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33度線上の破壊は続くよ、どこまでも : タリバン占領以前の「楽園」だったアフガニスタンを見て、自分の国の現在と将来がその姿と重なったり

      2016/01/20

1967年のアフガニスタンの首都カブールのパグマン・ガーデン

afganistan-paghman-1967Afghanistan Gallery

2007年に撮影されたパグマン・ガーデン

paghaman-garden-2007b

1967年のアフガニスタン 通学する女子学生たち

afganistan-girl-1967

学ぶことも働くこともタリバンに禁止された1996年のアフガニスタンの女性たち

Afghan widows clad in burqas line up during a cash for work project by humanitarian organisation CARE International in Kabul January 6, 2010. In this project, 500 Afghan widows, most of whom lost their husbands during the civil wars in Afghanistan, make blankets after receiving the materials from CARE. REUTERS/Ahmad Masood (AFGHANISTAN - Tags: SOCIETY)Reuters

 

あらゆる「主義」とか「宗教」とか「国家」とは何を破壊しようとし続けているのか

その国や地域が、他の地域から見て幸福かそうではないか、なんてことはわかりようもないですが、私個人としては「女性と子どもが幸せそうなら、その場所は大丈夫」だという基準を持っています。

そういう意味では、100年以上前の日本は、まさに理想的な地域的集団だったようには思います。

特に、子どもに対しては、以前、

「革命」(3) – 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
 2015/07/12

という記事に書いたことがありますけれど、今の私たちの日本の社会は「本来」と何かが違ってしまっていて、それだけに、江戸時代とか明治時代の日本から学ぶところは多いとは思います。

1877年(明治10年)に、日本へやってきたアメリカの動物学者エドワード・S・モースという人は、

「私は、日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」

と語っていたりしていましたが、当時、多くの外国人が、日本の、特に、女性と子どもの「存在そのもの」の、あまりの素晴らしさに感動を受けていたことが、渡辺京二さん著の『逝きし世の面影』に数多く書かれています。この本には、当時の「日本の女性」と、「日本の子ども」について、それぞれ独立した章で書かれています。

この本に書かれていたような日本になる(戻る)ことができるのならば、どんなことになっても・・・それはたとえば、日本が世界で一番貧しい国になったとしても、それでも永劫に幸せでいられると思えるほどです

この世の何がどうなっても、「幸せの価値は物質に左右されない」という日本の本来の価値観を思い出せれば、実は世界情勢なんて何の関係もないのですけれど。

ただし、まあ・・・どなたも理解できるところとしては、「今の状況下で、そのような価値観となっていくことは無理」であるということも、また事実だと思われます。

結局、物質に左右されない「絶対的な価値観」を再度獲得するためには、「1度、物質的に全壊するしかない」のだと思います。

すべてが破壊されて、すべてが消滅してしまえば、好き嫌いではなく否応なしに、「物に縛られない生き方の価値から考えるしかなくなる」はずのような気がします。

いずれにしても、1年5年10年でどうなるというものではないでしょうが、今少しずつ進んでいる状況を見ていますと、それがいつかはわからなくとも、「そんなに果てしない遠くではない時代のいつか、それに近い状態を私たちは経験する」ような気はします。

なので、今はむしろこの物質世界を楽しめばいいのだという気もします。おそらく、いつかは力尽くですべては消滅させられるでしょうから。

 

・・・というようなことは横道でして、要するに、

「社会は、女性と子どもが幸せであることが、人間社会の基本理念」

という考えが私にはあるということでして、少しそこから逸れてしまいました。

それで、冒頭の「アフガニスタンの 1960年代と、その後」の写真などを並べてみたのですが、先日のデイリーメールに、その写真はありました。

1967年から 1968年にかけて、アフガニスタンにユネスコから派遣されたアメリカの大学教授、ビル・ポッドリッチ博士( Dr. Bill Podlich )が撮影した当時のアフガニスンの写真でした。それらは、当時のアフガニスタンが、女性たちも子どもたちも、いい意味で緊張感のない穏やかな社会だったことがうかがえるものばかりでした。

 

アフガニスタンは、1996年に「タリバン」が政権をとった後、Wikipedia によりますと、

ターリバーンは過度に今までの娯楽や文化を否定し、また公開処刑を日常的に行うなど、過激な活動をおこなった。

また女性は学ぶ事も働く事も禁止され、外出さえも認められなかった。外国人も例外ではなく、女性の国連職員は入国が許可されなかった。

という政策を取り、当然、タリバン政権下では、冒頭の写真のような「屋外においてワンピース姿で女性たちが遊ぶ」なんてのは、場合によっては石打ちや死刑の対象だったかもしれず、そういう光景はアフガニスタンから消えていきました。

今のアフガニスタンはタリバン政権ではないですが、タリバン自体は、いまだにアフガニスタンの広い面積を実効支配しています。

ちなみに、1992年にタリバンが政権を取った時の正式国名は、「アフガニスタンのイスラム国( Islamic State of Afghanistan )」でした。要するに「アフガニスタンの IS 」だったと。

なんというか、こう・・・あんまり今も昔も概念として変わっていないのです。

それはともかく、それ以前のアフガニスタンは、おそらくですけれど、1967年の写真を見る限り、100年 200年前の日本の「スタンス」と、やや似ていたかもしれないなあとも思います。

その「スタンス」とは、「女性と子どもが楽しい場所である」という。

たとえば、子どもの写っている写真などを見ると、男のオッサン連中たちはムチャクチャ貧相な格好をしていて、この国の一種の貧しさをあらわしてもいますが、しかし、子どもたちは、わりとオシャレで、親が一生懸命に、子どもにきれいな服を買い与えていた様子がうかがえます。

1967年のアフガニスタンの街中

1967-afganistan-children

 

日本でも、昔の民衆は、「まず子どもへ」という態度が鮮明だったことが、先ほどの『逝きし世の面影』に記されていて、また、写真などを見ると、特に娘さんには無理をしてでも着飾らせてあげていた感じがします。

1897年 京都のお茶屋に集う女性たち

kyoto-1897-gal過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景

 

上の 120年前の写真の京都の女性たちは、皆さん、とにかく可憐に着飾っていますが、この写真の数々は「庶民たち」を撮影したものですので、おそらく彼女たちの父親や男兄弟は、「超粗末な格好」で過ごしていたような気はします。

 

ところで、前回、

北緯33度線の「意味」が完結に向かうかもしれないと思わせる2016年 : アメリカに出現した「完全な円を描く虹」が示すかもしれないこと
 2016/1/17

という記事で、久しぶりに「北緯 33度線」のことについて書いたのですけれど、このアフガニスタンという国も、首都カブール周辺を含んで、全土を北緯 33度線が横断している国なんですね。

afganistan-33-map

そして、この「33度線」周辺で、最近いろいろと起きているような気がしていまして、突きつめれば、「さらにいろいろなことが起きるのでは」というような考えにもつながるのです。

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最近北緯33度線直下で起きていること

前回の記事では、サウスカロライナ州に出現した「完全な円の虹」をご紹介しまして、まあ、「虹」というのが地獄と関係しているという伝説が正しければ、いつも「半円」の虹が「完全の円として完成した」というあたりから、

「地獄の完成」

なんてキーワードも思ったりするのですが、他に、今日、

リビアの「赤い朝」:2009年のオーストラリア、2014年の中国に続いて出現した終末的な示唆
 地球の記録 2016/01/19

という記事に書いたのですが、1月17日に「リビアのトゥブルクという町とその周囲が真っ赤に染まった」という出来事が起きたのですね。

1月17日のリビア・トゥブルク

red-sandstorm-libyaTwitter

原因はダスト・ストーム(砂や塵の嵐)とされていて、詳細は上の記事に書いてありますが、原因はともかく、この赤さは久しぶりの「真っ赤」でして、早速、この町の位置を見てみますと・・・。

Tobruk-Libya-map33

 

ほぼ見事に北緯 33度線上で「大気が真っ赤に染まった」ということになったようです。

そして、ついここ最近、記事にしたものたちが、「やたらと北緯 33度線と関係がある」ことにも今日気づいたのでした。

最近の記事とは、

・1月10日の In Deep の記事(カリフォルニア州とオクラホマ州の異常な群発地震)
・1月17日の In Deep の記事(サウスカロライナの完全な円の虹)
・1月19日の地球の記録の記事(リビアの赤い朝)

などですが、そして、ここ数日で何があったというわけではないにしても、今回ふれましたアフガニスタン。

地図で書きますと、下のような感じです。赤字は参考までに、歴史的ないろいろと、やや日本と関係する 33度線のいくつかの出来事と関わる場所です。

33-2016-happen

 

そして、最近、Google Earth を見ていて、ふと

「中東の北緯 33度線は結構とんでもなく示唆的な部分を通過している」

ことに気づいたのです。

下の地図でおわかりいただけると幸いですが、中東の北緯33度線が通過する場所には、

・シリア
・イラク
・ヨルダン
・サウジアラビア

のそれぞの国境の交差する場所があり、33度線はそれらの場所を通ってから、

・レバノン
・イスラエル

の間を通っていくのです。

中東と北緯33度線

33-four-country

 

示唆的といえば示唆的すぎるようでもありますし、単なる偶然といえば、激しく単なる偶然としか言えない面もあるかもしれないですが、北緯 33度線上で、この数年の間に起きてきていたことを考えますと、たとえ偶然だとしても、このシリア、イラク、ヨルダン、サウジアラビア、レバノン、イスラエルなどが絡んだ「大きな出来事の勃発」を考える部分は少しあります。

それにしても、アフガニスタンやイラクやシリアなどは、どこも古代からの大変に長い歴史のある地域で、西欧文化などは及びもつかない深い文化を持っていたはずなのですが、近代になって以来、それらが根本から破壊され続けていることと 33度線という概念とが結びつくことも気になります。

33度線上にある何か(物質ではなく、精神的なものに関係する何か)を破壊しようと歴史は進んできたのかもしれない」というような、やや陰謀論的な考えも浮かばないでもないです。そこには何らかの意図があるのか、やはり偶然なのか。

それらはわかりようもないですが、まあしかし、今後の世界がどうなるにしても、どんな世の中になろうと、その社会が女性と子どもが幸せになる方向でいるならば、それは幸せな社会であるわけで、それができるのなら未来はそんなに暗くはないのですが・・・しかし実際はねえ・・・。

とはいえ、5年とか 10年とかの短いスパンで社会を嘆いていても仕方ないわけで、もう少し遠い先には、何か新しい社会なり人間性なりが広がるようなことになっているのかもしれないですし、私たちのジェネレーションはもう orz ですが、次の世代はきっと何とかなるのではないかと思いたいです。