことなのかもしれません。
何しろ、7分くらいでいいわけですし。
以前、子どもが小学生の時に、「中学生になったら一緒に瞑想しようか」と言ったことがありましたが、子どもが中学生になった今も、自分自身でもさぼってばかりで、子どもと一緒に瞑想をおこなうことは実現させていません。
いつかはやりたいと思っていますが、皆さまがたもやられてみられてはいかがでしょうか。
最初は、3分とかでもいいのではないかと思います。
あるいは、5秒とか(そりゃ短すぎるわ)。
ちなみに、先ほどの英国サセックス大学の「差別意識を減少させた」という内容に出てきました「慈悲の瞑想」というのは、特定の人物を視覚化して、その人に対して、「幸せで健康でいられますように」というようなフレーズを繰り返すことを通じて、自分と他者に幸福と優しさを生み出すものとして知られているもの、とされています。
参考までに、「慈悲の瞑想」の際に念じる代表的な文言を掲載しておきます。
結構長いですが、正式なものを全文載せます。
慈悲の瞑想
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)※こころの中で「私は幸せでありますように」
と繰り返し念じる。私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」
と繰り返し念じる。生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」
と繰り返し念じる。私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
ここまでです。
この慈悲の瞑想の好きなところは、最初が、
「私は幸せでありますように」
というように、「まずは自分の幸せを願う」ことから始まるところです。
これはとても大事なことだと思います。
それは、その人が慈愛や利他に満ちた素晴らしい人であればあるほど大事なことだと思います。なぜなら、
「そんな素晴らしい人には、まずその人が幸せで元気で生きていてほしいから」
であり、そういう人たちこそ、「まずは自分の幸せを祈る」ことがとても重要だと思います。
自分以外は大ざっぱで済ましたい場合は、
私は幸せでありますように。
あとはまあ、そのへんの他のものも何となく幸せにどうぞ。
という、10秒くらいの瞑想でもいいかもしれません(だから、ダメだって)。
ちなみに、私の考えとして、「瞑想の主たる目的」は、世界の平和云々というようなオオゴトではなく、
「自分自身を自分の意志で支配する」
ために重要だと考えています。
そして、私も含めてですが、多くの人々が「自分を支配する」ことができていないのが今の時代だと思うのです。
またもシュタイナーの言葉で恐縮ですが、シュタイナーは、繰り返し、「現在の人々は自分で自分を支配していない」と述べていました。
シュタイナーの生きていた 100年くらい前でさえそうだったようなのです。シュタイナーの著作『いかにして高次の世界を認識するか』では、以下のように述べられています。
私たちが自分自身で人生を支配するのではなく、人生によって支配されているときには、外界からやってくる人生の大波は、内なる人間をあらゆる側から束縛します。
このシュタイナーの表現は、ちょっとわかりにくいかもしれないですが、私たちの現実を見てみれば、このシュタイナーの言っている意味がわかります。
たとえば、
「何か社会を揺るがす大事件が起きた」
とか、
「大災害が起きて、それをテレビが報じている」
というような時には、基本的にほとんどの人たちが、その「外からの波」に釘付けになるはずです。
外部で起きたことに完全に自分が飲み込まれてしまう。
そのような大事象の時にでさえも、
「自分を軸にして考える」
という人は少ないのではないでしょうか。
このように「外部からの影響を主体として生きている」のが今の時代の人間です。それをシュタイナーは「良くない」と言っています。
大事件、大災害の真っ只中のような時でも、自分を支配して、自分を客観的に見て生きる、ということができなければならないと彼は言います。
「常に自分と、その心を冷静に見ることが必要だ」と。
そういえば・・・何だか話が逸れていくかもしれないですが、以前の記事で、「サイキック能力を高めるための重要な手段」というものをこちらの記事で書いたことがありました。
これは、変な人が提唱したものではなく、米コーネル大学の名誉教授であり心理学博士であるダリル・ベム博士という方が、サイキックパワーの研究をしている中で、このような結論になったというものです。
そして、面白いことに、この内容の一部もまた、「アメリカ先住民族の智恵」、「全人類共通の道徳規範」と重なるものなのです。
それを挙げますと、以下のようになります。
米国コーネル大学のダリル・ベム教授による「サイキック能力を強くするためのいくつかの重要な手段」
1. 自分自身を信じること。そして、リラックスすること
2. 否定的な考え方と否定的なエネルギーを無視すること
3. 個人的な利益のためにあなたの能力を使わないこと
4. あなたが持っているかもしれない恐怖を克服すること
5. 肯定的なままでいること。ストレスを持たないこと
6. なじみのない物体に触れる訓練をして、その時に心に出てくる感情と考えを記録すること
7. 場所と出来事を考えることにより遠隔透視の訓練をすること。その場所や出来事は近いうちにあなたが訪れる予定のある場所か、行う予定のあること。そして、先に考えていたことと現実を比較して類似点を記録する
8. 他の人々の心の中を読み取ることによりテレパシーの訓練をすること
後半のほうはともかく、前半のほうは、先ほどまでに出てきたさまざまな「正しい生き方」につながるものです。結局、超能力者になるためには、「道徳的に正しく生きて、意志で治部を支配する」ということが重要なのかもしれません。
社会的に、やや不穏な時が近づいているのかもしれないですが、何が起きても、外部に飲み込まれないようにお互いに生きたいですね。
それは簡単なことではないですけれど、時代が激しくなればなるほど大事なことだと思います。
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