2019年12月31日のアジア・タイムズ(香港)より
なぜ、彼らがそのように考えるのかを冷静に考察すると
12月30日の韓国のハンギョレ新聞が、12月に「韓国女性開発研究所」などにより、韓国人 5000人に対して行われた国民意識調査の結果が報じられていました。
その結果は、かなり衝撃的なものです。
ハンギョレ新聞は極力淡々と報じていましたけれど、数字通りに捉えれば、壊滅的な意識調査の結果といえる結果となっています。
そのハンギョレ新聞の報道内容を、香港を拠点とするアジア・タイムズという英字メディアがに解説を加えて報じていましたので、まずはそちらの報道をご紹介したいと思います。
ちなみに、先に数字をご紹介しておきますと、以下のようなものでした。
19歳から59歳までの5000人の韓国人の意識調査
《若者世代》
・19歳-34歳までの韓国人女性の79%が韓国から出ていきたいと考えている。
・19歳-34歳までの韓国人男性の75%が韓国から出ていきたいと考えている。
・19歳-34歳までの韓国人の若者の80%は「韓国は地獄だ」と考えている。
《高齢者世代》
・35歳-59歳までの韓国人の65%が韓国から出ていきたいと考えている。
・35歳-59歳までの韓国人の64%が「韓国は地獄だ」と考えている。
「自分の国は地獄だ」というフレーズが、戦争や内戦中ではない国で、これだけ多くの若者から出るというのは結構な衝撃ですが、アジア・タイムズの報道を読みますと、そのような数値のかなりの部分に様々な意味が含まれていることがわかります。
また、このアジア・タイムズの記事には、「生き方として、とても参考になる」言葉などもありましたので、やや長い報道なのですが、全文翻訳してご紹介したいと思います。
では、ここからです。
75% of young want to escape South Korean ‘Hell’
Asia Times 2019/12/31
75%の韓国人の若者たちが「地獄の韓国」から脱出したいと願っている
韓国人は、他のアジアの国から遠く眺める限りは、東アジアの中でも恵まれているように見えるかもしれない。
この国は、何もない社会から経済的にも国際外交的にも飛躍的に発展し、今では、世界をリードする企業ブランドを多く持ち、未来的な建築物に囲まれ、そして、世界中から愛されている K-ポップを生み出した。他のアジアの国々から見れば、憧れの対象となっても不思議ではない。
しかし、韓国国内から見た「自分たちの国の風景」は、私たちが周囲から見るものとはかなり異なっていることがわかった。
韓国で 5000人を対象として行われた最近の意識調査によると、世界で 11番目に裕福なこの国で、19歳から 34歳までの若い韓国人たちの 75パーセントが、「韓国から去る」ことを望んでいるのだ。
韓国のハンギョレ新聞で 12月30日に報じられたこの衝撃の調査結果は、韓国女性開発研究所の男女共同参画政策フォーラム「若者の立場からのジェンダー紛争の診断と包括的な国家に対する政策対応の提案」で発表された。
調査によれば、若い世代の韓国人女性の 79.1%が韓国から去りたいと思っていることが示された。若い男性の場合で 72.1%が韓国を去りたいと考えていた。
また、若い世代の韓国人女性の 83.1%と、若い韓国人男性の 78.4%が、自分の国を「地獄」だと見なしていた。さらに、若い韓国人女性の 29.8%と、若い韓国人男性の 34.1%が自分を「敗者」だと見なしていた。
これらの意識調査での若い韓国人世代での男女の差は僅かであり、性別を超えて、自分の国での生活に対しての不満があらわれている。
彼らが自分の国を「地獄」だと表現していることには、一体どういうことが含まれるのだろうか。あるいは、本当は国から出て行くという願望はなく、単に話として述べているだけなのだろうか。
「地獄の朝鮮」というフレーズ
近年、韓国人の若者たちの間で使われるキャッチフレーズがある。それは、彼らが自分の国のことを「韓国」と呼ばず、「地獄の朝鮮(Joseon)」と説明するのだ。「朝鮮」は、かつての韓国王国の名前だ。
ソウルの大学に通う 20歳の大学生のパク・ジナさんは、アジア・タイムズに以下のように語った。
「冗談として、私たちは韓国を “地獄の朝鮮“ と呼んでいますが、最近では “地獄の朝鮮“ よりも多く使用する “タルジョ“ と呼ばれる用語があります」
この “タルジョ“ とは、ふたつの韓国語が合成された造語で、意味は「地獄からの逃避行」というような意味だ。
「私と友人たちは、 “タルジョ“ を、あくまで冗談として会話で使っていますが、しかし、海外に出て仕事をする良い機会があれば、もちろん私は海外に行きます」
ソウル近郊で教育機関を運営するペ・ヒギョン氏は、これは韓国特有のものではないとして、以下のように言う。
「すべての富裕な国には、中流階級の危機意識があると思います」
先進工業化後の世界全体で、中流階級は、生活水準の低下、機会の消失、経済的な格差の拡大などに包囲されていると認識されている。これらの傾向は、投資、製造、および、それらと関連する中心的な国々から資本と雇用を分配し、グローバル化する世界を背景に生じている。
韓国人は違うのだろうか?
韓国は、貧困から繁栄への移行と富裕層の台頭のスピードは驚くほど早かった。わずか 30年ほどで、ほとんど知られていない小国から、世界の産業大国へと姿を変えた。1960年代半ばから 1990年代半ばまでの韓国は、成長率が急上昇したため、そのころは、多くの人がまともな仕事を手にし、生活水準の向上を期待することができたが、しかし、もはや今はそうではない。
韓国の社会についての著作があるダニエル・トゥドール(Daniel Tudor)氏は、このように言う。
「今の若者たちの親の世代は、最初は物質的、金銭的には恵まれていなかったかもしれないですが、その世代には未来への希望がありました。毎年、給料が増え、マンションを購入し、そして、そのマンションの価格も毎年上昇していく。そのような達成感を毎年獲得できたのです」
今の韓国は、二つの理由からもはや、このようなことが当てはまる社会ではない。
第一に、韓国経済は成熟した頂点におり、その成長率は、二桁台から一桁台に減速している。第二に、国内の経済成長を牽引してきたサムスンや、ヒュンダイ、LG などの同族経営の大企業は、すでに海外に進出している。そのため、現在、5100万人にのぼる韓国の人口の中で、高度な教育を受けた人たちの数も増えており、そのような人たちを受け入れるホワイトカラー職の求人数は不十分となっている。
しかし、韓国の失業統計の動きはそれほど絶望的なものではない。
世界銀行のデータによると、1995年から 2017年の間に、失業率は、1999年から 2001年の 3年間(アジア金融危機後)は 4%を超えて上昇し、2019年の最初の 8か月間の失業率は 4%を超えていたが、2019年 11月には 3.6%に低下した。
若者世代に限れば、韓国の若者の失業率は、1982年から 2019年までの平均が 7.19%で、2019年 4月に 11.7%の高い失業率を記録したが、2019年 10月には 7.1%にまで低下した。
関連する問題としては、財産のことがある。韓国人は伝統的に、証券や金融商品に投資をせず、貯金を家に貯めることを好んでいた。これは、低金利時代に悪化する傾向があった。
その結果として、住宅価格が高騰した。ソウル大都市圏 とその周辺に住んでいる全国人口の約半分である約 2400万人にこのような不動産の高騰が起きたために、今では、若い韓国人たちが家を買う余裕がなくなっている。
そして、若い韓国人たちがはっきりと不公平を感じている領域がある。それは教育に関してのものだ。
急成長経済下の韓国では、教育が社会的成功への鍵となる。大学の入学制度は、方法論的な批判にもかかわらず、広く公正であると評価されてきた。
ところが、近年、著名な二名の人物の子どもたちが、韓国のトップレベルの大学への特権的な不正入学を行ったことがわかったのだ。
ひとりは、朴槿恵(パク・クネ)元大統領の親友であるチェ・スンシルで、娘をソウルの大学に不正に入学させたことが発覚し、もうひとつは、現在の韓国大統領文在寅(ムン・ジェイン)の下で短期間、法務大臣を務めたチョ・グクの娘が、やはり大学に不正入学した疑惑が指摘されている。
これらの事件は、人々に、エリート資格での不正が、右派も左派もどちらの政治家たちの間でも幅広く蔓延していることを示した。多くの韓国人が、そのことを知ることになり、その状況を苦々しく感じている。
大学生のひとりは以下のように言う。
「このような特権を与えられた人たちは、たくさんのお金を持ち、そのお金を使って子どもたちを大学に入学させており、その生活はいつでも保証されているのです。しかし、たとえば私にしても、どんなに一生懸命働いても、将来的に家を買うことができるかどうかさえわかりません。将来どうやって暮らしていけるのか、まったくわからないのです」
「地獄」は本当の懸念か、それとも単なる若者たちの話の種なのか?
この調査結果は、明らかにこのような若者たちの話を反映しているが、それはどのように分析されるべきなのだろうか。
世界銀行のジニ係数(社会における所得の不平等さを測る指標)のデータによると、韓国のジニ係数は 31.6だ。
ジニ係数は「数字が大きくなればなるほど、格差が大きいことを示す」が、他の国を見て見れば、日本は 32.1、英国は 33.2、米国は 41.5だ。韓国は、他の主要国と比べて格差の指数は高くないのだ。
ペ・ヒギョン氏は以下のように述べる。
「韓国は、他の裕福な国と比べても、かなり中流階級であり、特に不平等ではないことを数字は示していると思います。しかし、今の 1、2世代前は、もっともっと非常に平等でした。何しろ、 ”誰も何も持っていなかった” のですから、格差などあり得ない」
「周囲の誰もが物もお金も何も持っていないのなら、誰も貧しいとは感じません。しかし、今では、例えその人がかなり良い生活水準で暮らしているとしても、周囲の人たちの生活を見て、 ”なんていう格差なんだ” と不満を感じるのかもしれません」
ペ・ヒギョン氏は教育者でもあるが、現在の若者たちは、自分たちの社会で使用できる役立つシステムを信じていない傾向があると言う。
「韓国の教育システムには、奨学金を受ける機会がたくさんあります。韓国の高等教育は、海外よりもはるかに格安です。また、ワーキングホリデーのチャンスも、たくさんあります。実際にはたくさんのチャンスが用意されているのです」
そして、ペ・ヒギョン氏はこう付け加えた。
「それなのに、ミレニアル世代(19-34歳くらいの世代)は、この韓国社会のサイクルから抜け出したいとだけ考えているのです」
別の問題として、韓国全体として「感情的に不満の声を上げる」という非常に注目すべき国民的傾向がある。
作家のダニエル・トゥドール氏は、以下のように言う。
「私は韓国で暮らし続けていますが、韓国の人々は、常に不満を口にします。誰が大統領になっても、ひどいひどいと言い続け、経済はひどいひどいと文句を言い続ける。あるいは、どんなに社会や経済が良い状態でも、人々は危機に瀕しているひどい状態だと不満を言い続けるのです」
大学生のパク・ジナさんは、「韓国を出たい」と思いながらも、友人の学生たちを含めて、実際に韓国を出る計画はしていないことを認めている。
「私や友人たちは、韓国を離れることについていつも話します。しかし、私たちが海外で仕事をするためには、少なくとも医師の学位を持っているか、看護師やデザイナーのような特定の資格を持っている必要があるのです」
「私は、リベラルアートやビジネスを勉強している友人といつも “タルジョ“ (地獄からの逃避行)と言い合いますが、私たちに “タルジョ“ はできないのです」
ここまでです。
これを読みまして、結局知ることは、「格差というのは自分の心が作り出している」ということでした。
周囲と「比較」して、その間にある「他人との差」に反応し続けるというのは、現代社会では当たり前のことのようになっていますが、私はもともと、そこに問題があるのだと思っています。たとえば、この記事に出てくる教育者のペ・ヒギョンさんという方の、以下の言葉はそれをよく現していると思います。
「韓国は、他の裕福な国と比べても、かなり中流階級であり、特に不平等ではないことを示していると思います。しかし、今の 1、2世代前は、非常に平等でした。何しろ、 ”誰も何も持っていなかった” のですから、格差などあり得ないのです」
「周囲の誰もが物もお金も何も持っていないのなら、誰も貧しいとは感じません。しかし、今では、例えその人がかなり良い生活水準で暮らしているとしても、持っているとしても、周囲の人たちの生活を見て、 ”なんていう格差なんだ” と不満を感じるのかもしれません」
ここにあります、
> 何しろ、 ”誰も何も持っていなかった” のですから、格差などあり得ない
とか、
> 周囲の誰もが物もお金も何も持っていないのなら、誰も貧しいとは感じません。
などに「幸せの本質」があるとさえ思います。
もっとも、今の社会のシステムがここまでグリグリに「課金」制になってしまっている現状では、少しでも課金できない状態になった場合、社会からはじかれてしまうわけですけれど、まあ・・・この「その社会では、誰も貧しいとは感じません」という状態がどのように生まれるかということを示している感じはしますね。
ちなみに私自身、昔から物に関して周囲と比較することが、まったくなかったですので、少なくとも、「物質的な格差」で僻んだという経験がありません(ルックスと女性からのモテ度ではその格差に僻みます)。
若い時は、一日何十円も使えないような時もありましたけれど、それを気にしたこともないです。他人と比較しなければ、それが大変な状態だとも気づかないですし。
だいたい、若い時から「何か立派なものがほしい」とかないのですよ。家とか車とか時計とか高い服とかに興味を持ったことがないです。高価な持ち物といえば、物を書くのに使うパソコンだけですかね。今使っているマックは、2011年に買ったものですしね。
あまり関係ないですけどねそもそも、私は今まで一度も財布を持ったことがないのです。お金は全部ポケットに詰め込んでおく。
以前、堀江貴文さんが、これと絡んだ良いことを記していました。堀江さんも所有欲のない人だそうですが、以下の言葉は、今回ご紹介した「韓国人たちの憂鬱」の原因と、そして「解決策」とも関係するはずです。
以下はその記事からの一部の抜粋です。
堀江貴文「所有欲が人を幸せにすることはない」
東洋経済オンライン 2019/09/29
所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。まず、ない。あるとしたら一瞬だ。
いままで持っていなかったものを、努力して持ったとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。所有する喜びと、獲得する喜びを混同してはいけない。
獲得は、ある意味で報酬になる。ノルマ達成や借金返済、投資回収など、ビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。しかし所有は、報酬ではない。
所有はリスクだ。失うことへの不安、管理の手間、執着心と、いくつものネガティブ要素を運んでくる。本棚に飾っておいたり、タンスにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなモノは、リスクでしかない。
対処策は、1つだけ。ためらわず、捨てることだ。喜びはモノを所有しなくても満たせる。逆に、うまく手放していければ、本当に欲しいものへと手を伸ばすことができる。
さらに言わせてもらえば、このような、堀江さんが言うような、
> ためらわず、捨てることだ。
ということを実践し続けることは、いつか、それは「唯物論からの解放」ということにもつながるのかもしれません。
今の韓国人たちが「地獄からの逃避行」という言葉で、自分たちの気持ちを表しているのだとすれば、その「地獄」を作り出しているのは、「自分たちの心」であり、そして、
「その根源にはあまりにも強い唯物論の支配がある」
ためだといえます。
つまり、「人より物がエライ世界」です。日本でも、この世界が完成しつつありますけれど、韓国は日本より強い。
この「唯物論からの解放」ということは、メルマガではよく書かせていただくことがあるのですが、もちろん、「唯物論からの完全な解放」などは、できるものではなく、それは亡くなるまでは無理でしょう。
そんな理想的な話ではなく、出来売る限りの努力としてです。
少なくとも「自分は物に支配されているのではない」と思える程度にまで。
また、先ほど堀江さんが述べていた、
> 喜びはモノを所有しなくても満たせる。
というのは、私がそのことにやっと気づいたのは、20年くらい前に見た「ファイトクラブ」というハリウッド映画によってでした。
以前のメルマガから抜粋します。
2019年6月7日発行のIn Deepメルマガより
もう20年前の映画ですが、
アメリカ映画の『ファイト・クラブ』という映画がありまして、
見た当時は気づきませんでしたけれど、この映画の冒頭が、
そのこと(※人間が物質至上主義社会で生きる限界に来ていること)
を如実に語っていました。主人公は空虚な心で毎日過ごしている不眠症の男性でしたが、
彼は、「物質で心を満たそう」として、
北欧製の素晴らしいインテリアを次々と購入するのですが、
心の空白は広がるばかり。そして、
「物で心は埋まらない」
ことを実感します。
そして、主人公は「人間と人間のふれあいだけが自分を満たす」
ことに気づき、お互いに殴り合うことで、心の空白を満たすという
秘密結社ファイトクラブを作ります。そして、そのうち、この結社の最終的な目的は、
「この世から資本主義を消し去る」
ことに移行していくのです。
ニューヨークの金融ビルを爆破することから始まる彼らの計画は、
映画では、ニューヨークのビルが次々と倒壊してくところで終わります。この映画を見た時には、
「物質主義を葬り去りたいという願望は、西洋人にもあるのだな」
と感じたことを思い出します。
しかし、私は思います。
「爆破という行為もまた物質的なもの」ですから、
物質的な行為で、物質的な存在を葬り去ることはできないのです。ファイトクラブの主人公は、
「人間の心を満たすのは、人間の心しかない」
と気づいたのですから、
ニューヨークの金融ビル群を爆破する必要はなかったはずです。私たち日本人も同じです。
物質的な変化や破壊は、些細なものでしかないはずです。「人間の心を満たすものは、人間の心しかない」
ということがすべてです。
というようなことを、この映画を見たときに思ったのですが、いろいろな人や表現が、たとえば、ファイトクラブでも、先ほどの堀江さんの文章もそうですし、
「物から解放されていく未来を志向しなさい」
と、いろいろな人たちが述べ始めている時代になってきいるのではないですかね。
あと、先ほど、「格差というものは、自分の心が生み出している」と書いたのですが、「周囲と比較しなければ、それは生じない」ということに関して、これも東洋経済に堀江さんの、「堀江貴文「他人事に時間を費やすバカげた人生」」というタイトルの記事を記載されていました。
そこで、堀江さんは、「みんな他人のことを気にしすぎだ。」と述べていますが、私も今の多くの人たちは、他人のことを気にしすぎていると思います。
いつの間にか、「自分が世界の中心ではなく、他人が自分の世界の中心になっている」という状況といえるかもしれません。
現実的な話として、たとえば経済にしても社会保障などにしても、今後どうやっても厳しくなっていく可能性のほうが高いのですから、唯物論の中で周囲の環境に引きずられて、他人のことばかりを気にして生きている方々には、おそらく、つらい世の中になっていくと思います。
自分の心の中の世界を中心として、比較しないで生きていく。
これだけで、ずいぶんと違うものになると思います。
今回の韓国に関しての記事は、確かに、韓国の若い人たちは大変だろうとは思いますけれど、その「地獄」を作り出している正体は何なのかということについて、目覚められてほしいとと思います。それは社会のシステムではなく「自分たちの心の中にある」ということを。
また、先ほどの記事で、作家の方が言っていた、
> どんなに社会や経済が良い状態でも、韓国人たちは危機に瀕しているひどい状態だと不満を言い続ける
というように、この「否定的思考傾向」も、反面教師として学習できる部分だと思います。これでは、楽しい気分になることは難しいです。楽しい気分を持たないでいる中で、楽しい現実と遭遇する可能性はやはり低いと思います。
これらの話は韓国だけの話ではなく、本来は「最も唯物論的な生き方から離れていたはずの日本人」である私たちこそ、目覚めなければいけないという気もします。
今の状態のまま進むと、韓国どころではない「地獄」が、日本人の心の中にも生じてくるのではないでしょうか。
そして、今の社会に明らかに蔓延し始めている「狂気」は、どうして生じて、そしてどうして蔓延しているのかということについて、今から 100年以上前のルドルフ・シュタイナーの言葉を載せて、記事を締めさせていただこうと思います。
ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』より
もし、唯物論がまだ何十年もつづくなら、唯物論は民族の健康に破壊的な働きかけをするだろうということを、秘密の導師は知っている。
もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質(神経症)になるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。
子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。特に精神病が非常な早さで広まる。
狂気の流行病が、何十年か先に現れるだろう。
精神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。
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