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地球最期のニュースと資料

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2017年は、私たち日本人が西洋文化を拒絶し「オリジナル日本人」に戻ることができる始まりとなり得るだろうか。それは東洋と日本の存亡に関する最後の砦のはずですが

   

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今の日本の現状を物語るいくつかの飛躍的な数値

ここ数年は、日本に関してのものすごい数値を示すグラフは数多く見てきていて、もう何が出てもあまり驚かないのですが、最近、「何だかもうすごいな、おい」と唸らざるを得なかったグラフを見ました。

昨年の、

なぜ日本は「変」に? それを知るには150年前の日本を見てみるか、あるいは、シュタイナーの「唯物論に破壊される世界」という100年前の言葉を思い出してみるか
 2015/06/10

という記事の中で、下のグラフを載せたことがあります。

1990年から2010年の「児童虐待」の相談対応件数の推移

・児童虐待相談対応件数

これは「児童虐待」というものの数に関係することが示されているグラフですが、この時は、統計が 2010年までのものでした。

その時のグラフでは、1990年には、ほとんどなかったものが、2010年には 5万件を超えていることが示されています。相談の受付体制の変化や、統計の方法の変化などのいろいろな要因が仮にあるにしても、たった 20年で「数百倍」という数の差は、相当なものでした。

最近、この統計の 2014年分までのものが発表されていました。それに驚いたのです。

1990年から2014年の「児童虐待」相談対応件数の推移

児童虐待相談対応件数
 
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児童虐待相談の対応件数は、何と、2010年からたった4年間で、さらに倍増にも近い増加を見せていたのです。

アバウトな数値でいえば、1990年の 1000倍近くにも迫ろうとしているという、ものすごい数です。

飛躍的な伸びといっても構わないと思われます。

さらに、これは「比率」ではなく、「実数」だということに注目していただきたいと思います。

何とのことかといいますと、この 20年間の日本には下の現実があるのです。

日本の子どもの数と人口比の推移

総務省統計局

日本の子どもの数そのものは、1990年から「 600万人以上減少している」のです。それにも関わらず、児童虐待は飛躍的に増えているということになるわけです。

それにしても・・・1990年から 2015年というと、たった 25年のわけですが、そのような比較的短い期間に、こんなにも国というのは変わってしまうのだなあと思います。

なお、総務省の報道資料「我が国のこどもの数」の冒頭にあります「要約」には、2015年4月1日の時点で、

・こどもの数は1617万人、34年連続の減少

・こどもの割合は12.7%、41年連続の低下

とあります。

統計での子どもというのは 15歳未満をさしますが、何と、今の日本は、全人口に対しての「 15際未満の子どもの割合」が 12%ほどしかないのです。これは、子どもという存在がマイノリティという社会になっているといえそうです。

戦後の日本の、人口に対しての子どもの割合は以下のような推移です。

日本の子ども(15歳未満)の割合の推移

1950年 35.4%
1965年 25.6%
1985年 21.5%
1995年 16.0%
2010年 13.1%
2015年 12.7%

60年前の日本は、人口の「3人に1人」以上は子どもだったことがわかります。

ちなみに、65歳以上の高齢者の割合の推移は以下のようになります。

日本の高齢者(65歳以上)の割合の推移

1950年  4.9%
1965年  6.3%
1985年 10.3%
1995年 14.6%
2010年 23.0%
2015年 26.4%

今から 60年くらい前は「高齢者は 20人に 1人くらいだった」のが、今では、「 4人に 1人」となっています。

若年層 20人に対して高齢者が 1人というような比率ですと、たとえば、若年者 1人の千円が高齢者にいけば、それは2万円というものとなり、「年金」という概念にも現実味が出ますが、「 4人で 1人の高齢者を支える」ということになりますと、年金という存在も形而上的になりつつあります。

この総務省の資料には、

> こどもの割合を諸外国と比べてみると、 我が国が最も低くなっています。

と書かれてありますが、つまり、日本のこの年齢構成は「世界的に見ても十分に異常」だということが、実にはっきりしています。

2013年の国連の統計からいくつかの国をピックアップしますと、以下のようになります。わかりやすくするために、小数点以下を省いています。

総人口に占める子どもの割合

タンザニア 44%
フィリピン 33%
メキシコ  28%
ブラジル  24%
アメリカ  19%
イギリス  17%
中国    16%
韓国    14%
イタリア  13%
ドイツ   13%
日本    12%

タンザニアの「総人口のほぼ2人に1人が子ども」というのはすごいですが、そういうのは別にしても、今は主要国が全体として少子化の傾向にはありますけれど、日本は、やはり少子高齢化が深刻な中国や韓国やドイツを大きく引き離したところにいます。

そして、今の日本は、理由はともかく、現実として「出生率が上向く目がない」というのもあります。

最近、出生数に関するニュースもありました。

出生数、初の100万人割れ 10年連続で人口減

朝日新聞デジタル 2016/12/23

厚生労働省は22日、国内で2016年に生まれた日本人の子どもは98万1千人の見込みと発表した。統計を取り始めた1899年以降、出生数は初めて100万人を下回りそうだ。出生数が死亡数より下回る人口の自然減は10年連続。人口減に歯止めがかからない。

この朝日新聞の記事タイトルの「10年連続で人口減」という表現は、真実を婉曲する表現となっていて、本当の問題を書けば、

「日本は、こどもの数が 34年連続して減少していて、こどもの割合は 41年連続で低下している」

という部分です。

人口数そのものはどうでもいいことです。

日本には少子化対策担当大臣というような立派な任務もあり、かなり効果を上げているのではないかと思って見てみましたら、下のような相関関係になっていました。少子化対策担当大臣は、2007年から就任が始まっています。

日本の出生数と死亡者数の推移

asahi.com

これを見る限り、「少子化対策が本格的に始動した年から、さらに出生数が下がる」という、ちょっとした悪い冗談のようなグラフになっているわけですが、これを見るまでもなく、現状では、日本の出生数が上向きに転じる可能性はほとんど感じられません。

そもそも、この2〜3年は、大不況だと言われているわけでもないような状態、つまり「平時に近い」というように思うのですけれど(近い将来はわかりませんけれど)、この状況で今の出生数だと、どうやっても上がることはなさそうにしか思えないのです。

もう何というか、日本人が総力を上げて、この方向に向かっているという感じもあり、どうやっても「滅する方向」に進んでいるようには見えます。

良いとか悪いとかというより、もう流れというものなのかもしれません。

比較的平時の現在でこの状況ですと、極端な不況や自然災害の連続などに見舞われ始めた場合には、一気に進みそうな感じもあります。

他にも、日本は、子どもに関するさまざまなことで、マイナス方向で世界一のものが多くあります。

このあたりについては、以前、

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフと、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
 2015/01/30

という記事で、いろいろと記しましたけれど、「日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」という感慨はさらに拡大してきているようです。

 

何だかここまで、タイトルの「西洋文化を拒絶云々」と関係ないような雰囲気で進んでしまいましたが、関係あります

こういう「人口比のアンバランス」は、今の日本の持つ根幹的な問題のひとつではありますけれど、「今の日本には、その上にさまざまな状況が覆い被さっているために」こうなったと私は思っているのです。

 

 

ほんの100年前の「元の日本」に戻ることの難しさ

以前からたまに書くことがありましたけれど、この何十年かは、

「本来の日本人に合わない西洋的価値観が生活に定着し過ぎている」

ことが、これらの様々な日本の問題の根幹だと、少なくとも私は思っています。

モノなどの西洋文明的な物質や衣食住や生活スタイルのことではなく、「人間の生き方に関する価値観」のことです。

なぜ、それが少子化とかにまで結びつくのかというのを説明するのは難しいですが、私は「問題は何もかも」そこにあるとさえ思っています。

このあたりは、昨年、何度か『逝きし世の面影』という著作の中から抜粋してご紹介していたことがありました。

これは、江戸自体末期から明治にかけての百数十年前のころ、日本にやってきた様々な外国人たちが見た、「美しく素晴らしい日本人への感嘆」を膨大な資料などから、まとめあげたものです。

「美しく素晴らしい日本」ではなく「日本人」です。

今の外国人観光客のように、富士山だとか日本の何とかの風景だとか、日本文化とか様式美を見て喜んでいる話ではなく、当時の生きている日本「人」の生活を見て、そして当時の日本「人」と暮らして驚嘆している外国人たちの話です。今の日本人とは全然違う魅力と誇らしさに満ちた、当時の日本人の姿に関してのことです。

逝きし世の面影Amazon

たとえば、逝きし世の面影を解説しているサイトに以下のようにあります。

この本の内容をひとくちに言えば、「幕末・維新の時代に訪れた外国人が見た古きよき日本の姿」と言うことができます。しかし、それは単に近代化される前の遅れた社会に見られる素朴さということではなく、世界的にも著しく文化の発達した国家、国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものなのです。

当時の日本の社会が、いかに世界の目から見て異質のものであり、また汚れのない美しいものであったかが忍ばれる内容となっています。

その文明は、明治維新後の西欧化の荒波によって、いまや完全に崩壊させられ、まさに過去の幻影となってしまいましたが、私たちはこの国がかつて有していた素晴らしい社会の姿を胸に焼き付けておく必要があります。

この中に、

> その文明は、明治維新後の西欧化の荒波によって、いまや完全に崩壊させられ、まさに過去の幻影となってしまいました

とは、私も思っています。

崩壊「させられた」かどうかはともかく、この本を読む限り、今は当時の「日本人の感覚と価値観」の面影は、ほとんど残っていないように思います。つまり、もう私たちは「違う日本人」なのだと。

そして、そこに戻らない限り、あるいは、この西洋化から脱せない限り、おそらく、そんなに長くない時間の中で、日本社会と文化は滅亡すると思っています。「西洋化」というのは「形」のことではないです。価値観の問題です。かつて、奴隷制度を何の疑問もなくおこなっていた人たちがもっていた価値観です。「主人と僕」という概念が普通だった人たちの価値観です。

日本にも「主人と僕」の価値観はあっただろうと思われるかもしれないですが、それは(武士にはあっても、庶民には)なかったのです。

とはいえ、個人的には、もう昔のオリジナル日本人への回帰の路線は、おおかた難しいと考えていますが、もしかすると、可能性は「ゼロではない」かもしれないという思いもないではないです。

こういうような話は、昨年のいくつかの記事にもありますので、ご参照いただければ幸いです。

関連する過去記事

病気でも災害でも国家破綻でも何でも前向きに考えることが第一義的な姿勢であること (2015/07/26)

本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し、プレアデスの人やバーネット師の言葉からそれを発動する日を夢想する (2015/06/18)

過去同様の美しき日本の未来を実現することは「必ずできる」ことを野口晴哉さんの言葉で確信する (2015/06/20)

 

ちなみに、このような「大転換」は、他人(政治家など)によってなされるものではありません。

すべては自分ひとりから始まることで、そういう意味では他人を巻き込むものでもないですし、徒党を組むようなものでもありません。

「人から学ばない」ということも大事だと思っています。意味がよくわからないかもしれないですが、「学んでばかりいると、自分で考えるという概念を忘れてしまう」からです。

これは、幼少時に自閉症と診断されながら、10歳過ぎには数学・物理学の第一人者になったアメリカのジェイコブ・バーネットさんという方の TED の講演を聴いて激しく納得して以来、そう思っています。

そのジェイコブ・バーネットさんの講演は日本語に起こしてアップしていますので、興味のある方は、

「学ぶのをやめて考えなさい」 – 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録
 2015/06/17

をご覧下さい。

 

さて、ちなみに、さきほど、「可能性はゼロではない」というようなことを書きましたが、その一縷の希望は、現実の中にもあるかもしれないですが、神秘学の歴史の中にもあります。

たとえぱ、今から約 100年前の 1915年におこなわれたルドルフ・シュタイナーの講演の中で、彼は、

「東洋が西洋文化を拒絶し始めることから新しい文明時代に入る」

ことを意味することを述べています。

次のようなものです。

ルドルフ・シュタイナー(1861 – 1925年)

1915年2月のシュタイナーの講演『第一次世界大戦の霊的背景』より

第六文明期の課題は、物質的周囲における精神認識を用意することです。それは、精神を純粋に元素的な生命において認識する古い先祖返り的な力が蓄えられていないと、達成困難になります。

しかし、激しい戦いが生じるでしょう。

白人は、精神をますます深く自らの存在のなかに受け取る途上にいます。黄色人種は、精神が身体から離れていた時代、精神が人体の外に探究された時代を保っています。

そのため、白人がさまざまな地域の有色人類と激しく戦うことで、第五文明期から第六文明気への移行がなされます。

白人と有色人類とのあいだでなされるこの戦いに先行するものが、白人と有色人類とのあいだの大きな戦いの決着がつくまで歴史を動かしていくでしょう。

 

重要なことは、このシュタイナーの言葉の中に、

> 黄色人種は、精神が身体から離れていた時代を保っています

というようにあることです。

つまり、私たち黄色人種たちは「精神が身体から離れていた時代」を自分自身の中に持ちつつ生きていたと考え方が、少なくとも 100年前の西洋の神秘主義思想の中にはあったということになります。

江戸時代の庶民たちの生き方、あるいは、武士もまあ多少そうかもしれないですが、そこには確かに、今の私たち(精神と肉体が同じだと考えている時代の人たち)と違う精神性があったことは理解できるようには思います。

いずれにしても、この「白人文明との我らの闘争」という図式がはっきりと出現してくる時が、ほんの少しの将来への希望の時ということになりますが、現時点ではまるで見えていないですし、そういう図式が日本で見える時がくるのかな、とは正直思います。

しかし、それがなければ、現在の人口比率や国家の経済状態や人々の「心」を見る限り、最短であと3年ほどで日本は滅すると思います。

何度も書くようですが、政治だとか宗教だとか偉人だとかに期待しているうちは何も始まらないです(政治や宗教や偉人を否定しているのではなく、自分が変化することは自分でしか、なしえないということです)。

なんだかんだとタイムリミットは近づいています。