In Deep

地球最期のニュースと資料

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メンタル・シミュレーションの観点から「思考は現実化する」というロシアの研究論文から思い出す、過去に様々に考えた「言葉と人間の真実の関係」

   

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▲ 2015年11月16日の EurekAlert より。

 

言葉と人間との関係を考えて結構な月日が

かつて、マザー・テレサは、

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

ということをおっしゃっていたそうですが、最近の科学は、このマザー・テレサの言葉が、いわゆる理想論の世界ではなく、「かなり現実に近い」ものだということを認識できるところに近づいてきている気がします。

In Deep には「言葉と人間(あるいは、言葉と世界の関係)」についての記事はわりと多いほうでして、そんなことに興味を持ったのは、最初は、新約聖書「ヨハネによる福音書」の1章が「はじめに言葉があった」という以下の表現で始まることにありました。

ヨハネによる福音書/ 1章 1-3節

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

「言葉と人間」について記した記事を少しピックアップしますと、

ジャンクDNA解明への挑戦(第1回): 記憶媒体として機能しているDNA
 2011/06/11

という記事では、ロシアの科学者たちが、いわゆるジャンク DNA と呼ばれる、DNA の 90パーセント以上を占める部分について、「ジャンク DNA は言語と関係している」というようなことを解明したというような報道でした。

ロシアの言語学者たちは、「役に立たない」と思われている 90パーセント以上のジャンク DNA のすべてが、私たち人間の言語と同じ規則に従っていることを突き止めた。

言語学者たちは、言語の文法の構文、言語の形態からなる意味論、そして、基本的な文法ルールなどと比較した。そして、言語学者らは、DNA のアルカリが正規の文法に従い、そして、まるで私たちの言語のように規則を設定していることを発見したという。

いまだに真偽はわからないですが、DNA が言語に影響を与えるだけではなく、「 DNA は言語により再プログラムされている」という可能性にも言及した、わりと夢のあるものでした。

その記事の少し後には、

私たちは「言葉」である
 2011/06/13

という、やや混乱した記事を書いたことがありますが(まだ震災後3ヶ月目でした)、そこに私は、


 

・宇宙(あらゆる存在という意味)は人間から認識されないと存在しない
  ↓
・では、その「認識する主体である」人間の存在とは何か?
  ↓
・人間は DNA であり、 DNA は言葉である
  ↓
・言葉がなければ人間は存在しない

  ↓
・それなら、この世界で、この宇宙で最上位にあるものは?
  ↓
・それは「言葉」である。
  ↓
・つまり、この宇宙の存在は基本的に「言葉」だけ


 

というようなことを記したのですが、この一番最初の、

「宇宙は人間から認識されないと存在しない」

という部分は、単に概念的な部分では以前から確信していたのですが、科学的に答えとして理解したのが、4年後に知った量子力学の世界の、

「この世は人間が観測しないと存在しない」

ということに近い概念でした。

これは、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015/06/06

という記事でご紹介したことがあります。

ご紹介した記事の出だしは、以下のようなものでした。

観測されるまで現実は存在しないことを量子実験が確認

オーストラリアの科学者たちが、量子物理学での予測を証明するための有名なある実験を行い、その実験は成功した。

その予測とは「観測されるまで、現実は存在しない」というものだ。

これは、言い方を替えれば、物理学者の並木美喜さんが書かれた

量子力学入門―現代科学のミステリー

という本のフレーズから引用させていただけば、以下のようなあらわしかたもできるものかもしれません。

あるいは「宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた」という断言すら生まれるかも知れない。

なぜならば、宇宙という「現象」は人間が観測して≪記録≫するまでは存在しないのだから!

この断言を許すと、人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう。

 

ここにある、

> 宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた

と、

> 人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう。

 

という部分。ここなのですよ。

 

これと、さきほどの「ヨハネによる福音書 1章」の、

> 言は神であった。

> 万物は言によって成った。

というフレーズをつきあわせていくと、私たちは「驚くべき、この世の真実」と、いつか向きあわなければならないのかもしれないと思ったりもしたのです。

それは、「私たちは何か」ということと同義でもあるとも思いますが、それについての具体的なことを今回は書くつもりはないです。

いずれにしましても、注意深く、「信仰」と「最近の科学」を照らし合わせていくと、これらが何かひとつの結論に向かって収束していく感じはあります。

そういうば、そういう問題とは少し違いますが、先ほどのロシアの科学者がの「ジャンク DNA 」の研究の企図と同じ 2011年の7月には、アメリカ科学的心理学会という心理学会のプレスリリースをご紹介したことがあります。

人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していた
 2011/07/12

というものです。

これは、非常に面白い研究内容でした。
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言葉は私たちが知覚する対象を定めている

 

この発表は、

「母音によって、赤ちゃんの見る対象が完全に決まっていた」

ことがわかったというものです。

赤ちゃんですので、言葉の意味はわからないのですが、日本語にすれば、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の、それぞれの母音と、「赤ちゃんたちが見る対象」が 100パーセント同じだったというものです。

たとえば、赤ちゃんたちのいる実験会場に、「大きな物体」と「小さな物体」を起きます。

そして、母音を聞いてもらうのですが、たとえば、

・「イ」と「エ」の母音 → 全員が「小さな物体」を見た

・「ア」と「オ」の場合 → 全員が「大きな物体」を見た

となったというものでした。

例外はまったくなく、全員が 100パーセント、「母音での見る対象が同じだった」のです。

小さな赤ちゃんがどのように世界を認識して、「世界の概念」を築いていくのかということの示唆のひとつで、少なくとも「母音は存在の大小を示している」ということについて、この研究でわかったのだと思います。「言葉の持ち意味(単語としての意味)」の以前に、「母音としての意味があった」ということかわかったということになります。

これは教育とか何とかとは関係なく、生まれた時から人間が持っているものです。

そして、赤ちゃんが 100パーセントそうならば、おそらく、大人もそれは引きずっているようにも思います。

ここから考えてみると、日本語は面白い部分がありまして、「梶井基次郎は「言語と宇宙の関係」に気づいていたのかもしれない」という記事に、いくつかの単語を記したことがあります。


・母 (はは 母音ア+母音ア → 大きな対象を示す母音の連続)
・父 (ちち 母音イ+母音イ → 小さな対象を示す母音の連続)


 

 

というように、「母」のほうが、大きな対象として赤ちゃんから認識される単語となっていることがわかります。父は対象として小さい(笑)。

また、体の部位も、


・頭 (あたま 母音ア×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
・体 (からだ 母音ア×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
・心 (こころ 母音オ×3 → 大きな対象を示す母音の連続)


 

という、人間の基本を形作る三大要素を示す単語は「すべて、大きな対象を示す母音の連続となっていることに気づきます。

だからどうしたという話ではあるのですが、この母音と認識の研究を知ってからは、様々な言葉(この「ことば」という言葉も「母音オ×2+母音ア」という、大きな対象を示す母音で構成されています)を母音の側面から見たりしました。

というわけで、今回ご紹介しようとしています記事は、1880年創立という歴史のあるロシアのトムスク大学などの研究論文の内容なんですが・・・これが、よくわからないのです。

冒頭のタイトルの「科学者たちは人間の思考は材料だと確信している」という表現もよくわからないのですが、内容全体として、翻訳しても、その意味が相当わからないのです。

しかし、ともかく、

「言葉が、人間の行動を大きく決定している」

ということのようなんです。

ここには、「メンタル・シミュレーション」などという単語がでてきますが、これは、認知言語学というジャンルのものらしいのですが、意味がわからない上に、ネット上でもほとんど説明がありません。

しかし、これが理解できないと、今回の記事そのものが「まるで理解できないまま終わる」ということになりそうで、唯一、少しだけわかるものが、海外の科学者の講演ビデオを説明してくださっている日本語のサイトでした。

Benjamin Bergenのメンタル・シミュレーションに関する動画を視聴しました。

という記事です。

カリフォルニア大学マーセド校で行われたベンジャミン・バーゲンという方の講演のようで、以下のように書かれてありました。

この動画では「mental simulation(メンタル・シミュレーション)」について説明していました。

彼によると、人が何かの文を理解するときには、頭の中でそれをシミュレーションしているそうです。

例えば、「道を歩いていたらライオンに会った」という文があったとすると、「歩いていた」というところでは、脳の中の実際に足の運動に使う箇所が反応しているらしいです。(略)

また、運転などの実際の行動をしているときにも、そのときに聞いている言語の内容によって、ブレーキの速度が遅くなったり、車間距離が開いたりするようで、言語の理解が実際の行動にも影響を与えるといっていました。

というもので、おそらくは、頭の中での「言葉としてのシミュレーション」が、実際の行動に大きく影響を与えるというようなことなのでしょうかね。

 

結局・・・今回ご紹介するものは、わかりやすく書けなかったことについては申し訳ないのですが、最初に書きました、マザー・テレサの、

「思考に気をつけなさい」

から始まって、

「それはいつか運命になるから」

までの流れ、つまり、「ひとりの人間の人生は自分の思考から作られていく」ということの証左かもしれないということで、記録として残しておきたいと思います。


Watch for eyes: Scientists are sure that human thoughts are material
EurekAlert 2015/11/16

目に注意を払え:科学者たちは人間の思考は材料だと確信している

ロシアの国立トムスク大学( TSU )とニューブルガリア大学( NBU )の研究者たちは、人間の思考が対象を現実化できる可能性があると主張している。

彼らは実験の結果を、科学誌コグニティブ・プロセッシング( Journal Cognitive Processing / 認識過程)に発表した。

言葉が、いかに人の知覚の空間に影響を与えているか、そして、特に、誕生から死の時まで、私たちが一生関わり合う、視線の「上下」と「左右」という、すべての本質的な次元に、言葉はいかに影響を与えるか。

科学者たちは、人間の思考は材料であることを示すために、いわゆる「メンタル・シミュレーション」の考えに自分たちの研究の基盤を置いた。

研究者のうちのひとり、トムスク大学のオクサナ・ツァレゴロッツェヴァ( Oksana Tsaregorodtseva )氏は、以下のように語る。

「私たちは、言葉の意味がメンタル・シミュレーションに影響を与えることができるかどうかを確認したかったのです。それは、状況に対して可能性のあるシナリオを予測して、それをよりよく理解し、よりよく感じられることに役立つことに関して、頭の中で状況を”プレイ”するということです」

「私たちの実験では、被験者は、私たちが「アップ( up )」または「ダウン( down )」の言葉を書いたポイント(場所)の位置を覚えておくことが求められます」

「そして、この言葉を”読むこと”が、これらの単語によって示されている空間の一部を活性化させるのです。その瞬間に、その人が、他のプロセスに焦点を当てている場合でさえも、例えば、そのポイントを記憶するのです」

「いかなる対象も言葉もそこにはないという事実があるにも関わらず、言葉は、空間内の物体の臨場感を高めることができるのです」

最近のデータは、メンタル・シミュレーションは、私たちの脳が知覚する現実の状況と大差ないことを私たちに示している。

脳にとっては、メンタル・シミュレーションも、現実の状況も、どちらもひとつの出来事だと言えるのだ。

ヨーロッパの科学者たちがおこなった最新の実験は、パソコン画面上のポイントの空間的な位置を記憶するための単なる試みが、私たちの視線の軌跡に影響を与える可能性について示している。

例えば、ひとりが、画面の左上コーナーのポイントの位置を記憶していて、その人は、すでに、何も写っていない画面上でそれを探し出すように求められているが、彼の視線の軌跡は、ポイントのあった場所の反対側に焦点を当てている。

この効果は、メンタル・シミュレーションによって以下のように説明される:ある人が、彼のワーキングメモリ(作業記憶)内で、ポイントの位置を記憶に保持している間、その記憶は、あたかも、そこに何かがあるように、「周囲を見回す」ことを、その人に強要する状態が強くなっているためだ。

言葉は本質的には無形の抽象的なものではある。

しかし、言葉は、同時に、空間内の現実の対象を感じることを補強する材料のように振る舞うのだ。

科学者の方々は、この研究が初期段階であることに注意を払っていただきたいが、しかし、たとえば、空間認知に障害を持つ人々を支援するために、神経心理学でのさらなる用途を見出すことができる可能性もあるかもしれない。