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2020年からの世界 人類の覚醒と真実

この世のさまざまな真実が少しずつ見え始めたのかもしれない嬉しい年だった2019年の終わりの日に

投稿日:2019年12月31日 更新日:

2019年12月25日 クリスマスの日のオーストラリア・ブルームにて


Richard Young




 

この世の姿が少しずつ…

新年あけましておめでとうございます(お決まりのフライングかよ)。

まあ、そういう年末の余裕というようなものを示しつつ、今年 2019年も終わろうとしています。

ニュースを見ましたら、「関東で史上初の大晦日 20℃超え」というような暖かい報道がある一方で、北海道では、「31日 北海道や東北で猛吹雪 寒波襲来で極寒に」という寒いニュースなども見られました。このような「極端」とか「アンバランス」などは、今年 2019年のキーワードのひとつだったかもしれません。

ただ、関東は日中は確かに暖かくて穏やかだったのですが、先ほど、夕方前に外出したところ、何だかものすごい暴風が吹き荒れていまして、商店や飲食店などに張られる「迎春 1月6日から営業させていただきます」というような例の紙が破けて吹き飛ばされたりしていました。

近所の居酒屋さんなどは「元気に準備中」と書かれた木の板が飛ばされて破損していたりして、なかなか豪快な年の瀬の夕刻となっていました。

 

今年 2019年は、私個人にとっては、ブログやメルマガを書いたりしている中で、あるいは知人や読者の方々などから知らされるさまざまなことについて、ふだんの年以上に多くの知見を得ることができた年だったと思っています。

特に以下のようなことへの洞察は、ほんの少しだとしても、進んだのではないかなと感じています。

・女性と神性

・日本人という存在の根源

・この世が存在するメカニズム

他にもいろいろとありますけれど、これらについては、その前の年までより、少なくとも個人的には、認識が進んだと思っています。もっとも、そのことを多くの方々にわかりやすく伝えられていたのかどうかということについては何ともいえない面がありますけれど(ひとりよがりな考えに行きやすいですので)。

それと共に、

・現実への「違和感」

というものが実際にあるということを知ったのも今年ですね。

これは、いわゆるマンデラ・エフェクト(こちらの過去記事などで取り上げたこともあります)と言われていることと似ているのかもしれないですが、いろいろと、「目に見える事」や「聞こえる音」あるいは「知っているはずの知識」などが、

「記憶とはっきりと違う」

というようなことが、かつてからよくあったのですが、それがはっきりと自覚できるほどになってきていました。その「違和感」は、もちろん単なる記憶違いなのかもしれないのですが、私個人の中でも、「単なる記憶違いはないなあ」としか思えないものも多々あります。

そして、そういう「違和感」を持っている人たちは、実はものすごく多いということを知ったのです。

そんなことを思いながら、ふと、「以前の 12月31日にはどんな記事を書いていたんだろう」と思い、今検索してみましたら、2017年12月31日の「もはや「違う世界」にいることに気づいた2017年に」というタイトルの記事に、私は以下のように書いていたことを知りまして、苦笑しました。

2年前の今日のブログ記事より

今年 2017年、私個人として、時が進めば進むほどとても強く感じ続けていたことがあります。

それは、「もはや、自分は違う世界に迷いこんでいるようだ」という感覚でした。

もちろん物理的には同じ世界に住んでいるのですけれど、以前から感じていた環境への「違和感」というものをかなり超えてきていまして、違う世界の中に自分が埋め込まれているかのような感覚をたびたび感じます。

もっとも、そんなことを冷静に考える時間もないほど日々の時間の進行が早く、あっという間に過ぎていく中で、瞬間瞬間に「ふと」そう強く感じることがあり、そして、また時間が流れていく。

そんな繰り返しで1年が瞬く間に終わっていきました。

そして、このような「違和感を超えた違和感」的な感覚を持つ人たちが増えてくるという傾向は、2018年も…というより、今後も増加していくような気がします。

ここに書かれてありますように、違和感自体はこの頃もずっとあったようですが、今年 2019年は、そのことに対して「納得した」というような感じでしょうか。

 

あと、健康に関しての見識も個人的には少し進んだと思います。

昨年ふとしたことで知った「腸内細菌環境の重大性」というものについて、今年は、「これまで考えられていた以上にそれは人間の健康に大きな影響を与えている」ことがわかる医学的研究が次々と発表されました。

最近では、以下の記事で取りあげましたように、たとえば、線維筋痛症のような「原因不明とされてきた病気」の根本的な原因にも、腸内細菌環境が関わっていることが明らかになってきています。

原因不明とされる疼痛疾患「線維筋痛症」の根本的要因は「腸内細菌環境の変化」であることがカナダでの研究により判明。病気と関係する細菌19種が特定され、治療への道が開く可能性も
In Deep 2019年12月25日

腸内細菌環境だけに止まらず、全身のすべての常在菌と人間は共存していて、その共生関係を損なった時に「病気が生じる」ということも、さらに確信できるようになりました。

 

ところで「 2020年はさらに激しい年となっていく」ということは、現実的な社会論評をする方々からも、オカルト的な立場で語る方々からも、どちらからも、そういうようなことは言われます。自然科学的な観点からも、来年はさらに激しくなると思われます。

しかし、今年、ブログやメルマガで記事を書いている中で思うようになったのは、そういう

「現実」

とか、

「時間」

とは一体何なのかということを、「現実が激しくなればなるほど」考えてみてもいいのかなというようなことなのでした。

比較的最近の以下の記事などのように、今は、「現実とは何か」ということに対しての考え方が、多くの人々の間で少しずつ変化しているときだと思っています。

量子力学が明らかにした「光子が描くこの世の真実」
In Deep 2019年12月21日

上の記事で取りあげていますように、この世界が「ひとつでもあり、ふたつでもある」という基本的な物理的性質を持っていることを知れば、「私はあなたであり、あなたは私でもある」ということが真実であるということも漠然とではあっても理解できる気がするのです。

私はオカでもあり本田翼さんでもあると(違うわい!)。

あるいは、オカでもあり菊池桃子さんでもあると(だから違うって)。

ま、そういう間違った認識はともかくとして、多くの人々が、認識を少しずつでも変えていくことができるのなら、予想以上の「良い変化」がいつか現れないとも限らないとは考えています。

ここまでを書いていて、ふと、1年くらい前に書きました、

時間の流れは実際に存在するのか?: そして…実は私は「時間は人間が作りだしている」と確信していて…

という記事を思い出しました。

これは、アメリカの科学誌サイエンティフィック・アメリカンの「私たちは本当に時間の流れの中にいるのだろうか?」という記事をご紹介したものです。

記事はかなり長いものですが、「私たちは実際に時間の流れを経験しているのだろうか?」という科学的なテーマについて語られた後に、以下のように書かれていまして、その部分を抜粋いたします。

2018年11月のサイエンティフィック・アメリカンの記事より

過去というものはどこにあるのだろうか?

過去というものが、どこか他の場所に存在しているとでもいうのだろうか。

誰か、その「過去の場所」を指摘できる人はいるだろうか。

しかし、それは明らかにそうではない。「過去の場所」などはないわけで、過去という存在を思い起こすことは、あなたや私が記憶に持っているということに依存している。

そして、これらの記憶は、経験している限りにおいてのみ参照することができるものだ。あなたや私の人生全体の過去というのは過去に経験した「記憶」以外のものであることは決してない。

同じ概念は「未来」にも当てはまる。

未来はどこにあるのだろうか?

この世に、未来を指摘して、 「そこに未来がある」と述べることができる人がいるだろうか。

やはり、これもそうではない。未来に対しての私たちの「想像」は、期待や想像力としての今の経験や想像力から生まれたものだ。あなたや私の人生の中で、未来が現在の経験や想像以上のものだったことはないのだ。

こういう話は、簡単ではないですけれど、「時間」というものは科学的には存在しない可能性が高いと最近では主張されることも多いですが、上の部分は、

「私たちが時間だと思っている大部分は記憶(過去)と期待(未来)に過ぎない」

というような意味なのだと思います。

さらには、最近ショックを受けた以下の記事では、骨髄移植で DNA が他人のものに変換されてしまった人たちは「記憶だけで自分を自分だと思っている」ことを知りました。

「本人」とは? : 骨髄移植の後、移植を受けた人の血液のDNAがドナーのDNAに完全に置換されることが判明。特に「精子」は100パーセントがドナーの遺伝子となっていた
In Deep 2019年12月24日

なお、この記事を書いた後、ひとりの読者様からメールがあり、その方のご友人がかつて骨髄移植をしたことがあったそうなのですが、骨髄移植後、「周囲から見れば、まったく別人になってしまいました」という体験談を頂きました。骨髄移植は、最終的に全身の血液の遺伝子が完全に書き換えられるわけですから、本人のままでいるわけがないようです。

しかし、移植後、遺伝子がすべて他人のものとなった後も「本人」は「記憶により自分が本人だと確信して」います。

骨髄移植をした後は、年月が経つごとに、血液型(違う血液型だった場合)も DNA もすべて変わっていきます。

あるいは、男性が女性のドナーから骨髄移植を受けた場合は、その人は、しばらく経つと「男性でありながら、全身に女性の遺伝子を持つ」ことになります。または女性が男性から移植を受けた場合も、女性でありながら男性の遺伝子を持つことになります。

移植後数年後には、その人の中を流れている血液の DNA はすべて他人のものになるのです。

これに関しては、骨髄移植のウェブサイトに普通に記載されていましたので、医学的には以前からずっとわかっていたことのようです。

本人の自我はもう存在しないのに「記憶だけ」で本人を保っている。

このことを知って、最近、私は、

「記憶というのは物質」

だと確信しています。

ですので、例えば昔からよくある「幽霊話」みたいなものに、死んでも恨みを持ち続けるとか、逆に死者の恩返しだとか、そういう概念のものがあったりしますけれど、「それはない」と思います。

亡くなった後の、いわゆる「魂」というような存在は物質ではないですから、「記憶」が「物質」だとすれば、それは生きていない時(受肉していない状態のとき)は伴っていないはずです。

肉体のない人間は記憶を持たない。自我だけを持つ。

ということは、

「亡くなるということは、記憶から解放されることなのだな」

と知ったのです。

時間というものは、生きている私たち人間が記憶と共に作り出していて、そして、以下の記事でわかりましたように、「空間は、私たちの DNA が作り出している」ということになる可能性が高いです。

この世の創造神はDNA? : 人間のDNAが光子に規則性を与えることで「この世の物質をコントロールしている可能性」が示された実験が行われていた
In Deep 2019年12月18日

時間も空間も生を受けた私たち人間が作っていて、それは物質である記憶と共に、やはり物質である脳に収容されるというようなことになっているのかなあと。

来年から世の中が激しくなっていくとしたら、こういうような「この世の真実」を知ることで、困難や苦しみから少しは解放されることになれるのかもしれません。

あるいは、そういう意味では、2020年が激しい年となるのならば、それは同時に「考えることのできるキッカケになるチャンスの年」になる可能性もあるのかもしれません。

いずれにしましても、今年もまた読者の方々には大変にお世話になりました。

少なくとも、私にとっては 2019年はとても良い年でした。

読者の皆様方も、2019年は良い年だったと思える方が多いことを願っています。

そして、2020年も良い年になると思いますし、そうあってほしいです。

来年からは基本的に混沌とした時代になると思われますが、ここまで書かせていただいたような「真実」を共に考えていければいいなあと思います。

それでは、良いお年を。

 
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  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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