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地球最期のニュースと資料

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2016年2月に激増を見せている世界の火山噴火から、6世紀の地球を巻き込んだ「過去2000年で最大の気候変動」が招いた小氷河期による社会変動と「これからの世界」の関係を改めて振り返ってみる

      2016/02/11

科学誌ニューサイエンティストの記事より

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ディヴィッド・キース『西暦 535年の大噴火』より

資料、年輪、考古学資料のすべてが6世紀中期は、異常な悪天候に見舞われた時期だったことを指し示している。日光は薄暗くなり、地球に届く太陽熱は減少し、干ばつ、洪水、砂嵐が起こり、季節外れの雪と特大のひょうが降った。

 

6世紀の「小氷期を含む環境の異常」は100年以上続いていたことが今にして判明

アメリカの「ニューサイエンティスト」に、最近、スイスの研究者たちなどによって研究・発表された「西暦 536年からの小氷期(ミニ氷河期)」についての論文の内容が紹介されていて、それはとても興味深いものでした。

研究内容は、地球の氷床のコア(中心部)などと、樹木の年輪などによって、年代ごとの「夏の気温の記録」を探ったもののようなのですが、その結果、西暦 536年から「連続した火山の大噴火」がキッカケとなって始まったと考えられる寒冷期は、「 125年間も続いた」と考えられるというもので、そして、

「その寒冷期が、ヨーロッパなどでの社会の激変と関係していた」

というようなものでした。

これは個人的にも大変に興味深いものでして・・・というのも、もう4年くらい前になりますけれど、「西暦 535年からの地球の寒冷期」について何度も記事でふれていたからです。

これは、西暦 535年の翌年から「何らかの理由による天候の激変(太陽光の弱体化と寒冷化と世界中での病気の流行)」が起きたことを、英国のデヴィッド・キースというジャーナリストの著書『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』(英語での原題のタイトルは「カタストロフィー」( Catastrophe )」という本を読んで知り、いろいろと思うことがあったのでした。

その原因は、確定はしてはいないとはいえ、影響があまりにも広範囲なことから、

・小惑星の地球への衝突

・彗星の地球への衝突

・巨大火山の大噴火

などしか原因は考えられず、そして、時代の考証からいって、その中でも、おそらく「火山の大噴火」が最も可能性の高いものだと今でも言われています。

過去記事としては、

西暦541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
2012/09/20

という記事では、その後にヨーロッパ中に流行し、多くの人命を奪ったペストについて書きました。

東ローマ帝国で聖人伝を記していたヨーアンネースという人が 541年に記した当時の街の描写は、下のような、かなりの地獄ぶりでした。

「西暦541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録」より

美しくて理想的な家庭が、人員の多少を問わず、突如として墓場と化した。

召使いも同時に急死し、その腐敗はいっしょに寝室に横たわった。死体が裂けて路上で腐っていることもあったが、埋葬してくれる人などいなかった。街路で朽ち果てた遺体は、見る者におぞけを震わすだけだった。腹はふくれ、口は大きく開き、膿はどっと吐き出され、目は腫れ、手は上に伸びていた。

遺体は、街角や路上、中庭のポーチや協会内で、腐りながら横たわっていた。

このような光景は、ヨーロッパだけではなく、同じような時期の日本でも広がっていたことが、前述した『 535年の大噴火』の中に、日本書紀などの資料を引き合いにして描かれていて、そのことは、

ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(2)
2012/09/24

という記事に書いたことがあり、詳しい内容はそちらをご参照いただければ幸いですが、以下のような状態が日本中に広がり、時の天皇が憂いていたことが日本書紀でわかります。

日本で流行したのはペストではなく、症状から、おそらく天然痘ではなかったかと言われています(詳しいことは今でもわかりませんが)。

『西暦535年の大噴火』 第7章 東洋の悲劇より

異常事態が起こった。ひどい伝染病(おそらく天然痘)が日本で発生したのである。多くの人びとが亡くなった。日本では何世代も前から天然痘が流行したことはなかったので、免疫もほとんどなかったに違いない。

「国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。それが長く続いて、手だてがなかった」と『日本書記』には書いてある。

伝染病が流行した地域は、おそらく人口密度の高い地域だったのだろう。そうした地域では、人口の六割が死亡したと推定される。とくに被害に大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。

> 住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割

というのが事実だったとすると、そういう地域が当時の日本にあったということでもあります。

 

それに加えて、これらの時期は、

「世界中が暗かった」

のです。

雰囲気とかではなく、「太陽光が薄く、本当の意味で暗かった」のでした。

東ローマ帝国の歴史家プロコピオスが西暦 536年に書いた文章には以下のような下りがあります。

歴史家プロコピオスの西暦 536年の記述より

昼の太陽は暗くなり、そして夜の月も暗くなった。太陽はいつもの光を失い、青っぽくなっている。

われわれは、正午になっても自分の影ができないので驚愕している。太陽の熱は次第に弱まり、ふだんなら一時的な日食の時にしか起こらないような現象が、ほぼ丸一年続いてしまった。

月も同様で、たとえ満月でもいつもの輝きはない。

太陽がこのような日射の状態で作物がよく育つわけもなく、世界中で未曾有の飢饉が起きたのもこの時期です。

この時期は、多くの国や地域で、過去 2000年くらいの歴史の中でも、最も過酷な時代のひとつだったようなのですが、「そんな状態が続いた期間」を私は知りませんでした。

誰も調査していなかったので、誰も知らなかったはずです。

そして、今回の調査によって、

「その寒冷期を伴う期間は 125年間続いた」

という示唆が得られたということになるのです。

とりあえず、そのニューサイエンティストの記事はそんなに短いというほどのものでもないですので、先にご紹介したいと思います。

その前に、どうして「今」、この記事に特に興味を持ったのかといいますと、これらの「 120年以上にわかるミニ氷河期が火山噴火によってもたらされていた可能性がますます強くなった」からで、そして今、まさに、世界の火山噴火が極度に増加しているのです。

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かつてないほど火山噴火が集中しているこの2月初頭

特に、2016年 2月に入ってから噴火した火山と、活動が活発化している火山の数はものすごいものがあり、よくはわからないですが、おそらく短期間での極めて多いレベルなのではないでしょううか。

この「現在の火山活動の異常な活発化」と、今後のミニ氷河期の可能性の寒冷について今回ふれますと長くなりすぎるかもしれないですので、記事をわけて、次回にご紹介したいと思います。

下は現在の火山活動状況です。

2016年2月10日現在の世界の火山活動状況(赤は噴火、オレンジは警報発令中)

volcano-2016-02Volcano Discovery
噴火した火山の詳しいところは次回の記事でご紹介しようと思います。

今は  2016年2月に入って、まだ 10日ほどですが、以下のように、まさに「立て続けに」火山噴火が発生しています。

2016年2月1日 – 10日までに噴火を起こした火山

・2月1日 カリムスキー火山(ロシア・カムチャッカ) – 報道

・2月1日 コリマ火山(メキシコ) – 報道

・2月3日 バレン島火山(インド) – 報道

・2月3日 ポポカテペトル山(メキシコ) – 報道

・2月4日 南極のハード島にある火山(通称ビッグ・ベン) – 報道

・2月5日 桜島(日本) – 報道

・2月5日 サンタ・マリア火山( Santiaguito / グアテマラ) – 報道

・2月7日 ブロモ火山(インドネシア) – 報道

・2月7日 ソプタン火山(インドネシア) – 報道

・2月7日 トゥリアルバ火山(コスタリカ) – 報道

・2月7日 霧島連山・硫黄山(日本 / 火山性微動) – 報道

というように、2月に入って、一気に世界の火山活動が本格化してきた感があります。

ところで、上のリストにもあり、火山噴火の活動状況地図の「南極」(地図の下右のほう)に印がありますけれど、最近、南極でも噴火が観測されました。

珍しいことです。

2月4日に噴火が確認された南極のハード島にある火山

Big-Ben-2016Discovery News

 

もしかすると、世界は、本格的な「火山噴火の段階」に入りつつあるのかもしれず、そうなった場合、今回ご紹介する、あるいは過去記事などでご紹介しました「火山噴火による長期間の寒冷化」の可能性も出てくるのかもしれません。

それと同時に、寒冷化には太陽活動が大きく関係してくるかもしれないことは、やはり過去記事、

精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に
2015/07/22

の中で、モスクワ国立大学のヘレン・ポポワ博士が、かつてない精緻なシミュレーションにより、今後の寒冷化について予測していますが、そういうことにより訪れるかもしれない寒冷化は、もしかすると、

「とんでもなく長い期間、続く可能性がある」

ことを、今回のニューサイエンティストの記事は示しており、そして、その際には、やはり「とてつもない社会的な変動が起きる傾向がある」ということにふれています。

というわけで、本編に入るといいながら、いろいろ書いてしまいましたが、ここからニューサイエンティストの記事です。


125-year mini ice age linked to the plague and fall of empires
New Scientist 2016/02/08

125年間のミニ氷河期はペストの大流行と帝国の没落に関係していた

西暦 536年に、地球の各地に「長い冬」がやって来た。その原因は、今では、3つの大規模火山噴火がミニ氷河を招いたことよると考えられている。

その気候の変動は、ペストの流行、東ローマ帝国の衰退、そして、ユーラシア大陸全体の抜本的な激変と一致した。

そして、科学は、気候の混乱が1度始まると、その期間は、これまで考えられていたよりはるかに長い期間 — それは 10年よりもはるかに長く — 続くということの最初の証拠を持つに至った。

西暦 536年に始まった寒冷期は、西暦 660年までの約 125年間続き、ヨーロッパと中央アジア、そして、おそらくは世界の他の多くの地域にも多大な影響を与えたとと考えられる。

今回、ネイチャー・ジオサイエンス( Nature Geosciences )に発表された論文は、西暦 536年、540年、そして、547年のそれぞれの年に起きた重要な火山噴火を識別するために、氷床のコアを使用した研究に基づいている。

さらに、スイス連邦研究局( Swiss Federal Research Institute )のウルフ・ビュンゲン( Ulf Büntgen )氏と研究チームは、ヨーロッパと中央アジアの樹木の年輪データを用いた。

年輪データはそれぞれの地域の夏の気温を示すものであり、それらは、ヨーロッパや中央アジアのその時期の夏が、最大で、通常より4℃も低い夏が続いた地域があったことを示していた。

これはおそらく、大気中の火山噴火の微粒子によって引き起こされたものと考えられる。

この期間( 536年から 660年)の夏の平均気温は、1961年から 1990年までの夏の気温より平均で2℃低かった。

この長い寒波の期間は、ユーラシア大陸に広範囲に渡り拡大した社会的混乱の時期と一致している。この時期には、東ヨーロッパ全体ではペストが大流行し、中国では王朝が変わった。そして、ヨーロッパ全域にスラブ民族が拡大していった時でもある。

そして、東ローマ帝国は、ビザンチン帝国に変わった。

カーディフ大学の歴史学者ショーン・トーター( Shaun Tougher )氏は、以下のように述べる。

「この期間には、劇的な、社会的、文化的、および政治的な変化がありました。そして、おそらくは、それらの変化と混乱の態様は、気候の寒冷期間によって悪化していったと思われるのです」
社会へのストレス

「帝国の没落のような社会的に複雑な歴史的事象が天候によるものだという示唆には、いまだに議論するべき余地があります」と言うのは、アイルランドのトリニティ・カレッジの地理学者フランシス・ラドロー( Francis Ludlow )氏だ。

しかし、同時に氏は以下のように述べた。

「しかし、天候が歴史的事象と直接関係するかどうかはともかく、最終的には、この時期の寒冷化などの急激な気候事象は、社会に大きなストレスを与えたことには疑いの余地がありません。場合によっては、体制が傾くこともあり得たでしょう」

ミニ氷河期の時代に、ローマ帝国の残党が土地と権力を失った背景には、作物が影響を受けた(食べ物が不足した)ということもあるだろう。

そして、このことが人々の飢餓につながり、ペストの蔓延につながっていったという可能性もある。

イギリスの歴史家ダグ・リー( Doug Lee )氏は、「このような気候の破壊は、帝国でのペストを保有するげっ歯類(ネズミなど)の活動に寄与した可能性があります」と述べる。

苦しんだのはローマ人ではなかった。現代のモンゴルと中国北部にあった東部チュルク帝国も、この時に崩壊した。
天候の勝者

このミニ氷河期の期間は、歴史家たちは「古代末期 」として参照するため、ビュンゲン氏たちの研究チームは、この時期の寒冷化事象を「古代末期小氷期( the Late Antique Little Ice Age )」と命名した。

そして、この時期は、後の時代に訪れる小氷期として知られる寒冷期よりも、さらに深刻だったかもしれないと考えられる。

「今回の研究に基づけば、この西暦 536年からの期間は、この 2000年間で最も寒冷化した時期だったと言えるでしょう」とビュンゲン氏は語る。

この期間は、没落したものだけではなく、勝者も生み出している。

「気候が変動したいくつかの期間の中では、一部の地域はその気候変動から恩恵を受け、あるいは、その気候変動に適応することに優秀な社会が存在し、それらがその期間の勝者となった可能性があります」と、地理学者ラドロー氏は述べる。

たとえば、アラビア半島は、寒冷化の恩恵を受けたひとつだったかもしれない。この寒冷化の期間には、アラビア半島の乾燥が和らいだ可能性をビュンゲン氏は指摘する。

「アラビア半島ではこの時期、乾燥した天候ではなくなったことで、植物の育成が進み、遊牧民への供給や、ラクダなどのために有効な天候が続いた可能性があるのです」

このことが、アラブの人々がヨーロッパに移動し、ローマ人から土地を奪取する助けとなった可能性がある。

この期間中の勝者としては、イタリアを侵略し、ロンゴバルド王国をおこしたロンゴバルド人(中世初期に存在したゲルマニア出身のゲルマン系民族)や、初期のスラヴ語派(スラヴ系諸民族が話す言語の総称)の民族がある。

初期のスラヴ語派は、この時に、いまだに起源の知られていない未知の祖国から、ヨーロッパ大陸の大部分に広がっていったのだった。


 

ここまでです。

次回も、これと関係した記事を書きたいと思います。