In Deep

地球最期のニュースと資料

*

ぼくたちの失敗・・・の時代を多方面で自覚する今、「私たちは嘘の中で生きている」と題された2600万回再生された、まだ失敗していない若者の動画を内容を書き出してみる

   

Sponsored Link


 

個人的な失敗と「人類の失敗」を目の当たりにする中で

今回の記事のタイトルに使った「ぼくたちの失敗」というのは、日本のシンガーソングライター森田童子さんの 1976年の曲名ですが、1990年代にテレビのドラマの主題曲で使われて大ヒットしたのだそうで、私も大好きな曲です(曲は YouTube にあります)。

まあ、この「失敗」というのは、最近特に強く思う言葉の概念でして、小さな意味では、

・文化の革命の失敗

ですね。

これはいわゆる政治的なものとは違う「価値観の変転」という意味でのもので、芸術や音楽やさまざまな大衆文化に関してのことでして、 1960年代くらいから、私などが若い時代を過ごした 1980年代くらいまで一環して続いた「幻想」のことです。

その幻想とは、

「このような商業主義の文化は近いうちに終わる」

と。

多くの人々が本人は気に入っていると考えている音楽や映画や絵画や漫画やファッション、まあ何でもいいですけれど、それらは「すべてが収益に結びつく」ために存在しているけれど、巧妙に「そのことをなるべく当人たちには気づかれない」という図式は、小学生くらいの時から何となく感じていました。

しかし、十代の中頃、そういうものとは基本的に関係のない文化が、いくつも出現して、そして、私はそれらに夢中になりました。

心の奥底から噴き出すような「好きで仕方がない」という感情を作り出すそれらの文化の数々。

そういう時に、

「文化は大きく変わっていく」

という幻想を抱いたとしても不思議ではないです。

しかし、すぐに今度は、「その幻想をお金に替えるビジネス」が次々と確立していきます。パンクもアバンギャルドも全部、資本に組み込まれていく。

さらには、「熱意というそのものをすべて利益に還元していく」という企業の並々ならぬ熱意はどんどんと進み、結果、20世紀の終わりの頃には、

「文化の置かれている状況は以前より非常に悪くなった」

という段階となり、今はさらにどんどん悪くなり続けています。

 

数年前くらいまでは多少は「幻想」も私の中に生き残っていたかもしれないですけれど、今はもうそれはほぼ完全に消えていて、ここにきて、「失敗」という言葉に収束してきたということになります。

 

これは、かつて「幻想を自分から現実化しようとした」何十万、何百万人の人々が持つ感慨ではないでしょうか。

私自身も表現のようなことをしていましたが、それを突き動かしていた最大の理由は「価値観の変転という革命の幻想」でした。

そして、そこには「物質がすべてではないことを説明できる文化」を作り出すという幻想も伴っていたはずです。

 

書くまでもないですが、「すべて失敗」したと。

 

しかしまあ、文化だとか、私個人の話はどうでもいいとして、「ぼくたちの失敗」というキーワードで今最も、当てはまる表現のひとつが、

「人類の失敗」

です。

これも数年前まで、私は「人類の……」というような大げさなところまで考えていなかったですが、今はこの方向をとるにやぶさかではないです。

今生の人類は文明の発展に失敗し、そして、今生があとどのくらい続くかはわからないですけれど、もはや浮上の可能性が見出しにくくなっていて、輪廻転生の観点からは、もはや「来世という意味での未来」くらいにしか希望は見出せない可能性も自分では感じます。

そんなわけで、ふと目にした、インターネット上で非常に話題になっている動画の内容を翻訳して、すべて文字に起こしたいと思いました。

2015年1月に、アメリカ人だと思われるスペンサー・キャスカート(Spencer Cathcart)さんという男性が作って投稿した動画で 2600万回という再生回数を誇っていたらしいのですが、最近削除されたそう。それが他の方によって、再度アップされているものです。

下が URL ですが、YouTube での日本語の訳もついていますが、今回多少こちらで変えて載せさせていただいていています。

The Lie We Live

まあ、動画を作成した方はお若い方なのだろうと思います。おそらく、それまで社会を疑うことなく生きてきて、そして、本やインターネットなどでいろいろと知ったことに衝撃を受けたのか、そういう情熱で作ったようなものに見えます。

良い意味でも悪い意味でも「若さ」が全体満ち溢れてはいます。

それは情熱であり、つまり「まだ失敗を宣言していない」人の語りでもあります。

ですので、内容には、明らかに間違いだと思われることも多く述べられていますが、基本的には全体を書き出しました。

間違いだと思われる……というのは、一般的には間違っていないことでも、たとえば動画の後半に、

「今こそ生きる喜びを身につけるべきだ。それは地球を救うことではない。この地球は、私たちがいてもいなくてもここに存在するだろう。地球は数十億年もここにあるのだ」

というような台詞が出てきたりもします。

こんな短い台詞でも、

> 地球は、私たちがいてもいなくてもここに存在するだろう

> 地球は数十億年もここにある

共に間違っているわけです。

量子力学からいえば「人間に観察されるまでモノは存在しない」わけで、つまり「地球は、私たちがいなければ存在しない」ですし、「 地球は数十億年もある」という言葉は、ビッグバン理論を肯定する言葉であり、ビッグバンを辛抱する気持ちこそが今の地球に根付く「極端に物質賞賛主義」という病巣を強大化した悪の原因だと私は思っています。

物理の大原則(質量保存の法則)からいえば、

・それまでなかったものが出現することはない

ということになり、それはつまり、

・あったものはずっとあった

ということしか言えないわけで、「宇宙はずっとあった」としか言えません。

その中で地球がどのように変化してきたかはわからないにしても、この世の中の、お金主義と物質主義を変えたいのなら、まずは、ビッグバン理論が消滅しないとどうにもならない・・・というか、その仮説があるのは構わないですが、そんなものを信じる人々がいなくならない限りダメなはずです。

「宇宙は有限」という現在の宇宙モデルが出現して、そらに世界はおかしくなった。それまでは、宇宙は無限だったのですから。

このあたりをいろいろ書くと、話が逸脱するのでやめます。上のふたつと関係した記事をそれぞれひとつずつリンクしておきます。やや古い記事ですが、それなりに内容はあると思います。

「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認 (2015/06/06)

・ エメラルド・タブレット(1) : そして夢が教えてくれた「ビッグバンと宇宙有限理論は人類にとって有害」だという事実 (2012/03/03)

人は今、天動説を笑いますが、ビックバンはもっと逸脱したお笑いです。・・・というようなことなども含めて、いろいろと部分的な問題はあるのですけれども、それでも「失敗を宣言していない若者」の言葉は素敵です。

今後も失敗を宣言しないで済むようにがんばれ、作者のスペンサーさん。

世界を変えるのはやはり若い人たちなのですから。

私は「失敗した世界」に生き続けるしかないですが、みんながそうする必要もない気がします。

それでは、ここからご紹介したいと思います。


The Lie We Live
Spencer Cathcart

The Lie We Live / 私たちは嘘の世界に生きている

今この瞬間、あなたはどこにでもいられるし何でもできる。

なのに、あなたはこの画面の前に座っている。

一体やりたいことや、なりたいことから私たちを遠ざけているものは何なのだろう。

毎日、同じ部屋で目覚め、同じ道を通り、昨日と同じ1日を生きる。

かつて私たちの日々は、時間で縛られてはいなかった。

途中で何かが変わってしまったのだ。

今はすべてが計画されている。

これが自由になるための成長ということなのだろうか。

私たちは本当に自由なのだろうか。

食料、水、土地。私たち人間が生きるために必要なものは、今は企業だけに所有されている。

木々に私たちが食べる食物はなく、小川には飲むことのできる新鮮な水はない。
小さな家を1軒建てられる自由な土地もない。

それらの地球が与えてくれたものを、もし自由に手に入れようとすれば、あなたは刑務所に入れられる。

なので、私たちはルールに従って生きている。

私たちは教科書を通して世界を発見する。

若いあいだの何年もの間、私たちはただ座り、言われたことをオウム返しにして生きている。実験室で扱われる物質のようにテストされ評価される。

世界の中に違いを生み出さないように育てられ、違わないように育てられる。

結果として、与えられた仕事をこなすには十分な能力があるが、なぜそれをするのかということを問うまでにならない。

なので、私たちは、もう仕事ができないと言われる年齢まで働き続ける。けれど、その時には、私たちが働き続けた意味を考える時間は人生に残っていない。

その子どもたちもまた同じゲームを引き継ぐのだ。

子どもたちはひとりひとりは個性的だ、しかし、社会的にひっくるめれば、私たちの存在は「燃料」以外のなにものでもない。エリート存在を力づける燃料。大企業の看板の後ろに隠れるエリートたちの。

この地球は彼らの世界なのだ。

彼らのもっとも重要な資源は地下にあるのではない。

彼らの資源は「私たち」だ。

私たちは彼らの街を建設し、彼らの機械を操作する。私たちは彼らの戦争で戦う。

彼らを動かすものは金ではない。それは力だ。金は、彼らが私たちをコントロールするために使う道具に過ぎない。

私たちは食べるために、移動するために、そして楽しむためにお金に依存しなければ生きられない社会にいる。しかし、それは本来は価値のない紙切れなのだ。

エリートは私たちに金を与えた。

しかし、そのお返しに、私たちは彼らに世界を与えてしまった。

私たちの空気を清浄にした森のあった場所は、森を汚染する工場になった。私たちが飲んだ水のあった場所は、ひどく臭う汚染されたゴミ捨て場になった。

動物たちが自由に走り回った場所は、私たちの欲望を満足するために、永遠に続く虐殺の工場となった。

私たちには十分に食べ物があるにも関わらず、世界では何百万人もの人々が植えている。その食べ物はいったいどこに行っているのか。

私たちが育てる穀物の 70%は、私たちが肉として夕飯に食べる動物に飼料として与えられている。なぜ飢えを助長させるのか。それは、飢えを消滅されると、利益が得られないからだ。

私たちはまるで地球に広がるペストのようだーになってしまっている。

私たちは、私たち人間に生きることを許しているその環境を粉々に砕いている。

私たちは、この世界にあるすべてのものを売ることができる物質として見なす。まるで、この世に存在するものすべてが所有されるべきものであるかのように。

いつのになったら、私たちは、金という存在は食べることもできないまったく価値のないものだと気づくのだろうか。

私たちは地球を破壊しているのではない。その上に生きるすべての生命を破壊している。

もし、あなたがアメリカに住んでいるのならば、41%の確率で、あなたはガンになる。3人に1人は心臓疾患で死亡する。

私たちは、これらの問題に取り組むために、病院で処方された薬を飲む。しかし、ガンと心臓疾患の裏で「医療」そのものがアメリカの主要な死因の3番目だ。

科学者に金を投入すれば、科学者たちが私たちの健康の問題を消し去るような薬を発見し、すべての問題を解決してくれると私たちは思っている。しかし、現実は、製薬会社とガン社会は、私たちが病気になることに利益を依存しているのだ。

私たちは、自分たちが治癒の方向に向かって進んでいると思っているが、実際には「病気の原因に向かって進んで」いる。

私たちの体は、私たちが食べるものでできているが、その食べ物は、純粋に利益のために計画される。私たちは、有毒な化学物質や、薬や病気におかされた動物の肉を自分たちの体に詰め込んでいる。

でも、そんなことを私たちが知ることはない。メディアを所有する一握りの企業グループは、私たちにそのことを感づかれないために、「これが現実だ」というようなファンタジーで私たちを囲い込んでいる。

かつて人間は、天動説として地球が宇宙の中心だと考えていた。しかし、今度は、人間は、自分たちが地球の中心だと考え始めている。

私たちは科学技術を持ち出し、人間は最も賢いと言う。

しかし、コンピュータや自動車や工場が、私たち人間に知恵があるということを現しているものだろうか。それとも、それらはただ私たちがどれだけ怠惰であるかを示しているに過ぎないのか。

私たちはそのような文明の仮面を被っているが、その仮面を取ったら、いったい私たちは何者なのだろうか。

私たちはまるで自分たちが何でも知っているように振る舞う。しかし、見落としていることはたくさんある。私たちは小さなことを無視しながら通りを歩いている。

見つめ合う視線、分かち合う物語。すべてはまるで、「私には」背景なのだと思いながら、それを無視して歩く。もしかすると、私たちは自分ひとりではなく、より大きなものの一部だと感じているかもしれない。

しかし、私たち人間ははつながりを作ることに失敗している。

豚や牛や鳥、あるいは他の国の者は殺してもよい。でも、自分たちが理解し、愛する近所の人々やペットの犬や猫は殺してはいけない。

私たちは、自分以外の生き物を低く見、自分たちの行動の正当性のためにそれらの価値観を持ち出す。

しかし、自分たちが他のものものを低く見ているというだけで、殺害は正しいといえるのだろうか。

私たちは、崩壊間際の世界に生きている。

明日の戦争は、どんな勝者ももたらさないだろう。

なぜなら、暴力は答えにならず、すべての解決の可能性を破壊するから。

もし、私たち全員が自分たちの中にある欲望を見つめたなら、私たちの持つ夢はそう違わないことに気づくだろう。

私たちは同じ目標を分かち合っている。これは幸福なことだ。

しかし、その同じような喜びを求めて、私たちは世界を粉々にしているのだ。

私たちは、スマートフォンや大きな家や高性能の車を持ち、本当に幸せだろうか。

私たちは変化をもたらす誰かを待っている。

自分たちが変化になろうとは考えずに。

アメリカ大統領選挙はコイントスのようだ。ふたつの面がひとつのコインにある。私たちは、私たちが欲するそのコインの面であると同時に、作成された変化の幻影を選ぶのだ。しかし、人びとが真剣に選んで考えた何人もの大統領の登場の後も、世界は何も変わってはいない。

政治家が私たちの役に立つことは何もないということに気づくことに私たちは失敗している。政治家は、彼らに権力を与えるために出資するものに仕える。

この従属の世界の中で、私たちは「私たち自身を導くのは自分である」ことを忘れてしまっている。

変化を待つことを止めるべきだ。

そして、自分が見たい変化に自分が「なる」のだ。

この歴史の中で、人類が生き残った理由は、最も足が速いからでも、最も強かったからでもない。

人類は共に行動してきたから生き残った。

殺りくはもう十分に身につけた。今こそ生きる喜びを身につけるべきだ。

それは地球を救うことではない。この地球は、私たちがいてもいなくてもここに存在するだろう。

私たちが生きる時間はせいぜい 80年ほどで、その時間は地球から見れば一瞬の時だ。しかし、その影響は計り知れない。

私はしばしばコンピュータのない時代に生きたかったと思う。

しかし、私は気づいた。ひとつだけこの時代に生きる理由があるとすれば、それはインターネットが、私たちがメッセージを分かち合う力と、世界の多くの人びとと団結させる力を与えていることだ。

良かれ悪しかれ、この地球の未来の世の中を決めるのは、私たちの子どもたちだ。

私たちは、ただ、この破壊の仕組みに身を投じるのか、それとも、私たちは進化しているのではなく、退化していると気づき、目覚めるのか。

あなたは、自分自身のカーブする道を選ぶこともできる、あるいは、これまで数え切れない人びとが辿ってきた道に従うこともできる。

人生は映画ではない、脚本はまだ書かれてはいないのだ。

あなたがこれから書く脚本は、あなた自身の物語であり、そしてあなた以外の物語でもあり、私たちすべての物語でもあるのだ。