イエスとは
アメリカの元連邦アナリストであるリチャード・C・クック氏という方が、ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラー(本名/ジョセフ・アントン・シュナイダーフランケン)の著書『あの世についての書』(あるいは『死後についての書』)を投稿していたものを、以前、ブログで翻訳連載したことがありました。
死後の世界を語ったものです。
・『あの世についての書』パート1
・『あの世についての書』パート2
・『あの世についての書』パート3
・『あの世についての書』パート4
・『あの世についての書』パート5
・『あの世についての書』パート6
・『あの世についての書』パート7
・『あの世についての書』パート8
元連邦アナリストの方が、なぜこんなものを連載していたかというと、最初の記事の冒頭のほうで、この英語版(オリジナルはドイツ語)を出版した理由を以下のように書いています。
「現代社会において、災難と機会の両方に直面し、人間存在の根本的な意味について深く考えさせられる人々が、本書に強い関心を示しているからだ」
つまり「今は死の時代だから」こそ、という感じでしょうか。私も、自分が死んだ後の参考にはなりました(なんか変な表現だな)。
その後もリチャード・C・クックさんはボー・イン・ラーの数々の著作をご自身のメディアに投稿し続けています。
上の『あの世についての書』以外には、「見えない領域の世界から「悪」を呼び込まない方法」について、以下の記事で取り上げたことがあります。
・ボー・イン・ラー氏のエッセイ『邪悪な個人』で語られる、見えない領域の世界から「悪」を呼び込まない方法
In Deep 2025年10月8日
リチャード・C・クックさんの新しい記事で、ボー・イン・ラーについて、その歴史と未発表文書が掲載されていました。
その未発表文書は、『あの世についての書』とは異なり、ほぼ完全に「イエス」などについての内容で、同時に、ヤハウェとか悪魔とかの概念にもふれているのですが、強固深かったのは、ヤハウェ(聖書などにおける唯一神であり、万物の創造者の名)について以下のように書いていたことです。
> この名(ヤハウェ)のもとに崇敬されていたのは、「宇宙の強大な存在」の一つであり、目に見えないものの、決して「霊的な」宇宙知性体ではない。
>
> 彼らは知性のみで構成された存在であり、人間に見出す霊的なものへの信仰は、彼らにとって単なる愚行に過ぎない。なぜなら、霊は彼らには理解不能だからだ。
>
> 彼らはまた、人類が到達可能な知性の領域、すなわち知的理解の領域における真の支配者でもあり、その知識力から判断して、霊的なものへの信仰の愚行を捨て去るよう人々に説得しようとする。
「へえ、なんかイメージ違うなあ」とか思ったのですが、何となく興味もありましたので、その未発表の文書を翻訳しました。
書いたのは本人ではなく、1910年からボー・イン・ラーとの交流があったエリザベート・フォン・オルデンブルクという女性がボー・イン・ラーの言葉を記録していたようです。この方は、公爵夫人としての貴族爵位を持っていた方ですが、歴史の部分を読みますと、ボー・イン・ラーという人は、ドイツやオランダの貴族会との関わりも強かった人のようです。
記事の前半のボー・イン・ラー(1876-1943年)の歴史の部分も、なかなか面白いもので、1916年には、ナチスに徴兵された経験があったり(偶然にも戦場ではなく事務の仕事を任された)。
しかし、その後、ナチス政権下による出版物の検閲の中で、ボー・イン・ラーのすべての著作がブラックリストに掲載され、1935年には、ドイツからスイスへの移住を決意したようです。
このボー・イン・ラーの歴史の部分も興味深いのですが、かなり長いものですので、ここでは、未発表の文書の部分だけ翻訳します。
ボー・イン・ラーの表現はわかりにくい部分が相変わらず多いです。
翻訳の後に少し注釈します。
ボー・イン・ラー:形而上学的現実についての解説 - エリザベート・フォン・オルデンブルクの遺産より
Bô Yin Râ: Commentary on metaphysical realities--from the legacy of Elisabeth von Oldenburg
Richard C. Cook 2025/11/15
聖書で言及されている「父」がイエスの父であるかどうかという疑問について
そう、聖書を含む最古の文献に記されている「古きものの中の古き者、大天使」こそが彼だ。霊の階層構造は、祈りが最初の「生まれた霊人」へと向けられる経路だ。
この「最初の」存在はすべての中心的存在であり、階層構造の構成員を通して成就をもたらす。「言葉」が語る最初の霊人、すなわち「父」と、彼から生まれた存在、つまり彼と同じ種族、つまり「霊的存在」でありながらはるかに低いレベルにある存在とを区別する必要がある。「神の子」 --- そう、私たちはまさに「父」を満たす神聖な本質の放出物なのだ。
イエスと福音書について
イエスの活動の主眼は霊界にある。そこにある「原因の領域」において、彼は自らの霊的使命と「父」の教えに従い、同胞が霊的な助けを受けるために必要な条件を作り出す。
もちろん、彼は「奇跡」を行うことはできないし、それについて伝えられているものはすべて象徴的に理解されるか、神話の領域に属するものだ。
しかしながら、彼は奇跡に近い知的能力を有している。エルサレムのユダヤ教神殿の聖職者たちは、イエスを忌み嫌い、不都合極まりない戒め主として排除しようとした。そしてついに、人々がイエスがエルサレムに入城した際に王であると宣言しようとした時に、彼らは成功を収めた。彼らは、当時の慣習に従って、ローマ当局に彼を扇動者として処刑させる口実を見つけたのだ。
今日ヨーロッパにおいて、イエスについて真摯に語ることのできる者がいるとすれば、それは私(ボー・イン・ラー自身のこと)だ。この事実を、私が謙遜を貫きながら明確に強調しないのは嘘になる。
しかし、真に「原初の光の輝く者」である私たちは皆、永遠の原初の御言葉の地上における表現を体現している。ある者はより力強い方法で、ある者はより現実的な方法で、それは父なる神から私たち一人ひとりに与えられたものだ。
「神」から出た「言葉」、すなわち「神」そのものは、私たち一人ひとりが「彼の星」を見た時に確証を得たものだ。
ヨハネによる福音書と「黙示録」について
これら(ヨハネによる福音書と黙示録のことの模様)は使徒の著作ではなく、120年から 150年後に無名の著者によって書かれたこと、そして今日保存されている版が 4世紀の完全に改ざんされたテキストに基づいている(それ以前の版は存在しない)ことは、あなたにとって目新しいことではないだろう。
いわゆる「黙示録」は、異なる時代に生きたまったく異なる著者による著作だ。中には博識な者もいれば、霊媒師や異教の残滓から生まれた新しいカルトの熱狂的な信者もいた。
このテキスト資料は後に真の詩人であった人物によって編纂され、今日私たちが目にする形で、ほとんど壮大な効果を生み出した。この原典の文脈で読み、挿入された箇所の共通点を検証する必要がある。
「改訂者」は「悪人」ではなく、むしろ自分たちの変更が正義の勝利をもたらすという確信に満ちていた。そして、善意で行動したこれらの「偽りの」詩人たちは、しばしば原典の著者よりも真に優れた詩人であった。
ハウェ(与えられた実在の存在)について — 信仰によって創造された存在であるキリスト教の神について — 「闇の王子」について
この名(ヤハウェ)のもとに崇敬されていたのは、「宇宙の強大な存在」の一つであり、目に見えないものの、決して「霊的な」宇宙知性体ではない。
ユダヤ人はこれを「ディヤン・チョラン (Dhyan-cholan)」(発音は「チョラン」)と呼び、惑星の精霊として崇敬する。ヘブライ語の教えでは、これらは「エロヒム (Elohim)」と理解されることもある。
彼らは知性のみで構成された存在であり、人間に見出す霊的なものへの信仰は、彼らにとって単なる愚行に過ぎない。
なぜなら、霊は彼らには理解不能だからだ。
彼らは物質宇宙の一種の「支配者」であり、地上の基準では計り知れないほど長い寿命を持つが、最終的には徐々に消滅していく儚い存在だ。
彼らはまた、人類が到達可能な知性の領域、すなわち知的理解の領域における真の支配者でもあり、その知識力から判断して、霊的なものへの信仰の愚行を捨て去るよう人々に説得しようとする。
ヨシュア(イエス?)の言葉で言う「この世の君主」とは、宇宙におけるこうした強力な存在の一人であり、すなわち、その意識が地球という物質に宿る存在である。
イエスはゴルゴタでの愛の行為 (自らの命を犠牲にして十字架にかけられたこと)を通して、彼からその力の大部分を奪った。ここでは「名前の登録」が不可能であるため、当然のことながら、この地球の惑星知性が、ヘブライ語で YHWH と記される原初の神「ヤハウェ」であるかどうかは判断できない。
私がこう言うのは、完全に正しいからだ。なぜなら、私にとってこの同一性には疑いの余地がないからだ!「ヤハウェ」がどう発音され、どう表記されるかはさておき、それは紛れもなく与えられた実体であり、多くの人々の集合的な信仰によって創造された実体とは全く無関係だ。
今日のキリスト教の神は、ほぼ普遍的に「神」と同一視されている概念を指すという点で、異なる種類のものだ。
イエスの使命が「この世の君主」の力を打ち砕くことであったように、私の使命は、現在と未来の人類を、自ら作り出した偶像の力から救い出し、このあまりにも人間的な形をした偽りの神の背後に真の神があり、それが実際にどのように考えられなければならないかを示すことだった。そうして初めて、ナザレのイエスが語る言葉が、ついに現実のものとなるのだ。!!!!! [強調は原文のまま]
二千年の間、数え切れないほどの人々が自らを「キリスト教徒」と称してきたが、キリスト教をイエスの教えとして理解するならば、キリスト教は地球上のごく限られた場所にしか存在してこなかった。
残りの人々は、キリスト教以前の秘儀カルトであり、別の名前で存続し、一部は堕落しているか、あるいはキリスト教から部分的に乖離した倫理共同体であり、キリスト教に染まったいくつかの教義を除けば、ナザレの師が現れるずっと以前から古代世界から叡智として書き記されていたもの以外は、まったく何も持っていない。
ナザレの師の真の意義を認識し、彼の教えの核心が徐々に現実のものとなるのを見るのは、未来のことだ。最後に、「ヤハウェ」という名前はあまりにも神聖すぎると考えられていたため、ユダヤ人によって口にされることはなかったことを付け加えておく。彼らはアドナイ(主)と言ったり、他の婉曲表現を選んだりした。
「闇の王子 (Prince of Darkness)」(闇の王子は、おそらく悪魔のことを指していると思われます)こそが、この「王子」の真の本質だ。彼がどのような存在であるかを想像しようとも、この事実とは無関係だ。
物質世界のすべてはこの王子に従属しており、あらゆる物質、動物の身体のあらゆる活動、思考、脳などは、彼の支配と影響下にある。これはいつか崩壊し、終焉を迎える物質的実体だ。
イエスは知性の呪縛を破ったのではなく、この恐るべき唯一の物質的実体の力と威力を破ったのだ。この実体は知性そのものであり、知性が破られた場合にのみ実現される。
知性の根源であり本質であるのは、まさに闇の王子の存在そのものだ。もし私たちが学校で、この「現実」における強力な存在について学ぶならば、私たちは子どもの頃から、誰の餌食になり得るのか、そしてどうすればそれを防ぐことができるのかを知るだろう。
私たちがそれに気づかないからこそ、この強大な者はこの計り知れない力を妨げられることなく行使できるのだ。誰も自分自身を守ることを学びはしない。
私たちの祖先は彼についてよく知っていた。私たちはその知識を失い、現代の聖書が編纂された際に多くのことが省略されたのかもしれない。
---「大争闘 (the Great Controversy)」(善と悪の、あるいは神と悪魔の壮大な戦い)がもはやあなたにとって受け入れ難いものであるというのはまったく別の問題だ。星空はこの種のものすべてを拒絶する。何か否定的で暗いものが近づくと、すべての星の光は反抗的で、ほとんど防御的な姿勢で直立する。
これが役に立つことを願っている。
ここまでです。
よくわからなかったのは、「闇の王子」 (The PRINCE OF DARKNESS)という部分ですが、他のキリスト教関係のウェブサイトの以下のような表現から、日本語でいう「悪魔」ということでいいのかなと。
「闇の王子」は、様々な宗教やあらゆる大陸の民間伝承に登場する。だからこそ、私たち西洋人が「彼」についての理解やイメージをどこから受け継いでいるのかを知ることは重要だ。この敵を「悪魔」と呼ぶ時、私たちのほとんどは、その言葉が何を意味するのか、あるいは悪魔について何を信じているのか、まったく確信を持っていない。これは、宗教的信仰を持つ人にも、持たない人にも当てはまる。
「闇の王子」は、哲学、芸術、文学、医学、精神医学、そしてあらゆる種類のオカルティズムにおいても研究対象となり得る。とりわけ、「彼」は個人の経験を通して研究対象となり得る。
あと、後半に「大争闘」という言葉が出てきますが、また他の聖書系のサイトには以下のように書かれていました。
全人類は今、神の御性質、神の律法、そして宇宙に対する神の主権をめぐって、キリストとサタンの間で繰り広げられる大いなる論争に巻き込まれている。
この争いは天において、選択の自由を授けられた被造物が自己を高揚させ、神の敵対者であるサタンとなり、一部の天使たちを反逆へと導いたことに端を発している。
サタンはアダムとイブを罪に導き入れ、この世界に反逆の精神を持ち込んだ。この人間の罪は、人類における神の御姿の歪み、被造世界の混乱、そして創世記1章から11章に記されているように、世界規模の大洪水による最終的な滅亡をもたらした。
全被造物によって見守られたこの世界は、宇宙的な争いの舞台となり、愛の神は最終的にこの戦いから正当性を証明されるのだ。
だそうです。
私自身は、キリスト教徒でもないですし、いかなる宗教も信仰していないこともあり、善が勝とうと悪が勝とうと、あるいは、神が勝とうと悪魔が勝とうと、その選択の善し悪しの観念は持ちませんけれど、私たちは基本的に「現実の物質社会」に生きていて、そして、そこでどう生きるかを常に考えます。
ボー・イン・ラーの言葉や、あるいは聖書(ボー・イン・ラーの先ほどの言葉だと、聖書はずいぶんと原初からは変更されているようですが)などから、物質社会の生き方を学べればいいかなあと。
金価格は上がるか? とか(俗物だなオイ)。
うに丼の価格は下がるか? とか(俗物以下だなオイ)
ええ、そうです。私は俗物以下ですが(サブヒューマン)、どこかの部分で、こういう人たちの考え方がご参考になる部分があれば幸いです。
そういうこともあり、翻訳させていただいた次第です。
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